« MacでVista | トップページ | MacでVista (2) »

2007年2月 5日 (月)

失われたアーク

■契約の箱
ハリウッド映画「レイダース・失われた聖櫃 (アーク)」は世界中で大ヒットしましたが、その中で描かれたアークとは何でしょう。旧約聖書によれば、それは神からイスラエルの民に下された十戒 (2枚の石板に記された) を収めた箱で、モーセがアカシアの木から作ったものだそうです (申命記)。後世、ソロモン王 (紀元前970〜931年) がエルサレムに神殿を建立し、至聖所にアーク (契約の箱) を安置しました。すっかり金でおおわれた箱の上には、2体のケルビム (人間の顔を持ち、翼を持った天的な動物) 像が置かれました (列王記上)。箱の中にはマンナの入っている金の壺、芽を出したアロンの杖、そして契約の石板が入っていたそうです (ヘブライ人への手紙)。

箱にはなにか破壊的なパワーがあるようで、「黙示録」では第七の天使がラッパを吹いた後、「そして天にある神殿が開かれて、その神殿にある契約の箱が見え、稲妻、さまざまな音、雷、地震が起こり、大粒の雹が降った」と書かれています。映画レイダースの中でもそのパワーを存分に発揮し、ナチスの軍人がばたばたとやられていました。しかしその後、紀元前587年にネブカドネツァルのバビロン軍が神殿を取り壊したときには、すでに所在不明となってたそうで、以降、聖書でもアークに関する記述はなくなっています。そして、「失われたアーク」という言葉が生まれたのです。

■シバの女王
エチオピアの口承伝説をまとめた「Kibre Negest (王たちの栄光)」という書物があります。エチオピア皇帝の血統を記し、その祖先が聖書の登場人物にまでつながるということが書かれています。紀元前1000年頃、シバの女王は現在のイエメン、スーダン、エチオピアに広がる大エチオピア王国の女王でした。女王はソロモンの名声を聞き、彼の知恵を試そうと、大勢の随行員を伴って金銀財宝とともにエルサレムに赴きます。女王の発する難問に、ソロモン王は次々と回答を返しました。感服した女王は持ってきた財宝を差し出します。逆に女王が気に入ったソロモンは彼女を求めますが、女王は側女を差し出し自らは応じませんでした。

ある日、ソロモンは一計を案じました。夜遅くに宴会を開き、辛い料理ばかりを出したのです。ソロモンの神殿に泊まった女王は、「神殿の物を手にしない」という約束をさせられていたにもかかわらず、喉が渇いたため枕元の水を飲んでしまいました。約束を破ったことをとがめられ、彼女はソロモンと一夜をともにし、その結果ソロモンの子を身ごもりました。そしてシバの女王はエルサレムを後にし、息子メネリクを産みました。

成長したメネリクは、自分の生い立ちを聞かされ、ある日エルサレムのソロモン王に会いに行きます。メネリクは顔立ちが王そっくりだったため、やすやすと神殿に入れたそうです。メネリクはそこでさまざまな学問を学び、3年の後、ユダヤの僧の長子たちを従者として連れ、エチオピアにもどることになりました。その時、従者の1人が夢のお告げに従い、契約の箱を神殿から盗み出しこっそりと持ってきてしまったのです。旅の途中で事実を知ったメネリクは青ざめますが、「神の意志に反しているのなら持ち帰ることもできまい」と、アークをそのまま運び続けました。そしてアークはエチオピアに持ち込まれ、現在もアクスムにあると信じられています。

■矛盾点
まず、一般的には、シバの女王は古代イエメンにあったサバ王国の女王とされています。なので、そもそも Kibre Negest の話は間違っているという指摘があります。エチオピア人の祖先がシバの女王であるということの真偽はわかりません。いまのところ、それを示す証拠は発見されていないからです。サバ王国は、紀元前115年頃、台頭してきたヒムヤル王国に地域の支配権を奪われ、歴史の表舞台から消えていきました。当時、多くの脱出者が紅海を越えてアフリカ大陸にわたってきたことは十分あり得ますし、そうしてエチオピアの地に根付いたのかもしれません。外見も、エチオピア人の顔立ちはアフリカというよりもアラブに近いように見えます。エチオピア人がシバの女王の末裔だという推論を完全に否定することはできないのかもしれません。

次に、時間的なずれが指摘されます。アークがエルサレムから盗まれたのが、およそ紀元前940年前後だとします。しかしその時期には、アクスム王国は存在していません。アクスムが建設されたのは紀元前2世紀頃のことなので、800年もの長い間、アークはどこか違う場所に保管されていたことになります。しかし、これだけ重要な物を800年も世間から隠し通すためには、相当強大な権力あるいは権威が必要だったはずです。それだけ進んだ社会が古代アビシニア高地にあったかどうか、まったく証拠がありません。

さらに、アークはイスラエルの民のものだということが聖書の中で繰り返し語られています。エチオピアのキリスト教徒がいくらアークを神聖視しても、なんら御利益はないように思えます (御利益というのも変ですが)。あるいは、アークを持っているエチオピア人こそが、神に選ばれし民だということなのでしょうか。古代エチオピアはエルサレムからもたらされたユダヤ教が一時期主流となったものの、新興宗教であったキリスト教徒に勢力争いで負けてしまい、アークも奪われたということでしょうか。(ソロモン王はおそらく大勢のシバの女王の側女と子供をもうけていますし、ユダヤの僧の長子たちも大勢エチオピア入りしていますから、エチオピアが一時期ユダヤ化したとしても不思議ではありません)

■神の刻印/グラハム・ハンコック著
グラハム・ハンコックの「神々の指紋」は日本でも話題になりましたが、その前に同著者が出版した本が「神の刻印」です。「失われたアーク」が本当にエチオピアにあるのかどうか、様々な角度で検証を試みている労作です。エチオピア北部に「ファラシャ」と呼ばれるユダヤ教徒のコミュニティーが存在すること、また、古代ユダヤ教の儀式が現代エチオピアに残っていることなどから、古代のある時点でエチオピアがイスラエルと交流があったことは間違いなく、その原因と経過は熟考に値すると言っています。

また、アークがエルサレムから持ち出されて直接アクスムに届けられたのではなく (その頃アクスム王国は存在しない)、数百年間、タナ湖のある修道院に隠されていた可能性などを、現地の修道僧から聞き出しています。話は複雑ですが、フランスの大聖堂の壁画やヨーロッパで12世紀頃にわかに語られ出した聖杯伝説などを引き合いに出し、ある時期、エチオピアにアークがあるという噂がヨーロッパで密かに語られていたのではないかと、ユニークな推理を展開しています。「失われたアーク」というキーワードがそもそも日本人にはなじみが薄いため、この本を読むのもかなり根気がいることは否めませんが、とにかくいろいろな符号が登場してきて、知的興奮を覚えることは間違いありません。

■で、アークはあるの?
エチオピア人とひと口にいっても、実はイスラム教徒が約半分、キリスト教徒にもオーソドックス、カソリック、プロテスタントといろいろいますので、「アークは間違いなくアクスムにある!」と心の底から信じている人は実はそれほど多くはないようです。せいぜい、「無いと否定する証拠はないから、あるんじゃないか」といったところでしょうか。しかし、「可能性はゼロではないし、もしあるのなら大変な名誉だ」ということは、ほぼ全国民が思っている、いや願っていることでしょう。

ただし、プロテスタントの中には、「あれはユダヤのものだし、あるんだったら発表しないのは変だし、とにかくああだこうだ言われる前にアークで奇跡を見せてみろ」などと悪態をつく人もいるようです。個人的には、是非あってほしいと願います。そして何かのタイミングで発表して、世界をあっと驚かせてほしいです。ただ、そう考える一方で、「アークがあっても世界最貧国だし、むしろ盗み出して罰があたっているのかも」などとため息が出たりもします。いっそのことイスラエルに1兆円くらいで売ってしまえば良いのに…。

写真はアークがあるというアクスムの「シオンの聖マリア教会」、同じくアクスムの「シバの女王の浴槽」、モーセが十戒を授かったとされるエジプトの「シナイ山」です。

156ark1156ark2 156ark3

|

« MacでVista | トップページ | MacでVista (2) »

旅行・地域 エチオピア」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« MacでVista | トップページ | MacでVista (2) »