« 湾岸戦争2 | トップページ | エアラインランキング »

2006年5月27日 (土)

湾岸戦争その後

1991年4月半ばにリヤドに戻ると、現地に残った人と話す機会がありました。「リヤドには報道されている以上に何発もスカッドミサイルが落ちたんだよ。ものすごい轟音で、本当に死ぬかと思った。全員本国の家族に電話で遺言を伝えたし、君たちは帰国して絶対正解だったよ」と真顔で言われました。私が「戦争は絶対ないって言っていた人もいたけど」と意地悪なことを言うと、「あの状況で戦争がないわけないじゃない」と苦々しく吐き捨てられました。まぁ、外交とか政治の世界は「正しい」ものの定義なんて極めて曖昧ですから、こんなこともあり得るのでしょう。でも、やはりこちらも本気で怖かったですから。後日、スカッドマップなるものを入手しました。リヤド市内と近郊に落ちたスカッドミサイルが記された地図です。「ゲッ、10発以上落ちてんじゃん」思わず飲んでいたジュースを吹き出してしまいました。また、パトリオット迎撃ミサイルもそれなりにスカッドに命中していたそうですが、結局ものすごく破片が飛び散るので、打ち落としても住宅街とかにけっこう被害が出たそうです。もうちょっと頑張れアメリカ。

リヤドの町を車で走ると、以前よりかなり静かでした。4月半ばの段階ではまだあまり外国人は戻ってきておらず、町の雰囲気などが元に戻ったのはしばらくしてからです。そんな中で、1ヶ所とても繁盛しているお店がありました。写真屋です。目玉商品は、パトリオットミサイルがスカッドを打ち落とす瞬間の写真で、それを遅いシャッタースピードで撮影しているため、地上から爆発点までパトリオットの噴射炎の軌跡がきれいに写されています。いくつかサイズがありましたが、私は一番大きなものを買いました。数千円の値がついていてもそれこそ飛ぶように売れており、これを撮影したカメラマンが大金を手に入れたというのも納得です。ひとつ憂鬱だったのは、イラク軍がクウェートから逃げる時、油田に火を放ったことです。黒煙は気流に乗ってリヤドに到達し、時には曇り空でもないのにうっすら日が陰ることもありました。後は、以前と変わらない日常がまた戻ってきました。ある時期、国会議員のサウジ詣でという流行があって、私達も大使館に呼ばれて顔見せしましたが、とにかく元気な人が多かったです。

その年、サウジアラビア政府はアメリカから大量の武器を購入したことにより、建国以来初の財政赤字になったそうです。イスラムの聖地に米軍を受け入れたことも、国民の不評を買うところとなりました。私がサウジを離れる年あたりから、米軍や外国人への爆弾テロ攻撃が始まりましたが、それは年々激しさを増しているように見えます。湾岸戦争において、地域の大国としてサウジアラビアが取った行動は、果たして正しかったのか…。もちろん、政治や外交に「正解」はなく、あるのはただ「結果」のみです。

|

« 湾岸戦争2 | トップページ | エアラインランキング »

旅行・地域 サウジアラビア」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 湾岸戦争2 | トップページ | エアラインランキング »