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2007年2月17日 (土)

ラスタファリアン

■ボブ・マーリー
おそらく日本で一番有名なレゲエのミュージシャン、故ボブ・マーリー。私自身、初めて「Get up, stand up」を聞いたときの衝撃は今でも忘れません。そうして、最初は単に「レゲエって面白い」と思って他のアルバムもいろいろ聴いていましたが、そのうち、「レゲエ命」の友達からボブ・マーリーの思想について少しずつ教えられ、「ラスタファリ」や「アフリカ回帰」などという単語を多少なりとも意識しながら音楽を聴くようになりました。そんなこんなで、ジャマイカ人のラスタファリ主義者は「エチオピアに帰ろう」と言っているらしい、ということだけは頭にインプットされました。それから長い年月が流れ、ある一時期エチオピアに住んだのですから、何かしら縁があったということでしょう。

■ラスタファリズム (ラスタファリアニズム)
これまでラスタファリという単語は知っていたものの、それが実際どんなものなのかは、正直よく分かりませんでした。それに、エチオピアに来たらあちこちにラスタファリアンがいるんじゃないか、と思いっきり勘違いをしていた部分もあります。結論から言うと、エチオピア国内ではラスタファリアンは極めて限定的かつ少数派です。しかし、エチオピア人に「ラスタファリアンて知ってる?」とたずねれば、「あぁ、シャシャマネにいる人たちね」という答えが返ってきます。シャシャマネには、その昔ジャマイカから移民してきた人たちが今でもコミュニティーを作って住んでいるそうです。

ラスタファリズムは、1920〜1930年代に活躍したジャマイカの黒人解放運動家、マーカス・ガーベイが唱えた予言に端を発しています。「アフリカで黒人の王が誕生し、救世主となる」という予言が、その14年後、エチオピアで1930年に即位したハイレセラシエ皇帝のことであると信じられたのです。ハイレセラシエの本名が「タファリ・マコーネン」で「ラス」はその尊称です。それで「ラス・タファリ」。もっとも、よく考えればそもそもエチオピアは3000年近く前から自国の黒人の王で代々やってきたわけですから、突然ハイレセラシエが黒人の王になったわけではありません。その辺りはジャマイカには伝わっていなかったんでしょうか。

それはさておき、ハイレセラシエ皇帝の誕生はキリストの再臨とも受け取られ、皇帝を神 (ジャー) の化身、あるいは神そのものと崇めるようになりました。また、奴隷としてアフリカから連れてこられた黒人にとって、ジャマイカの貧民街は旧約聖書に記されたバビロンそのものであり、安住の地であるザイオン (シオン)、つまりエチオピアに帰ることこそが「解放」であると考えられました。これを称して「ブラック・シオニズム」と言う場合もありますが、ユダヤ人のシオニズム運動とは関係ありません。ただ、当時のジャマイカで社会の底辺に置かれた黒人たちが、「迷えるユダヤ人、失われたイスラエル12支族」を想起し、自分たちの境遇を古代イスラエル人の歴史に重ね合わせたのかもしれません。

ラスタファリズムのコンセプトは「I and I」と「Babylon」だそうですが、果たして「宗教」と言うべきか議論の余地があって、精神世界の重視やナチュラルな生活スタイルなど、どちらかというと「思想」だと言われています。いずれにしろ、根底にあったのは白人 (イギリス) による支配で疲弊した黒人社会の不満でした。この思想を世界に知らしめたのは、ボブ・マーリーなどのレゲエミュージシャンでしょう。彼らのアルバムジャケットにはエチオピア国旗のカラーである緑、黄色、赤がちりばめられ、中には大麻を吸っている写真もありました。楽曲には「ジャー」「ラスタ」「アフリカ」などのキーワードがあふれ、特に初期のレゲエはメッセージ色が強かったと思います。もちろん「レゲエ=ラスタ」ではなく、ボブ・マーリーも政治的な歌以外にストレートなラブソングをたくさん歌っています。

■エチオピアのラスタ
ラスタファリアン、あるいはラスタの外見といえばドレッドヘアー。当時その風貌と思想の過激さから「ドレッドロック」と呼ばれ恐れられていたことが語源のようですが、今ではドレッドヘアーといえば単なるおしゃれとしても立派に成立する、インパクトの強い髪型です。もともとは、体に刃をあてない、つまり髪を切らないという自然なままのスタイルを尊重するところからできたものだそうですが、シャンプーもできないようですし、その思想を貫くにはやはりちょっとした信念が必要?。

エチオピアに赴任したての頃、町で買い物をしているときなど、「あれれ?、ドレッドヘアーが全然いないなぁ」とよくキョロキョロしたものです。よく考えれば当然のことですが、ラスタファリズムは遠い異国の地でアフリカ回帰を切望するアフリカ系黒人たちの運動だったわけで、「生まれも育ちもエチオピアです」という生粋のエチオピア人にとっては正直全く関係ないことです。一説にはこのアフリカ回帰運動には全世界で100万人以上のフォロワーがいるそうですが、あまりエチオピア国内では盛り上がっていません。エチオピア人に聞いてみても、ラスタというのは「特別な人たち」といったとらえ方がほとんどです。

ハイレセラシエ皇帝も、憲法や国語を制定するなど、エチオピアを古代から近代に変貌させたと賞賛される一方で、晩年の行いにはかなり批判が集まり、またその結果クーデターが起き、廃位させられました。「あの時代は良かった」と懐かしがる人こそたくさんいますが、少なくとも皇帝が神であるなどとは、今は誰も思わないでしょう。

エチオピアのラスタと言えば「シャシャマネ」です。南部州アワサの手前にある小さな町ですが、その隣接した土地に昔ジャマイカから渡ってきたラスタファリアンのコミュニティーがあります。現在ではエチオピア人とあわせて500人ほどのラスタが、独特の教義を奉りながら静かに暮らしているそうです。アワサの人に聞いたときも「あまり暮らしぶりは伝わってこないなぁ、それに町の治安が悪いから行かない方がいいよ」と言われて、結局その村を訪れることはありませんでした。ここに住んでラスタファリズムを研究している日本人もいますし、そのうちもっと情報が公開される日が来ることでしょう。

■ラスタの広がり
2005年のことですが、故ボブ・マーリーの生誕60周年を記念して、2月6日にアジスアベバでコンサートが開かれました。レゲエの大物ミュージシャンが多数参加し、「Africa Unite」をテーマにマスカルスクエアーが熱く燃えました。エチオピア航空の機内誌にコンサートの記事が載っていたのですが、その中で、エチオピアに移住してきたジャマイカ人ミュージシャンのことが書かれていました。Teddy Dan は「United States of Africa」などのレゲエCDを出し、イギリスに移住するなど「成功した」人物だったのですが、ラスタファリズムに触発され、資産や家族をイギリスに残し、今ではシャシャマネに住んでいます。

彼は「自分は今 "ホーム" にいるんだ。ジャマイカもイギリスも良い国だったけど、自分はエチオピア人だからね」と誇らしげにインタビューに答えています。ボブ・マーリーも "祖国" エチオピアに帰ることを願っていたそうですが、黒人層に被差別意識がある限り、こうした動きは大きく広がらないまでも将来にわたって連綿と続いていくことでしょう。

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