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2006年5月27日 (土)

湾岸戦争2

1月14日朝10時頃、私たちはカイロのシェラトンホテルにチェックインしました。カイロのホテルはどこも湾岸から避難してきた人たちで一杯で、ようやくここが取れたそうです。みんな少し仮眠を取り、夕方集合して今後の対策を練りました。そもそも、リヤドから1000km西に離れた、つまりスカッドミサイルの射程圏外にあるジェッダへ避難する案はなかったかというと、「紛争当事国においては国内移動しても避難したことにならない、避難するなら国外へ」という規定があります。そして、「第三国へ避難する場合、滞在期間は最大2週間」という規定もありました。私たちがサウジに帰ることができるのは、「戦争が起きず2週間以内にすべてが解決する」か、「戦争が始まり2週間以内に多国籍軍が完全勝利する」という条件でした。いずれにしろ、イラク軍撤退の期限は今日の夜12時です。まずはそこでアメリカがどう出るかにかかっていました。夕食をすませた後、不安な気持ちを抱えたままベッドに入りました。

「リンリーン!」 けたたましい電話のベルで起こされました。時間は午前3時。電話に出ると、「開戦した、テレビ!!」と言われました。急いでテレビをつけると、CNNでブッシュ大統領の開戦演説が映し出されていました。「開戦するにしても早すぎる」一瞬そう思った私でしたが、どうせやるならイラク軍が撤退する素振りを見せないうちにという、よく考えれば納得のタイミングでした。しかしこれでサウジに帰れる可能性はかなり少なくなりました。イラク軍も徹底抗戦するでしょうし、とても2週間で戦争が終わるとは思えませんでした。30分ほどテレビを見ていましたが、「ブッシュめ・・・」と悪態をついて、また眠ることにしました。朝、再びみんなで集合、今後の対応策を話し合いました。飛行機会社をいくつか調べたら、カイロは中東の軍事拠点でもあるので、隣国が戦争に突入したからにはカイロ国際空港も当局の指揮下に置かれ、民間航空機の発着がかなり制限される、とのことでした。実際、すでに19日以降のカイロ乗り入れ中止を発表した航空会社もあるそうで、もし規定通り2週間待ったら、そのままカイロにカンヅメになるかもしれないと言われました。最終的には、どうせサウジに帰れそうにないなら、飛行機があるうちに日本に戻った方が良い、という結論に至りました。

19日、まずカイロからアムステルダムに出ました。これは他に選択肢がなかったからです。事前に言われた通り、カイロ発着のフライトは極端に減っていました。ちなみに、この間カイロで数日過ごしましたが、サウジアラビアで預金をトラベラーズチェックに変えた人は悲惨でした。チェックの購入証明書にはサウジで買ったことが明記されており、それ故、「戦争当事国で発行されたチェックは受け付けられない」と行く先々で断られたからです。やっぱり「有事の際はドル現金」ですね。さて、アムステルダムではちょうど良い連絡便がなくて、1泊することになりました。そして、なんでアムスから日本に直行便が取れなかったのか不思議ですが、今度はアンカレッジに向かいました。アンカレッジは数時間のトランジットでしたが、長い時間飛行機に乗っていたはずなのに時間がえらく前に戻っていたりして、いったい今が何日の何時なのかわからなくなってしまいました。日本に戻ってきたのは22日の朝だったかな?。もう記憶もおぼろです。無事にリヤドに戻ることができたのは、それから約3ヶ月後のことでした。

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