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2006年8月23日 (水)

神にかけて

日本で「神にかけて」「天地神明に誓って」などという表現をすると逆に胡散臭いと思われたりしがちですが、ヨルダン人は日常会話のなかで「ワッラーヒ」や「オクスィム・ビッラー」という言葉をよく使っています。これは「神にかけて」という意味で、何かを陳述する場合に用いられます。ただ、この誓いは神に対するもので、誓いを破っても人間がそれを罰することはできないと言われています。これを罰することができるのは神のみですが、それを回避する方法もイスラム法で定められています。「その贖罪には汝らの家人を養う通常の食事で10名の貧者を養え、またはこれに衣類を支給し、あるいは奴隷を1名解放せよ。これらのことができぬ者は3日間の断食をせよ (コーラン5章89節)」というのが法規定の根拠だそうです。イスラム教徒にとってはこれこそ「神の寛大さ」なのです。あまりに寛大すぎる気がしないでもありませんが。

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