« パレスチナ人は故郷に帰るのか | トップページ | イスラム教徒の結婚 »

2006年8月 9日 (水)

一夫多妻

ヒジュラ暦3年 (西暦624年)、前年の雪辱を果たすべく、マッカ側は3000人の兵を率いてマディーナの預言者ムハンマドとムスリム軍に攻め入りました。この時、ムスリム軍は700人の兵のうち74名の戦死者をだす結果となりました。このオホドの戦役後、預言者に下されたのが「婦人章 (スーラトゥ・アンニサーア)」です。第3、4節には「あなたがたがもし孤児の女たちに対し公正にしてやれそうにもないならば、あなたがたが良いと思う2人、3人または4人の女をめとれ。だが公平にしてやれそうにもないならば、ただ1人だけめとるか、またはあなたがたの右手が所有する者 (奴隷の女) で我慢しておきなさい。そして結婚に際しては女にマフルを贈り物として与えなさい」と記されています。これが良く知られるイスラムの一夫多妻システムの元になった啓示です。これにより、当時多くの孤児と寡婦が救済されたと言います。しかし、一夫多妻は夫側にかなりの金銭的負担がかかりますので、少なくとも現代イスラム社会では、王族や豪商をのぞいて、それほど一般的とは言えないようです。

またコーランには、異教徒との結婚についても記されています。男性イスラム教徒は、同じ啓典の民であるキリスト教徒及びユダヤ教徒の女性とは結婚できます。それ以外の、特に多神教徒との結婚は許されません。男性がイスラム以外に改宗することは許されませんから、その女性は、イスラムかクリスチャンに改宗する必要があります。では、女性イスラム教徒の場合はというと、これはもうイスラム教徒の男性と結婚する以外ありません。したがって、イスラム教徒の女性と結婚を望む男性は、イスラムに改宗しなければならないのです。このことについて知人のヨルダン人女性は、イスラムでは必ずしも男女が平等ではないと言います。ただし、彼女はそれを嘆くわけでもなく、淡々と受け止めているようでした。

|

« パレスチナ人は故郷に帰るのか | トップページ | イスラム教徒の結婚 »

イスラム文化・芸術」カテゴリの記事

旅行・地域 ヨルダン」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« パレスチナ人は故郷に帰るのか | トップページ | イスラム教徒の結婚 »