« 幸福 | トップページ | ヨーグルトドリンク »

2006年8月26日 (土)

アラブ人物伝

■ハーシム家
ハーシム家は、預言者ムハンマドやアッバース朝などを生みだした家系です。メッカにあるカーバ神殿の管理者だったクライシュ族はハーシム家の子孫とされています。ハーシム家の一族には、イスラムの創始者ムハンマドや、彼のいとこで、第4代正統カリフのアリーがいました。750~1258年にイスラム世界を支配したアッバース朝の創始者サッファーフは、ムハンマドの叔父アッバースの子孫にあたります。第1次世界大戦中にアラブの反乱にかかわり、イギリスの支援をうけて1916年にヒジャーズ王となったメッカのフセインは、ムハンマドの後裔でハーシム家の40代目でした。ヒジャーズ王国は、のちにサウジアラビア王国を創設するアブドゥルアジーズ・イブン・サウドにより1924年にたおされましたが、フセインの息子にはジョルダンの初代国王アブドゥッラー、イラク国王ファイサル1世らがいます。

■イブン・サウド
イブン・サウドはサウジアラビアの初代国王です。アラビア半島ナジュドのスルタン、ファイサルの孫で、イスラム改革運動ワッハーブ派の指導者でした。1900年の初め、父親がうしなったナジュドの支配権をとりもどしました。第1次世界大戦中、イギリスはアラビア半島のヒジャーズ地域の政治的・宗教的指導者で、イブン・サウドの政敵フセインを支援し、フセインはヒジャーズ王国の樹立を宣言しました。これに対しイブン・サウドは、1919年にヒジャーズに侵入し、1924年にはフセインとその長男アリーを退位させました。1926年「ヒジャーズの王、ナジュドとその属領のスルタン」を称したイブン・サウドは、1932年にこれらの地域をサウジアラビア王国 (サウド家のアラビア王国) とし、1936年には近隣アラブ諸国と国境線などの条約を結びました。以後、アラブの結束をとなえ、1945年のアラブ連盟の結成には大きな役割をはたしました。

■ファイサル
ファイサルはヒジャーズ王国を樹立したフセインの三男で、後のイラク国王です。アラビア半島のメッカで生まれ、コンスタンティノープル (イスタンブール) で教育をうけました。第1次世界大戦中、シリアでオスマン帝国軍につかえましたが、1916年にヒジャーズへのがれ、父や兄弟とともにアラブの反乱に加わりました。1918年、イギリスのT.E.ロレンスに助けられて、オスマン帝国からシリアのダマスカスを奪回しました。1920年3月に、アラブ・シリア国民会議は彼をシリアの王と宣言しましたが、フランスが国際連盟委任の名のもとにシリアを占領した7月に追放されました。しかし、1921年8月、イギリスのイラク委任統治政府が許可した国民投票で、96%の得票をえてイラク国王となりました。彼の死後 (暗殺説も根強い)、王位は息子のガージー1世が短期間ついだあと、その息子ファイサル2世へとひきつがれましたが、1958年のイラク革命によって処刑され、王朝は廃絶しました。

■アブドゥッラー
アブドゥッラーはヒジャーズ王国を樹立したフセインの次男で、後に初代ヨルダン国王となります。第1次世界大戦中の1918年9月、アラブ独立軍とイギリス軍によって、ヨルダンはオスマン帝国から解放され、戦後、イギリスの委任統治領となりました。1922年、イギリスは委任統治領を2つの地域にわけ、ヨルダン川の西岸全体をパレスチナ、東側をトランス・ヨルダンとし、1928年2月、イギリス委任統治下のトランス・ヨルダン首長国が成立しました。このときの首長がアブドゥッラーです。イギリス政府は、1946年3月22日、トランス・ヨルダンの委任統治を放棄し、ヨルダンは正式にイギリスから独立しました。5月には、アブドゥッラーが初代国王として即位しました。ヨルダン・ハーシム王国という国名は、メッカのハーシム家、すなわち預言者ムハンマドの直系ということを強く誇示しています。1951年7月、アブドゥッラー1世は暗殺され、9月に子のタラール1世が後をつぎましたが、翌年8月、ヨルダン議会は病弱なタラールを退位させ、タラールの17才の子を即位させました。これが現国王の父君、フセイン1世です (1999年崩御)。

■T.E.ロレンス
イギリスの探検家・軍人・考古学者、というよりも「アラビアのロレンス」と言った方が通りがよいでしょう。第1次世界大戦が勃発し、オスマン帝国がドイツ側にたって参戦すると、カイロの軍情報部勤務を命じられて対オスマン帝国工作に従事しました。1916年にはメッカに軍事顧問として派遣され、以後、アラブ人とともに生活しながら、オスマン帝国に対する彼らの反乱を支援しました。砂漠の民ベドウィンの知恵を生かした奇襲戦法で次々にオスマン帝国軍をやぶり、1918年にはファイサル (後にイラク国王) とともにダマスカスを占領し、イギリスの中東作戦の成功に大きく貢献しました。1921年、ようやくファイサルをイラク国王に、彼の兄アブドゥッラーをトランス・ヨルダンの統治者 (後にヨルダン国王) にすることが決定されると、翌1922年、植民省アラブ問題顧問の職を辞し、以後は変名をつかって一兵士として空軍や戦車隊に勤務しました。1935年2月に除隊となり、まもなくオートバイの事故をおこして死去することは、映画「アラビアのロレンス」でも描かれています。

|

« 幸福 | トップページ | ヨーグルトドリンク »

旅行・地域 ヨルダン」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 幸福 | トップページ | ヨーグルトドリンク »