« 受胎告知 | トップページ | 砂漠の城: ハラナ城 »

2006年8月18日 (金)

アラブの祖

日本人がどこから来たのか、いまだ定説がさだまらないように、アラブもまた、その起源については伝承が語るのみです。サウジアラビア人の友人によれば、ノアの子孫であるカフターンを祖とするヤマン族が、紀元前8世紀ころからイエメンのハドラマウトに一連の古代南アラビア王国を建設し、その4氏族がアラビア半島の各地に広がっていったそうです。友人の属するイーサー一族は、このカフターン直系の4氏族にまでさかのぼれるそうです。時を同じくして、北アラブについても、アッシリアの碑文にその名が見られます。北アラブはその後中継貿易によって繁栄し、ナバタイ、パルミラ両王国を建設しました。逆に、南アラブの王国は4世紀に崩壊し、アラビア半島ではしだいに北アラブの文化と言語が支配的になっていったそうです。南北アラブの区別は、イスラム時代の初期まで政治的・社会的に重要な意味を持っていましたが、アッバース朝が成立すると、ほとんど意味をなさなくなったとのことです。

なお、シバの女王といえばイエメンだと理解していたのですが、エチオピアに残る伝承では、シバの女王は紀元前1000年頃、イエメン、スーダン、エチオピアに広がる大エチオピア帝国の支配者だったとのことです。シバの女王がエルサレムのソロモン大王のもとを訪れ、そこで身ごもった子供がエチオピアの祖、メネリク1世であると言い伝えられています。現代エチオピア人も、自分たちがアフリカというよりはアラブの系統に属していると考えているようです。

|

« 受胎告知 | トップページ | 砂漠の城: ハラナ城 »

イスラム文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 受胎告知 | トップページ | 砂漠の城: ハラナ城 »