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2006年7月31日 (月)

東と西

初めて「中東」という言葉を聞いたのは、第4次中東戦争でアラブ産油国が石油戦略を発動し、日本でもトイレットペーパーの買い占め騒動など、オイルショックの嵐が吹き荒れた時でしょうか。まだ子供だったので、なんで日本より西の国が「東」と呼ばれているのか、ちょっとだけ考え込んだ記憶があります。そもそも「中東 (Middle East)」という言葉は、19世紀のヨーロッパで一般的であった「東方 (East/Orient)」概念に基づき「極東 (Far East)」に対置する形で設定された地域概念でした。なので、当時はバルカン半島も中東でしたが、北アフリカは含まれませんでした。第2次世界大戦後、中東という地域名は世界中で使われるようになりましたが、この頃から「東」と「西」の使い分けは政治的なニュアンスを含むようになったと思われます。つまり、自由主義の「西側諸国」に対する、社会主義的「東側諸国」というくくり方です。東西冷戦構造の時代、アラブやアジアの国々は西ヨーロッパ+アメリカ陣営につくか、ソ連につくかという選択を迫られました。アラブでは、社会主義によるエジプト革命でナセルが一躍第三世界のヒーローとなったこともあって、シリアなど周辺諸国が続々社会主義を導入、ソ連の援助を受けるようになりました。当時、ヨーロッパ西側諸国にとって中東とは、単に地理的な意味だけではなく、いつ東に転向するかわからない危険をはらんだ地域、というニュアンスを持っていたのではないでしょうか。この地域に住む人々は、西側諸国が独善的に動かしている現在の世界秩序にアンチテーゼを投げかけるため、自らを中東と呼ぶことによって西欧に対する対抗的主体性を示しているのかもしれません。

ちなみに、西欧から見れば日本は極東に位置しており「東側諸国」に分類されるはずですが、多くの西欧諸国やアメリカ、さらに言えばほとんどの日本人は、自分たちは西側諸国の一員だと考えているのではないでしょうか。隣国のロシアや中国の厚い壁を避けて、東回りでアメリカ経由、ヨーロッパ諸国とつき合っているような感じ。そんな状況にありながら、アジア諸国の中で政治的指導力を発揮したいなどと言うのは、ひょっとしたらお門違いなのかも知れません。戦後60年たって、未だにアジア諸国とぎくしゃくした関係が続く状況は、あらためて真剣に考え直した方が良いのではないでしょうか。

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