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2006年5月24日 (水)

サウジアラビア小史

アラビア半島の大部分を占める広大な国家サウジアラビアは、言わずと知れたバリバリのイスラム国家です。国旗には緑地に白抜きで「ラー・イラーハ・イッラッラー (アッラーの他に神はなし)、ムハンマド・ラスールッラー (ムハンマドはアッラーの預言者なり)」の文字と1本の剣が記されています。サウジアラビア王国とはすなわち「サウド家のアラビア王国」という意味です。西暦630年頃、メッカ (マッカ) のムハンマドによりイスラム教が興されましたが、4代に渡る正統カリフ時代が終わり、イスラム王朝が中東全域に拡大していくと、この地域はほとんど重要視されなくなりました (メッカ巡礼は除く)。再度この地域が歴史に登場するのは、18世紀半ばのことです。宗教指導者ムハンマド・イブン・アブドゥルワッハーブはイスラムの教義に立ち返る原理主義党派 (ワッハーブ派) を結成し、アラビア半島内陸部ナジュドの支配者サウド (スウード) 家に擁護されながら、ナジュドにワッハーブ王国を建国しました。1865年、王国は内戦状態になり、サウド家は一旦クウェートに亡命します。1902年、アブドゥルアズィーズ・イブン・サウド率いる軍勢はリヤドを奪還、次々と領土を拡大し、1932年、領土を統合しサウジアラビア王国を建国しました。この頃アラビア半島西部にはヒジャーズ王国があり、アラビアのロレンスとともにオスマン帝国に反旗を翻した歴史はあまりにも有名ですが、最後に笑ったのはサウード家でした。

サウジアラビアで原油の鉱脈が発見されるまで、人々の暮らしはほとんど遊牧生活のままでした。1953年、国の近代化に努めたアブドゥルアズィーズ初代国王が亡くなると、長男であるサウドが2代目国王に就任しました。中東戦争の勃発、OPECの創設、近隣アラブ諸国との紛争など様々なことが起こり、サウジアラビアの国際的な発言力は次第に増していきました。1964年、サウドの弟であったファイサルが3代目国王に就きます。第三次中東戦争(1967年)、第四次中東戦争(1974年)と続く中で、原油は非常に重要な戦略物資となりました。当時、日本にもオイルショック旋風が吹き荒れたものです。石油業界のメジャーが放った罠なのか、1975年にファイサル国王は甥に暗殺されてしまいます。あとを継いだハーリドは病弱で、ほどなく義弟ファハドが後見人となり権力を握りました。1979年、エジプトのサダト大統領がイスラエルとの和解を実現すると、エジプトとの外交関係を絶ち、また同年、イランで起こったイスラム革命とイスラム原理主義者によるメッカ占拠事件をきっかけに、サウジアラビアは軍事力増強に動き始めました。その後は、1990年の湾岸危機、続く翌年の湾岸戦争で、政治的・経済的に深刻なダメージを受けますが、OPEC随一の原油生産国として、世界経済に重要な役割を果たし続けています。ちなみに現国王のアブドゥッラーも初代国王の息子です。王位継承者、つまり初代国王の息子はまだまだたくさんいるそうです。
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