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2007年1月31日 (水)

蜂窩織炎

生肉のおいしさを書きましたが、ついでに生肉の恐ろしさもということで、我が身に降りかかった災難を書いておきます。これは今から2年前、いったんエチオピアを離れることになった時に起こった出来事です。

■帰国2日前 (1日目)
エチオピアの仕事が一区切り着いて、私を含めて3人が帰国することになりました。私以外の2人がお金を出し合い牛を1頭購入し、エチオピア人スタッフ約100名に食事をふるまいました。場所は職場の食堂、調理は出入りの業者が行いました。料理のメインはなんといってもエチオピア人が大好きな生肉です。私も出発を目前にひかえ、これが最後になるかもしれないと、2年間避けてきた生肉についに挑戦することにしました。唐辛子や香辛料が入ったクトゥフォは生でよく食べていたし大好きなのですが、さすがに生肉の塊はこれまで食べようとは思いませんでした。

並べられた生肉の量にややビビリながらもお皿にこぶし大のものを1個とってくると、小さなナイフで肉を適当な大きさに切り分けながら口に運びます。ちょっと堅めのトロといった感じで、少し甘みもあり、確かにエチオピア人が大好きなのがわかります。しかし、ナイフの切れ味がいまひとつでした。肉をひとつ切り取るのも大変で、2口、3口と食べたところでもう嫌になってきました。少しいらいらし始めたとき、あやまって左手の人差し指にナイフの先のとがったところを「チクッ」と刺してしまいました。本当に小さな傷だったので、その後も少し肉を切っていましたが、結局それ以上生肉は食べませんでした。この時、時間は午後の2時くらい。小1時間するとものすごい下痢に見舞われ「これはヤバイかも」と思わず指の傷口をぎゅうぎゅうと絞り、なんとか毒を出そうとするも傷口自体が点のように小さくあまり血はでませんでした。

その日の夜10時頃、ナイフを刺した人差し指が少し腫れてきたことに気がつきました。抗生剤を飲もうと思いましたが、つい先日、飲みかけの薬は他の物と一緒にほとんど捨てていました。仕方ないので残しておいたビタミンCをたくさん飲み、床につきました。

■帰国前日 (2日目)
朝起きると、指は昨晩よりも確実に腫れていました。少し発熱もあったので、各所で離任挨拶を済ませた後、日本大使館の医務官に指のけがを見せ、抗生剤をいただきました。明日出発なので、今日病院に行って切開手術などになったら道中の消毒が逆に難しいとの判断から、とにかく抗生剤を飲んで日本までもたせようということになりました。午後は事務所で帰国報告会でした。だいぶ熱が出ているという実感はあったのですが、30分ほどの発表をなんとかこなしました。

夜はエチオピア側が帰国する人たちのために食事会をしてくれましたが、フラフラだったのでさすがにこれは欠席。家では何度か抗生剤を飲み、指に濡れタオルをまいて冷やしながら、ずっと布団の中でぐったりしていました。熱は38.8度まで上がりました。

■出発当日 (3日目)
指は昨晩よりもさらに腫れていました(指の写真はこの日のもの)。刺した部分も少し黒ずんでいます。腫れがひどいため閉じていた傷が開き液がにじみ出ていました。本格的にこれはまずいと思い、大使館医務官に状況報告をしました。そうしてまた大使館に赴き、今度はベッドに寝て30分ほどかけて抗生剤の点滴を打ってもらい、日本の病院への紹介状も作ってもらいました (本当に感謝です!!)。その後は、ボーッとする体にむち打ち夜のフライトまで自宅であわただしく荷造りなどをしました。夜8時半、他の2人と一緒に空港に向かい、不安な気持ちを抱えながら飛行機に搭乗しました。

■出発翌日 (4日目)
朝6時半、フランクフルトに到着しました。指の腫れはまったく良くなっていません。ごくわずかな点ながら傷が開いていたので、消毒ガーゼはつねにあてがっていました。トランジットの間はホテルでシャワーを浴び(指にはナイロン袋をかぶせました)、消毒ガーゼの交換をしました。抗生剤は時間をはかって8〜10時間ごとに飲むようにしました。

■日本到着日 (5日目)
朝8時半、成田空港に到着。昨日より腫れはひいていますが、黒ずんだ部分はあまり変わっていません。医務官からは日本に着いたらすぐ病院に行くよう言われていたのですが、実はこの日の午後2時に東京でエチオピア再赴任のための大事な面接試験があったため、病院で時間をとられると試験が受けられなくなることを心配して、結局病院には行きませんでした。試験の後、担当者と打ち合わせなどを行い、終わったのは午後3時半、ここから慣れない東京で病院をさがして行くのは大変だと思い、実家に帰ることに。実家に着いたのは夜8時でした。左の人差し指をこちょこちょと動かし「まだ動く、大丈夫」とあまり悪いことは考えないようにして、一抹の不安を抱えながら布団にもぐり込みました。

■日本到着翌日 (6日目)
天気はあいにくの雨。午前10時半に外科の病院に行くと、思った通り混んでいました。12時半くらいにようやく診察室に入りましたが、医務官が持たせてくれた紹介状を見せ、エチオピアで生肉を切っていて傷つけたこと、すでに5日たっていることを手短に説明しました。指の傷を見た医師は「これは切開ですね」とひと言。この時「切開」というイメージから、傷のところを切って膿をしぼり出すのかなくらいにしか考えていませんでした。しかし実際には、黒ずんだ部分を含め膿がまわってしまった第2関節の方までけっこうな量の肉を取られることになりました。切り傷と違って刺し傷の場合は菌や膿が中にとどまってしまうため、どうしても症状が重くなってしまうそうです。

太い麻酔注射を人差し指の根元に打たれた時はあまりの痛みに「これからどうなるんだ」と暗澹たる気持ちになりましたが、なんとか麻酔が効いてくると、あとは「ギコギコ、ゴリゴリ」といった感覚が骨を伝ってくるばかりで、手術中はほとんど痛みは感じませんでした。1時から手術を始め、結局病院を後にしたのは午後3時すぎでした。術後に痛み止めは飲みましたが、その日は寝るまで「う〜」と思わずうなってしまうような疼痛が続きました。

■その後
日曜日をのぞいて1ヶ月間毎日包帯交換に通院しました。手術の前の麻酔注射も相当痛いと思いましたが、包帯交換がそれ以上の痛みになろうとはよもや思いませんでした。なにしろぱっくりと露出した肉に消毒液を塗布するわけですから、痛くないはずがありません。えぐれた部分に消毒液をしみこませたガーゼを詰めるのですが、これがまた焼けるような痛さです。病院では、傷を見ないよういつもベッドに横たわってやってもらいました (気が弱いので…)。1週間経過して、そろそろあまり痛くなくなってきたかなと油断していたら、「傷の表面をきれいにします」と言われた瞬間「ギャッ!!!」と叫びそうになるくらいの激痛に襲われました。どうやらとがって盛り上がってきた肉の芽をつまんで取ったようです。「こうすれば見た目もきれいに治りますから」と医者は冷静な口調でしたが、まわりにいた看護婦さんも「今ベッドから体が浮いたね」と驚いていました。

こうしてエチオピア再赴任までの1ヶ月間、凍えるほど寒い2月の日本で、ずっと左手をかばいながら生活していましたが、手袋もはめられず、また下に垂らすとズキズキするのでずっと上向きにしていました。痛さがジンジンと骨身にしみたこと…。エチオピアに戻ってからも消毒を続け、傷がふさがりお風呂につけられるようになるまで2ヶ月かかりました。実はあれから2年たった今も、まだ十分に傷の痕跡がわかり、押さえつけるとジーンとしびれます。エチオピアの生肉は確かにおいしいですが、食べるならやはり相応の覚悟が必要でしょう。とにかく雑菌の塊ですから。その後も生クトゥフォは幾度となく食べましたが、塊の方は、うーん、2、3回は食べたかな。

日本でも肉や魚を切っているときに作った傷は腫れると言いますから、みなさんもそんな時は小さな炎症とたかをくくらずに必ず病院に行きましょう。「蜂窩織炎(ほうかしきえん)」をインターネットで検索してみるとけっこう怖いことが書いてありますよ。

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