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2006年8月13日 (日)

ジハード (聖戦)

一般的に、宗教とは心の平安や暴力の放棄を説いたものであるという認識が強いと思います。これはキリスト教の「右の頬を打たれたら…」という一節や、殺生を禁じた仏教思想によるものでしょう。しかし、イスラム教についてはご存じの通り「ジハード」という言葉もあります。コーラン雌牛章第190、191節には「あなたがたに戦いを挑む者があれば、アッラーの道のために戦いなさい。だが侵略的であってはならない。本当にアッラーは侵略者を愛さない。彼らに会えば、どこでもこれを殺しなさい。あなたがたを追放したところから、かれらを追放しなさい。本当に迫害は殺害よりもっと悪い。だが聖なるモスクの近くでは、彼らが戦わない限り戦ってはならない。もし戦うならばこれを殺しなさい。これは不信心者への応報である」と記されています。これを読むと、パレスチナ問題の政治的解決などあり得ないのではないかと感じます。イスラム原理主義者に言わせれば、現在の世の中はダール・アルハルブ (争いの世界) であり、イスラムの主権が確立されたダール・アルイスラーム (イスラム世界) になるまで、ジハード (聖戦) が必要なのだそうです。これには、直接戦闘員 (ムジャーヒディーン) としての参加だけでなく、資金や物資の提供など様々な形での参加があります。ジハードでの戦死者は、シャヒード (殉教者) として天国行きが約束されているそうです。

アラビア語は、基本的にアルファベット3つからなる動詞が変化して、関連した別の意味の動詞や名詞になります。シーン、ハー、ダールの3語根でシャヒダ (目撃する、証言する、証明する) という動詞になり、そこからシャハーダ (証明書、証言、証拠、殉教、信仰の告白) という名詞ができます。証人はシャーヒド、殉教者はシャヒード、また殉教するという動詞はシャヒダの第10形受動態 (ウストゥシュヒダ) といった具合です。証明書と殉教が同じ単語だと言われても日本人にはなかなかぴんと来ませんが、つまりどちらも神に誓って行われる行為であり、根底には信仰があるということなのでしょう。しかし殉教することが自らの信仰を証明する最善の方法であるとするならば、あまりに悲しいのではないでしょうか。

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