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2007年9月の48件の記事

2007年9月30日 (日)

タンザニア写真

エチオピアからタンザニアに旅行したときの写真をアップ。セレンゲティではちょうどヌーやシマウマが北に向かって移動している時だったので、それを追うライオンも含め、びっくりするほどたくさんの動物を見ることができました。ヌーの大群にぶつかり車が立ち往生したときは、さすがにちょっと恐くなりましたが。最初はガイドから 「木登りライオンを見ることができたらとてもラッキーだ」 と聞いていたのですが、2日間で合計8頭も見られたのには、「実は木の上につないでいるんじゃないの」 などと罰当たりなことを考えてしまいました。傷ついたハイエナを見たときは、「やっぱり自然て厳しいな」 としみじみ思いました。

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2007年9月29日 (土)

セイシェル写真

エチオピアからセイシェルに旅行した時の写真をアップ。ラ・ディーグ島のほんのりピンク色の砂浜は、これ以上ないほどフワフワの踏み心地でした。なんであんなに柔らかいんだろう。プララン島は、パウダーのように極小粒の真っ白い砂浜で、世界最高のビーチと言われているのも納得。旅行雑記はまた今度。(←大丈夫か!?)

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2007年9月28日 (金)

ケープタウン写真

エチオピアからケープタウンに旅行した時の写真をアップ。もっと食べ物の写真を撮れば良かったなぁ。旅行雑記はまた今度。

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2007年9月27日 (木)

エチオピア料理レシピ: ドロワット

*タマネギ…大3ヶ
*ケベ…3オンス(約85g)
*バルバレ…小さじ4
*鶏モモ肉…8ヶ
*レモン汁…1/4カップ
*ゆで卵…8ヶ

(1) タマネギをみじん切りにして、少量のオイルで飴色になるまで炒めます。

(2) ケベ(エチオピアンバター)とバルバレを加え、さらに水1カップを入れます。

(3) 鶏肉は2カップの水と1/4カップのレモン汁で10分ほど煮込んでおきます。なお、エチオピア人は鶏の皮を食べません。本格エチオピア料理にこだわるなら皮をむいておきましょう。

(4) 鶏肉の水分をよく取りのぞき、タマネギの鍋に入れ、ドロドロのシチュー状になる程度に水を加えたりします。鶏肉に十分火が通ったところでゆで卵を入れ、少し煮込んで完成です。

このレシピは参考例のひとつで、さらにスパイスを足したり、トマトや白ワインを入れたり、どの家庭にも「おふくろの味」があるようです。別のレシピを見ると「ケベ2カップ、バルバレ1カップ」などと急に単位が大きくなっていてびっくりしますが、概して高級レストランほど、バターの量が多く、辛さも激辛になっていくように思います。

ちなみに、ドロワットには辛くないものもありますが(アリチャ/写真の黄色い方)、普通ドロワットと言えば辛いものを指し、おいしさも辛さもエチオピア料理一と言われています。そのため、他のおかずと一緒にインジェラに盛りつけられるときも、いつも真ん中はドロワットの席と決まっているようです。

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エチオピア料理レシピ: ケベ

*無塩バター…1ポンド(約450g)
*タマネギ…1/4カップ
*ニンニク…2片
*ショウガ…小さじ2
*ターメリック…小さじ1/2
*カルダモン…4粒
*シナモンスティック…1本
*クローブ…2粒
*ナツメグ…小さじ1/2
*フェヌグリーク…小さじ1/2
*バジル生葉…1枚

(1) バターを鍋に入れ、表面が泡で覆われるまで熱します。

(2) スパイスを鍋に入れ、蓋をせずにごく弱火で45~60分火にかけます。

(3) バター表面が透明になったら火から下ろし、荒い布でこしながら、耐熱容器に移します。冷蔵庫に保管し、2ヶ月以内に使い切ってください。

ケベ(エチオピアンバター)はいいろなエチオピア料理に使われるだけでなく、保湿剤として肌や髪に塗られたりもします。このレシピは参考例のひとつで、実際は各家庭でスパイスの種類や調合を変え、好みのものを作っています。

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エチオピア料理レシピ: バルバレ

*ショウガ…小さじ1
*コリアンダー…小さじ1/2
*カルダモン…小さじ1/2
*フェヌグリーク種…小さじ1/2
*ナツメグ…小さじ1/2
*シナモン…小さじ1/4
*クローブ…小さじ1/4
*オールスパイス…小さじ1/4
*塩…小さじ2
*カイエンペッパー…1と1/4カップ
*黒こしょう…小さじ1
*パプリカ…1/2カップ

(1) ショウガからオールスパイスまでの材料をフライパンに入れ、4~5分、焦がさないように煎ります。

(2) 塩、カイエンペッパー、黒こしょう、パプリカを入れ、10~15分、焦がさないように煎ります。

(3) 冷蔵庫に保管し、6ヶ月以内に使い切ってください。バルバレはいいろなエチオピア料理に使われ、焼いた肉にそのまま付けたりもします。

このレシピは参考例のひとつで、実際は各家庭でスパイスの種類や調合を変え、好みのものを作っています。なお、カイエンペッパーの定義はいろいろとあるようですが、要は辛い唐辛子のことです。

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エチオピア料理レシピ: インジェラ

*テフ…1ポンド(約450g)
*水…600ml
*イースト…小さじ1

(1) 製粉したテフと水を混ぜます。初回は補助的にイーストを使います。次回のために50mlほどこの溶液をとっておきましょう。次回は発酵を促すためにこの溶液を混ぜます。

(2) 溶液を24時間室温で放置します。1日たつと、発酵して泡が立ち始め、インジェラ独特の風味と酸味が生まれます。エチオピア人も人によって、テフ粉を水に溶いて1日目のもの(酸味が少なくマイルド)、2日目のもの(酸味と風味のバランスが良い)、3日目のもの(酸味が強くなっている)と、自分の好きな発酵具合にこだわりを持っているそうです。

(3) 大きな平たい鉄板を熱し、トロトロのテフ溶液を上から回し入れます。1人前は直径60cmくらい。焼くというよりはジワジワと熱する程度の火加減にし、山笠のような大きな蓋をかぶせて蒸し焼きにします。2分くらいして表面がブツブツのクレーター状になって固まったらインジェラの出来上がり。片面しか焼きません。焼いた面にも焦げ目はつきません。インジェラにも何色かありますが、普通インジェラと言えば灰色のものがほとんどです。

(4) 十分に冷ましてから、直径50cmくらいのお盆にインジェラのブツブツを上にして広げます。ドロワットなどを乗せ、インジェラを右手でちぎり、おかずをなすり付けたりくるんだりしながらいただきます。

1枚のインジェラをクルクルと巻いてから、4等分くらいににぶつ切りにした状態でも出されます。これを見ておしぼりと勘違いする外国人もいるそうです。なお、一連のレシピはEthiopian Restaurant.comを参照しました。(注:別のサイトではテフ1と水4を混ぜ4日間発酵させ、焼く前にお湯1を混ぜる、とも書かれていました。さすがにインジェラは自分で焼いたことがないので、実際のところどうなのかわかりません。恐縮です)

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2007年9月26日 (水)

コーヒーハウスの驚異

写真のブンナベット(コーヒーハウス)に限らず、丸いドーム上の屋根を持ったレストランや建物はあちこちで見ることができます。エチオピアの伝統的な家屋を模したもので、単純に言えば、大きな傘を立て、回りをぐるりと壁で囲んだだけの構造です。日本のように吊り天井にもしません。写真のブンナベットに、初めてブンナ(コーヒー)を飲みに行ったときのことです。内部の直径は4mほど。中央にコーヒーセレモニーのセットが置かれ、乳香が焚かれています。壁に寄りかかるようにぐるりと座った我々一行。向かい側の人とはけっこう離れていますから、つい大きな声で話しかけていました。しばらくして、私は隣の人と話していたのですが、なにやら変な声が耳の後ろから聞こえてきます。

思わず丸いドーム状の天井を見上げキョロキョロしていると、それを察して向かいに座っていた人が「こちらの声が良く聞こえるでしょ」と言ってきました。確かに、向かい側で普通に話す声が、頭の上からはっきりと聞こえてきます。なんとも驚きですが、声が天井のドームを伝ってこちらに届いているようです。向かい側との会話には苦労しませんが、逆にひそひそ話もできません。果たしてそれは計算し尽くした上での設計なのか、それとも結果的にこうなったのか。いずれにしろ、エチオピア人はこの特性を有効に利用しているということです。

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コーヒーセレモニー

コーヒーセレモニーはエチオピアの伝統的な習慣で、日本の茶道のように、コーヒーを飲むことを儀式化したもてなしの作法のひとつです。手順は大体次のようなものです。

(1) 青草を敷き、セットを設置する。
(2) 乳香などのお香を焚く。
(3) コーヒーの生豆を鉄鍋で煎る。
(4) 煎り上がった豆の香りを客にかがせる。
(5) 豆をつぶして粉にする。
(6) 水とコーヒー粉をポットに入れ火にかける。
(7) おつまみにポップコーンなどを食べる。
(8) 1煎目、2煎目、3煎目まで飲む。

一般家庭に呼ばれた時だけでなく、エチオピアレストラン、ホテル、ブンナベット(コーヒーハウス)などに行けば、どこでもコーヒーセレモニーを楽しむことができます。また、コーヒーをいれるのは女性と決まっています。2煎目、3煎目のコーヒーには、砂糖ではなく塩やバターを入れることもあります。私が最初に塩入りコーヒーを飲んだのは、南部州アワサでのことでした。こってりしたエチオピア料理を食べた後に飲むしょっぱいコーヒーは、意外にさっぱりしていて違和感なく飲めました。これはこれで十分「あり」だと思いました。

アムハラ州に出張に行ったときのこと、いつものようにトラブルが発生し、動かなくなった車を路上に残し、10分ほど歩いてたどり着いた小さな村で電話を借り、救援が来るまでブンナベットで休むことにしました。見慣れぬ外国人の姿に、コーヒーをいれていた女性も普段より緊張気味の様子で、一緒に行った現地人スタッフに「どこの国の人?、日本人!?、初めて見た!!」などとしゃべりかけていたそうです。しばらくして運ばれてきたコーヒーは、カップの縁いっぱい。慎重に口に運び、ちびりと一口すすりました。すると、なんとも言えない不思議な味です。思わず首をかしげていると、スタッフの1人が女性に「ちゃんといれたの?」と聞いてくれました。その女性曰く、これは3煎目のコーヒーで塩を入れてあったのだけど、外国人だからサービスで砂糖も足してみた、とのことでした。それでなんだかよくわからない味になっていたのです。

ここはついでにと、「ケベ(バター)も入れて」と頼みました。実はその時までバター入りのコーヒーは試したことがありませんでした。思わぬ「通」な申し出に、まわりのエチオピア人も「あんたわかっているね!」と一気にテンションが上がりました。そして黄色いドロッとしたバターをカップに入れてもらい、少しかき混ぜつつ一口飲んでみると、なんだかそれはコーヒーというよりも、ほとんどスープのような味になっていました。そりゃそうです。塩、砂糖、バターが入っているんですから。シチュエーションは選ぶかもしれませんが、やっぱりこれはこれで「あり」かなと思いました。

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2007年9月25日 (火)

ケベ (エチオピアンバター)

エチオピア料理は独特の香りを持っています。それはケベ(バター)とバルバレ(赤唐辛子)によるもので、とても食欲をそそる香りです。トゥブス(カット肉の炒め物)くらいなら自分でできるだろうと、必要なハーブを買ってきて家で料理をしてみるのですが、やはりどこか物足りない。スーパーで売られている普通のバターでは、あのコクがどうしてもでないのです。エチオピア料理には、やはり風味豊かなケベが欠かせません。ケベは、料理だけでなくコーヒーにも入れますし、保湿のため髪や体に塗ったりもします。エチオピア人は、実は乾燥肌の人が多いらしく、特に女性はケベを使ったボディケアに余念がないそうです。そのため、路線バスに乗ると当然のようにケベの匂いが充満していて、疲れているときはちょっとげんなりしてしまいます。窓を開けたいところですが、空気が流れ込むところには悪魔が居着くという迷信があるので、誰も開けようとはしません。

ある年のイースターに、ドバイに買い出しに行ったときのこと。飛行機の座席は3列シートの真ん中、両側は若い女性でたぶん知人同士でした。飛行機が飛び立ち、しばらくして機内食が配られると、両脇の2人組はそれを断り、足下のカバンからタッパーを取り出し、中に入っていたインジェラをくるくると巻いたサンドイッチをふたつに割り、分け合って食べ始めました。「機内食を断ってインジェラかぁ」と感心していると、そのうち、1人が別のタッパーを取り出し、半透明のベトベトしたものを手に取り腕や足に塗り始めました。「これが噂のケベ塗りか!!」となんだかうれしくなってしまいましたが、やはり独特の匂いがするんですよね。エチオピア国内ならまだしも、外国でそれをやるのはどうかなと思わないでもありませんでした。

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ルーシー

アジスアベバ大学のすぐ近くに、エチオピア国立博物館があります。土日もオープンしているので、週末には外国人の来館者もたくさん見られます。国立博物館にしては規模が小さいのですが、とにかくここを有名にしているのは、最初期の人類の仲間の化石、通称「ルーシー」です。ルーシーは、1974年にエチオピア北東部のアファール地方で発見されたアウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人)の化石のニックネームで、当時のヒット曲 "Lucy in the sky with diamond"(ビートルズ)にちなんでつけられました。約350万年前の、20才くらいの女性だそうです。チンパンジーにくらべ骨盤が短く幅広いこと、そして膝に向かって傾斜する大腿骨を持っていることから、二足歩行に適応していたと考えられます。

実はルーシー以外にも、1994年にアワシュ川中流域のアラミスで発見されたラミダス猿人(アルディピテクス・ラミダス、440万年前)や、2001年にミドルアワシュで発見されたラミダス猿人亜種(580万年前)の化石など、超がつくほどの貴重品があるのですが、陳列棚にひっそりと置かれているため、あまりすごさがわかりません。もっと宣伝したら良いのに…。なお、数年前、ルーシーが生存していた350万年前の地層から、別系統の化石がケニアでも発見されました(ケニアントロプス・プラティオプス)。現在も、どちらの猿人が現世人類の直接の祖先なのかはわかっていません。ただ、いずれにしろ人類の起源はアフリカのようです。

2005年は愛地球博の年でした。この間、エチオピア政府もいろいろな物を出展していて、ルーシーも日本に運ばれました。しかしルーシーの本物は国宝であり当然門外不出。通常は国立博物館でさえレプリカを陳列しています。日本に持っていったのは実はレプリカの方で、その代わりに、アジスの博物館では半年間本物を飾っていたという噂を聞きました。この時私が博物館で見たものは、もしかして本物だった?。

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2007年9月24日 (月)

謎メール

ちょうどエチオピアがミレニアムの新年を迎えた頃、日本から「そちらに送ったメールが、エチオピアのメールアドレスに送れなかったというメッセージとともに送り返されて来た」という不思議な連絡をもらいました。1年前、エチオピアを離任する時に、インターネットプロバイダーにはちゃんとレターを出してすべて処理してもらったので、なぜ離任から1年もたったこの時期に、こんなことが起きるのか不思議でなりませんでした。大体、エチオピアは離任に関してとてもうるさい国です。電話代、電気代、水道代、家賃、免税で買った物品の処理、銀行口座閉鎖、使用人への退職金、車の売却、すべてのIDの返却等々、身辺整理を完璧に行わないと、2004年までは出国ビザが取れませんでした。昨年の離任時は、出国ビザは不要になっていましたが、やはりこの辺はかなり気を使って、すべて処理しました。空港で係官に「おたく、家主からクレームがついているね、出国できないよ」みたいなことだけは言われたくなかったからです。この時は、疑問に思いながらも、パソコンのウイルスチェックを行うにとどまりました。

それから2日後、今度は自分にCCで宛てたメールが、同じように「エチオピアのアドレスに送れなかった」と返信されてきました。いろいろ考えたのですが原因がわからず、またその現象も1度きりで終わったので、「ま、いっか、ミレニアムの呪いだな」と納得することにしました (本当は、当時日本からエチオピアに来たメールのアドレスがサーバーに残っていて、それが流出してどこかの業者が迷惑メールを送っている、と思いました)。もちろん、もう一度ウイルスチェックだけはしました。その後も毎日10通ほどメールを受け取っていたのですが、特にそのような現象は報告されませんでした。しかし1週間後、別の人が同じメールを受け取るに至って、ようやく「やっぱり技術的な問題だ」と思い直し、エチオピアのプロバイダーのサイトに行ってチェックすることにしました。

結論から言うと、まだエチオピアのメールアドレスは生きていました。エチオピア滞在中は、ニフティサーブに来たメールをエチオピアのアドレスに転送するよう設定していたのですが、その設定を停止するのを忘れていたため、結局この1年間、約1800通のメールがずっとエチオピアに転送され続けていました。サウジではこのNiftyのメールを使っているのですが、今回、エチオピアのメールボックスが制限容量である50MBに達したため、私(Nifty)に宛てたメールがエチオピアに転送されても向こうで受け取れず、そして「送れませんでした」というメッセージが返信されたわけです。いやぁ、スッキリした(でもこの10日間で100通くらい受け取ったのに、数件しか発生しなかったのは何故?)。しかしエチオピアのアドレスはなんとかしてほしいなぁ。こちらから連絡すると「1年分の料金を払ってください」とか言われそうだし… (さすがにログインIDは削除されていると思いますが)。うーん。ま、いっか。(←じゃダメなんだけど…)

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長距離王国

アジスアベバで11月に行われた「グレートラン」。マスカルスクウェアを中心に10kmを走るこのイベントに、2万人が参加しました。高度2400mだから相当きついです。この中に将来の金メダル候補がいるんでしょうね。プロになったとき、それ1本に拘束されてしまうマラソンは実は不人気で、10000mや5000mなどに複数エントリーする選手が多いのだとか。

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2007年9月23日 (日)

マスカル祭

エチオピアでは9月11日のお正月に続いて、9月27日には「真実のクロス(マスカル)を発見した日」を祝う「マスカル祭」を行います。西暦326年、コンスタンチン大帝の母である聖ヘレナが、キリストが磔にされた十字架を発見したことを祝い、始められたことだそうで、この時代から実に1600年も続く、大変由緒正しい祭礼です。中世の時代、アレキサンドリアの大司教はエチオピア皇帝ダーウィットに、コプト教を擁護した礼として、真実のクロス半分を渡したとされています。そしてこれは、アジスアベバの北483kmに位置するウェロ地域の山中にある、ギッシェン・マリアム修道院のエグザビエル教会にあるそうです。この修道院には、ゼラ・ヤコブ(1434-1468)皇帝の時代に書かれた「テフト」と呼ばれる大量の文献が残されています。そこには、粉々になったクロスがどのように集められたかが語られているそうです。

マスカルとは、十字架(クロス)を意味すると同時に、この時期いっせいに咲く黄色い花の名前でもあります。6月から続いた暗くて寒い雨期が明け、9月はだんだんと暖かくなってくる季節です。畑にまいたテフの種も旺盛に若葉をのばし、アジスアベバはマスカルの黄色い花でおおわれます。日本でいえばまさに春爛漫。4月のイースターとともに、1年のうちでもっとも結婚式が多くなる時期です。マスカル祭では、アジスアベバのマスカルスクウェアに作られる巨大な松明を筆頭に、全国各地で松明が焚かれます。ふだんは根暗で深刻な顔つきのエチオピア人も、9月はどこかうれしそうです。私にとっても、9月は1年で一番好きな季節でした。

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エチオピアのお正月=9.11

どの国もそうですが、お正月はやはりそれなりの決まった過ごし方があります。エチオピアの場合、大晦日、つまり1月10日の夜には、どの家でも決まって松明を焚きます。我が家の近所でもあちこちで松明を焚くものですから、この日はいつも煙っぽくてむせるほどでした。2005年(エチ暦1998年)、2006年(エチ暦1999年)は、アジスアベバで一番の豪華ホテルであるシェラトンが、深夜12時に花火を打ち上げました。ちなみに、エチオピアでは朝6時が0時として1日のスタートです。シェラトンの花火も「夜6時の花火」として皆が楽しみにしていました。だいたいどの家も番犬を飼っているので、花火があがると驚いた犬がワンワンと吠えます。犬の鳴き声がまた別の犬の遠吠えをさそって、一晩中うるさくて仕方ありません。大きなレストランやディスコでは年越しパーティーが開かれ、きっとすごい盛り上がり方なのでしょうが、鼓膜が破れそうなほどの大音量で延々と流されるエチオピア音楽を想像すると、どうしても行こうという気にはなりませんでした。

明けて新年1月1日(西暦9月11日)、日本ではおせち料理と決まっていますが、こちらではもうなんといってもドロワットです。タマネギを何キロもきざんで香辛料と一緒にじっくり炒め、鶏肉と一緒に煮込んだドロワットは、辛さもおいしさもエチオピア料理一と言われています。この日、家族や友人、恋人などに、ドロワットを手で食べさせてあげること(グルシャと言う)は、とても大切な意味があるといいます。ちなみに、お正月は街に人出も少なく、アジスアベバも閑散としています。皆家で親しい人とゆっくり過ごすようです。また、子供たちが家々を回り、おめでたい歌を歌ってお小遣い稼ぎをすることもあります(我が家にも来ました/写真)。さて、町中はいたって普通の休日といった趣の中、ホテルやお土産物屋では、スタッフが普段の制服や洋服ではなく、エチオピアンドレスを着ておめかしをしているのが見られます。こういうのを見て、初めて「お正月なんだなぁ」と実感しました。写真は近所のホテル従業員。「まったく、お正月になんで働かなくちゃいけないの。あら、カメラ持ってるわね。ちょっとみんなぁ!、写真撮ってもらおうよ!!」 ということで、ほとんどその日いたスタッフ全員の写真を撮影する羽目になりました(もちろんプリントもあげました)。

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7年遅れのミレニアム

世界にはいろいろな暦があります。三大暦法としては、太陰暦(イスラム暦=今年1428年)、太陽太陰暦(ユダヤ暦、日本の旧暦など)、太陽暦(グレゴリオ暦など)があげられますが、さらに各地で、伝統や宗教的価値観によって、独自の暦が存在します。エチオピアもまた、独自の暦を使い続ける国のひとつです。エチオピア暦は、一般的には「ユリウス暦」だと言われています。ユリウス暦は、その名の通りユリウス・カエサルが紀元前45年に制定した暦ですが、歴史的に各地に伝播していく過程で、その土地によって様々な改変が行われていきました。今でも東方正教会が祭礼のため利用していますが、教会によって紀年も異なれば年始も異なるようです。エチオピア暦では、西暦の9月11日が年始にあたります。そして西暦2007年9月11日は、エチオピアではミレニアムにあたる2000年1月1日なのです。

エチオピア暦の1年の日数は365日(閏年は366日)です。そのため、イスラム暦(太陰暦)などとちがって、年数が西暦に近づいていくことはありません。つまり西暦の9月11日は、毎年エチオピア人のお正月ということになります。2001年、アメリカで起きた同時多発テロの日、いつもはワールドトレードセンターで大勢働いているはずのエチオピア人が誰もいなかったことから、当初アメリカの治安当局は、エチオピア人の犯行を疑ったといいます。なんのことはない、エチオピア人は皆仕事を休んで、新年を祝っていたのでした。エチオピア暦が独特なのは、1年が13ヶ月だということです。1月から12月はそれぞれ30日、そして5日間の13月(パグメ)があります(閏年は6日)。月によって30日だったり31日だったり、2月にいたってはなぜか28日などと規則性に欠ける西暦よりも、エチオピア暦の方が断然シンプルではないでしょうか。

エチオピアは今、ミレニアムのブームに沸いています。アジスアベバなど都市部で建築ラッシュが起きていて、国中でセメントが不足しているそうです。欧米に移住した人たちが海外から投資をしているのはここ数年の傾向ですが、エチオピア暦2000年という節目がさらに投資熱をあおり、地価や家賃、ホテル代が大幅に上がっていて、人々はこれをミレニアム価格と呼んでいるそうです。ある種のバブルですね。ミレニアム、つまりキリストの千年王国と言っているわけですから、エチオピア歴も基本的には今の西暦と同じくイエス・キリストの生誕年をもとにしているようです。しかし、その歴史解釈の違いからか、このような年数のずれが生じています。しかも、キリストの誕生日は(西暦の)12月25日ではなく、1月7日だとされているため、エチオピアのクリスマスは毎年1月7日なのです。この微妙なずれが、逆に真実を物語っているような気がしないでもありません。

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2007年9月22日 (土)

エチオピア人とハム (2)

日本から来た人をアジスアベバの飲み屋さんに連れて行ったときのこと。そこは通りの両側に小さな店がたくさん建ち並ぶ所で、入った店も6畳ほどの狭い店でした。店内にはカウンターがあり、スツールが2脚。そこに2人で腰掛けビールとアンボを注文すると、ほどなく年配の紳士然としたエチオピア人が入ってきました。渋いジャケットを羽織った紳士は、すでにほろ酔い加減。良い調子で店のマダムに冗談を飛ばしています。ウイスキー(1杯10ブル=130円)を受け取ると、こちらにも「乾杯」という仕草をして、にこやかに挨拶をしてくれました。店内に流れる、まるで日本のムード歌謡か演歌のようなエチオピア音楽に耳を傾けていると、そのうち彼は、右手をジャケットのポケットに入れ、何かをまさぐり始めました。見るとはなしに見ていると、ひらひらしたものが右手につかまれて出てきました。薄暗い店内のこと、ティッシュでも取り出したのかなと思っていたら、紳士はおもむろにそのひらひらしたものをパクリと食べたのです。

私は一瞬何が起こったのかわからず、思わず「えぇっ!?」と身を乗り出してしまいました。アムハラ語ができる私の連れが、驚いた様子で「ムンドゥンノー!?(何なの!?)」と声を上げると、その紳士はわずかに微笑みながら、「ハムだよ、ハム。お酒を飲むときは何か一緒に食べなきゃ」と、少々自慢げに語りかけてきました。「ポケットに直接ハムのスライスを入れてるの?」と彼が続けざまに質問すると、紳士は少し表情を硬くして「まさか。ちゃんとくるんでいるさ」と、ポケットの中から透明なビニールに雑にくるまれたスライスハムを取り出し、私たちに見せてくれました。「食べてみる?」と差し出されましたが、そこは丁重にお断りさせていただきました。ポケットにスライスハムを忍ばせて飲み屋に来るのは果たして紳士かという議論はあるものの、携帯食としてのハムを有意義に活用しているという意味においては、私たちより一歩先に行っているなという気はしました。あまり追いつきたくはありませんでしたが…。

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ドロファンタ

長い間探し求めて、ようやく食べることができた「ドロファンタ」。ミザンタファリで初めて食べたそれは、しかしドロ(鶏)と名がつくわりには、ヒツジの骨付き肉が1本どーんと入っているものでした。一緒にいたエチオピア人に「ドロなのになんで?」と聞きましたが、その時は答えてはくれませんでした。それから3週間ほどして、今度はアワサのレストランでメニューにドロファンタを見つけました。ある時はあるものですね。すかさずそれを頼むと、しばらくして出てきたものは、なんだかどう見てもドロワットのような…。

一口食べて「やっぱり鶏肉だなぁ」とうつろに考えていると、ミザンで一緒だったエチオピア人が「ファンタ」は「~のかわり」という意味だと教えてくれました(あの後調べてくれたのか?)。だから、ドロファンタは「鶏肉のかわりに(ヒツジ肉)」ということなのでした。いや、そうすると、この目の前にあるドロファンタはどう考えても普通のドロワットだからおかしいんじゃないか。店員が単に間違えたのかな(←しょっちゅう)、とも思いましたが、とりあえず美味しかったので不問にしました。

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相づち

エチオピア人は、相づちを打つとき、あるいはYesと答えるとき、「ハッ」と息をのみます。赴任直後からそうでしたが、結局最後までずっと違和感がありました。ハッと息を飲むのは相手に自分の息を吹きかけないためで、とても礼儀正しい行いだそうですが、話しているこちらも思わずハッとしてしまい、いつも息がつまるようなが気がしました。長い時間をかけて形成された伝統文化を否定する気はありませんが、いつまでたっても慣れなかったのは事実です。(いや、ここまで違和感があると、ある時代に皇帝かなんかが突然「やれ」と言って始まってしまったことかも)

また、エチオピア人は日本人と同じく会釈をします。これは良いですね。なんだかものすごく親近感を感じました。「会釈は間違っていなかったんだ!」と、自国の文化に自信のない典型的な日本人である私などは、小躍りして喜んだものです。それまでずっと中東のイスラム諸国に住んでいたため、「頭を下げる相手は神のみ、むやみに会釈をする日本人はおかしい」とさんざん白い目で見られてきたので、エチオピアではちょっと心が和みました。

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ありがとう

アムハラ語で「ありがとう」は「アマサッグナッロー」と言います。ただ、聞くところによると、この言葉ができたのはわりと最近なんだそうです。最近と言っても30年前なのか100年前なのかは知りませんが、そう言われてみれば、日本語のありがとうもわりと新しい言葉のような気がします。時代劇では「かたじけない」とか言っているし。私も日本の田舎では、あまりありがとうを言わなかったように思います。むしろ「すみません」とか「悪かったですね」を使っていました。エチオピアも日本も、近代になって地域間の交流が日常的になり、あるいは諸外国との交流も一因かもしれませんが、「ありがとう」とひと言で言えるフレーズが必要になってあわてて作ったのかもしれません。

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鳥インフルエンザ

2004年、エチオピア南部のグラゲ地区で数千羽の鶏が死んでから数ヶ月後、検体をイタリアに送りくわしく検査をした結果、鳥インフルエンザではなかったことが判明しました。それにしても国内では政府の広報が行き届いているようで、大人も子供も鳥インフルエンザにはかなり敏感になっていました。ある小学校では、校庭に小鳥の死骸があったため、生徒がパニックになったと聞きました。また、お弁当に卵焼きを入れていった子供は、同級生から「食べちゃダメ、死んじゃう!」と涙ながらに訴えられたそうです。少し情報が間違って届いていますね。

政府の広報は、「死んだ鳥には触らない」「火を通した卵や鶏肉は問題ない」と言うのと同時に、「ドロワットは大丈夫」と言うことも忘れません。ドロワットは、タマネギを香辛料と一緒に炒め煮したソースに鶏肉を入れた、どろっとしたシチューで、お正月やお祭りの時には欠かせないご馳走です。通常1羽20ブル(260円)程度の鶏が、イースターの時などは一気に50ブルに値上がるのが常です。その年は鳥インフルエンザを恐れて鶏肉を買い控えする人も多くいましたが、逆に鶏の流通量が減って、値段的にはあまり変わりはありませんでした。ちなみに、エチオピア人は宗教的な理由から、空を飛ぶ鳥は食べません。そのためか、エチオピアの野鳥はあまり人を恐れないように思います。

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2007年9月21日 (金)

エチオピア人とハム (1)

エチオピア人スタッフ3名と出張に出ていたときのこと。夕食の話題が健康から食べ物、そしてお肉のことになり、「豚肉はおいしいんだけどエチオピア人はあまり食べないねぇ」と私が切り出したら、ゲタッチョさんは「豚肉がおいしい?」とかなり不満顔。すかさず「いや、ハムには豚肉がぴったりでしょ」と言うと、今度は「ハムって何??」といぶかしげに聞いてきました。「えーと、豚肉の塩漬けで、保存がきいて、えーと…」私が口ごもっていると、アジスアベバ出身のテショメさんが助け船を出してくれました。「ほら、サンドイッチにはさんで食べるやつ」と説明していますが、ゲタッチョさんは「サンドイッチねぇ…」と腑に落ちない表情でした。

彼は大学も出ており、ある役所のトップにもなったことがある、言うなればエチオピアの中ではインテリです。それがハムを知らないというのはどういうことでしょうか。ホテルの部屋に帰ってからじっくりと考えてみましたが、彼の住む土地に、やはりハムは売っていないということなのでしょう。肉は肉屋で、野菜は八百屋で、牛乳は牛乳売りから買う生活です。今やハムは、単なる保存食からすでに嗜好品になったと言っても過言ではありませんから、こういう手の込んだ加工品は先進国のみの産物なのかもしれません。まぁ、ハムがなくたって人生にはなんら問題ありませんし、ある意味とてもナチュラルな生活ですね。ちなみに、一度彼に日本酒をあげたら、一言「何だこれ?」と言ってコップを置いてしまいました。ハムをあげてもきっと喜ばないだろうなぁ。食に関しては超保守的な人みたいです。

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エチオピア風ピザ?

オランダ人とエチオピア南部州の州都アワサに行ったときのこと。町一番と評判のレストランに行き、彼がピザを頼みました。お店はかなり繁盛しており、客でほぼ満席です。20分ほどして、店員が少し険しい顔で近寄ってきました。申し訳なさそうに「チーズがなくなってしまったんだけど」と言います。こちらはウーンとうなって、仕方なく「メニューを…」と言いかけると、間髪入れずに「チーズなしピザで良いか?」と聞いてきました。それこそこちらは開いた口がふさがりません。「Pizza without cheese」など我々は聞いたことがありませんでした。しかしそこは陽気なオランダ人。ニヤリとしながら「OK」と大きくうなずきました。

15分ほどして、来ました「チーズなしピザ」が。見た目は、ま、生地の上に具が乗っているという、当たり前と言えば当たり前の姿。味は、生地と具がいつもよりよけいに焦げていて、その香ばしさが、正直おいしかったです。さっぱりしていて後味も最高。その後、なぜかまわりの客にも次々とチーズなしピザが運ばれていたので、実は普段からけっこうあることなんだと思いました。で、味も悪くないとお店側も知っていたんでしょうね。いっそのこと正式なメニューにすれば良いのに。きっと流行るぞ。

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アンボ

エチオピアで炭酸水といえば「アンボ」につきます。エビアンと同じように地名がそのまま商品名で、アンボという土地でわき出す泉の水を瓶詰めしたものです。一口飲むと、炭酸が多いため口の中で暴れる感じ(?)で、ちょっとワイルドな口当たりです。エチオピア滞在中、一体何本のアンボを飲んだか。きっと軽く500本は飲んでいると思います。一時期気になったのは、わりと続けざまに「鉄の味がする」アンボに当たったことです。たぶん王冠がさびていたんだと思いますが、もしかしたらアンボの瓶詰め工場のラインに何か異常が起きていたのかも。

もうひとつ気になるのは、アンボのラベルです。ラベルが上下していたりはがれたものはごく普通に目にしますが、極端に曲がっているものがあったり、ひどいときは表裏逆に貼られたラベルもあります。数万本の生産体制でしょうから、ラベルは当然機械で貼り付けていると思っていましたが、もしかして人の手で貼っているのでしょうか。ラベルを貼る機械よりも人件費の方が安い、というのはエチオピアなら十分考えられますし。ちなみに、赴任したての頃、洗濯機はどこで買えますかと前任者に聞いたら、「使用人を雇った方が安くつくよ」と言われ驚愕したことがあります(←実際はそんなことはありません)。

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2007年9月20日 (木)

出張は冒険だ!? (6)

■ホサイナ到着
車はひたすら走り続け、ようやくソドとホサイナの分かれ道まで来たときには、時間はすでに午後1時近くになっていました。本当ならここに着くのは1時間ほど前の予定でしたが、予想以上に起伏が激しいルートだったので、計算よりも時間がかかってしまったのです。それまでは、分かれ道を右に折れ、ソドに立ち寄っておいしい昼食をと思っていたのですが、少しでも時間を節約するため、左折してホサイナ側に向かうことにしました。しかしここからが大変でした。道路工事のためいきなり迂回路になっていましたが、表面の土が完全にパウダー状になっています。時速20km程度で走っても土煙をもうもうとあげるので、前を走る車とは100m以上あけないと前が見えません。また、対向車とすれ違うときも土煙によって視界が完全に遮断され、その場に一度止まらなければなりませんでした。

こんな感じでずっとゆっくり走らざるを得なかったため思うように走行距離がのびず、30分走ったところでひとまず休憩して昼食をとることにしました。この日は金曜日でツォム(肉、卵、乳製品を食べない日)だったので、最初は肉料理はないと言われました。同行したスタッフ3人のうち、1人はオーソドックス(エチオピア正教)なのでツォムを守る人ですが、あとはプロテスタントとイスラム教徒で、ツォムは関係ありません。もちろん私に気をつかってくれた部分はあったと思いますが、なぜかオーソドックスの人が店主に苦情を言い出し、しばらくもめた後、ついには肉料理の注文をとってくれました。個人的には、そんなにごり押ししないでもらいたいのですが、まぁこれもエチオピア人の食事にかける情熱ということで、ここはありがたく肉を食べさせてもらいました。

そこからの道は、いささかうんざりするほどの悪路でした。道路工事は延々と続き、ひたすら迂回路です。ランドクルーザーの車体がギシギシと悲鳴をあげるほどの悪路があちこちにあり、そのたびに徐行運転を強いられました。結局ホサイナに着いたのは午後4時で、ここからさらにゾーン事務所への挨拶や、一緒にワークショップに行ってくれる担当者を探すなどして、なんとか1軒目を見ることができたのは、もう5時近くになっていました。最終的には4軒のワークショップを見ることができ、所期の目的を果たすことができましたが、そのうちの1軒で見た手作りの溶接マスクと作業環境には、地方の小さな町工場の実態が現れていると思いました(写真)。

■大団円
仕事が終わったのは6時半過ぎで、そこから今晩のホテル探しが始まりました。いつものように、まずは町で一番良いホテルに行ってもらいましたが、値段が140ブル(1800円)もして、かつ外国人居住者割引もないとのことでした。昨日泊まったジンマのホテルはもっと格上なのに値段はずっと安かったこともあって、せめて居住者としていくらか割引するよう交渉しましたが、まったく受け入れてもらえませんでした。実はこの値段でも宿泊費の範囲内なのですが、ここであっさり引き下がってしまうのはなんだかくやしくて、とりあえず次のホテルに連れて行ってもらうことにしました。それから何軒か見ましたが、結局他のスタッフと同じ25ブル(300円)のホテルに泊まることにしました。部屋にはシャワーも付いています。テショメさんが「水が出るか確認した方が良い」と言ってシャワーの蛇口をあけると、ザーザーと水があふれ出ました。

このホテルはレストランとしてもなかなかの評判だったので、案内してくれたホサイナ事務所のスタッフを招待して、みんなで夕食をとりました。とにかくのどが渇いていたので、アンボ(炭酸水)を「カズカッザ (Cold)」と注文しましたが、実際に来たのは少し冷えているかなくらいのアンボでした。それに気が付いたスタッフたちが、「カズカッザと言っただろ」といつになく強い口調で店員に苦情を言うと、店員も負けずに「これはカズカッザだよ」と言い返してきます。私は「まぁこれしかないんだったらこれでいいよ」と言って店員にフタを開けさせましたが、その場は一気に険悪な雰囲気になってしまいました。店員も「スミマセン、これしかないんです」くらい言えば丸く収まるのにと思いますが、途上国では「スミマセンを言ったら負け」という普遍的な法則があるようで、そんな殊勝なことを言う店員は滅多にいません。

さて、道中いろいろありましたが、とにかくやるべきことはすべてやりました。へとへとに疲れていましたが、気分は爽快、最後の晩餐をおいしくいただくことができました。そうして、明日の出発の時間を確認し、8時半に部屋に戻りました。すぐにでもベッドに倒れ込みたいほど疲れていましたが、身体も汗だくです。面倒でしたがなんとか気を取り直し、シャワールームに入りました。しかし蛇口をひねると、さっきあれほど激しくほとばしっていた水が、一滴たりとも出てきません。お湯の蛇口かなと思ってそちらもひねりましたが、やはりうんともすんとも言いません。さては、さっき出たのが最後の水だったのか…。まぁ、ホサイナは水に困っている土地ですから、それも仕方ありません。服を着直し、ホテルの調理場に行って、タオル(自前)に水をたっぷりふくませてもらい、それを部屋に持ちかえりあらためて身体を拭きました。こういうのも、ずいぶん慣れっこになりました。アンボで顔を洗ったときよりはましです。

翌日、早朝ホサイナを出発。まず1時間ほど道路工事による迂回路を走りましたが、その後は立派な舗装道路ができており、それからはあっという間の道のりでした。何日間も車に乗りっぱなしでしたが、久しぶりに揺れない、静かな車の乗り心地に、しみじみ舗装道路のありがたさを感じました。途中、通い慣れたブタジラでブランチをとっていると、現場調査に来ていた職場のスタッフに偶然会いました。エチオピアは広いようで狭いと実感。その先は何度も走っていた道路だったので、ついうたた寝をしてしまい、気がつくと昼過ぎにはアジスアベバに到着していました。

翌日、職場のスタッフに「シャカゾーンに行ってきた」と言うと、みんな一様に驚いていました。「あっちは森があってきれいなんだろ」ともたずねられ、しばらくはみんなに土産話を話す日が続きました。この時の出張では、エチオピアが水不足に悩んでいることをあらためて肌で実感しました。同時に、貨幣経済とは縁遠いものの、極めて豊かな暮らしを営んでいる人々が大勢いることも理解しました。奥が深いです、エチオピア。

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出張は冒険だ!? (5)

■焼き畑
昨晩、ジンマで夕食をとりながら、ホサイナに行くルートのことを話し合いました。ウォルキッテまで北上する道はほとんどが砂利道で、来たときも4時間かかりました。ウォルキッテからホサイナに南下する道は、だいぶ昔につくられたものだそうで、道路の状態や走るのに何時間かかるか予想がつきません。逆に、南回りのルートは最近整備された道なので、砂利道ですが比較的快適に走れるだろうとの情報でした。何より、南部州出身のゲタッチョさんが、「オール南部州」ルートにこだわっていました(ジンマ~ウォルキッテはオロミヤ州)。結局、南回りのルートなら途中のソドまで5時間、そこから北上して2時間もあればホサイナに着くだろうと計算し、朝6時半にジンマを出ることにしました。ホサイナではワークショップを見る時間が必要なので、午後2時には到着したいところです。

ジンマの標高は約1700m。そこから、まずは緩やかに2700mまで上っていく道でした。もうどこにも森はなく、それどころか、あちこちで農民が焼き畑を行っており、山は黒く焼けこげていました。山の木や植物が減少すると、土地の保水力低下や表土流出をもたらすことから、政府としては焼き畑を禁止したいとのことですが、農民にとっては先祖伝来の農耕技法であり、また地域の有力部族と州政府の力関係など複雑な要因もあって、なかなか禁止にはふみきれないそうです。荒涼とした風景に私も胸が痛みましたが、アビシニアコロブスが数頭、葉を全て落とした大木の枝の上でのんびりくつろいでいたのがせめてもの救いでした。

峠を越えると、今度は一気に1000mまで下りました。GPSの高度計が面白いように変化していきます。ひとつ川を横断すると、また1700mまで上り、チダという町に着きました。朝食にはほどよい時間でしたが、適当な食堂がなかったので、次の町、タルチャまで先を急ぐことにしました。タルチャまでずっと1200mから1300mくらいの標高で、気温が高く乾燥しており、視界にはほとんど緑がありませんでした。ゲタッチョさんも「この辺りは生活が厳しいんだよ」と深刻な顔をしていました。

■竹
午前10時、タルチャの町に到着しました。村人にどこか良い食堂はないかとたずね回り、ようやくそれらしい場所に車を止めました。しかし、店主に話を聞くと、あまりたいしたものはできないようです。エチオピアというと貧困や飢餓というキーワードが真っ先に浮かびますが、これでなかなかエチオピア人は食事にうるさい人が多く、どうせ食べるならおいしいものを、という主張を繰り返し目の当たりにします。レストランで料理やコーヒーを作り直させるのを、もう何度見たことか。結局、この店ではお茶を飲むだけにして、この先、もっと良い食堂をさがそうということになりました。

タルチャの町は、数年前にWoreda(郡)の中心地になりました。まだ町というにはいささか規模は小さいのですが、郡事務所、学校、病院など必要なものはそろっています。実は、以前この郡の中心地はタルチャから少し離れたワカという町だったのですが、標高が2400mと一気に高くなり、近隣の住民が歩いてアクセスするにはいささか困難なことから、低地のタルチャ(1400m)にバトンタッチしたわけです。しかし、タルチャは低地が故にマラリアがひどく、そのため以前は小さな村にすぎなかったのですが、いざ郡の中心地と決まってからは、どんな建物よりもまず先に病院を建設したそうです。

タルチャを後にすると、なるほど急坂を延々と上り続けます。大気がどんどん冷たくなっていくのがわかります。ほどなく、竹林に囲まれた民家が見えてきました。ワカに到着です。ワカは竹の産地としても有名で、家の建材や塀などに竹を多用しています。これまでアフリカ大陸に竹というイメージがあまりなかったので、エンセーテ(ニセバナナ)の畑の中に竹林がもさもさっと生えているのを見ると、一瞬アジアの国にいるのではないかという錯覚をおぼえました。聞けば、この地域では少数ながらタケノコを食べる人たちもいるそうです。エチオピアのほとんどの地域では、建材としてユーカリの木を使っていますが、竹は軽くて丈夫、その上成長も早いので(その分水がたくさん必要かもしれませんが)、今後はユーカリに取って代わることもあり得るのではないかと思いました。

■オモ川
ワカを出てしばらく走っていると、山肌から水がわき出ていました。周りがコンクリートで固められ、細いパイプが突き出ています。パイプから流れ出る水を目当てに、数頭の牛が集まっていました。我々も喉が渇いていたので、車を止めペットボトルにその水を詰めることにしました。最初に、パイプから水をゴクゴクと飲んでいる牛を追い払おうとしたのですが、牛の方も必死です。なかなかどいてくれず、どいたと思ってもすぐに別の牛が割り込んできて(割り込んだのは我々ですが…)、結局あまり十分な水は詰められませんでした。スタッフは皆「山の水はうまいなぁ~」と言っていました。

ここから標高は一気に下がり始めました。この先にはオモ川があります。手元のGPSの高度計は見る見る下がっていき、オモ川にかかる橋の上では、ついに730mになりました。個人的には、エチオピア国内で最低地記録です。橋のそばには監視小屋があり、橋を含む写真撮影は禁止とのことだったので、橋を越えて少し坂を上がったところで、オモ川の写真を1枚撮りました。今は乾期の終わりの方なので、水はかなり少ないとのことでしたが、それでもこんなに大きな川の流れを見たのは初めてでした。見た目は泥水ですが、それでもやはり水のある風景は良いですね。

オモ川を越えると、しばらくは低地の乾燥地帯を走り続けました。熱風とともに砂塵が舞う光景に、「ここに住むのはつらいなぁ」などと考えていたら、ゲタッチョさんが「これでもあと2ヶ月すればこの辺は緑で覆われるよ」と言ってきました。「早く雨期来い!!」心からそう願わずにはおれませんでした。

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出張は冒険だ!? (4)

■ルート決定
昨晩、テピで夕食をとりながら、どのようなルートでジンマに戻るか皆で話し合いました。ずっと砂利道ですが素直に来た道を戻れば6時間でジンマに着きます。しかし、次の目的地であるホサイナには、どうせその日のうちに着くことは無理です。ジンマからさらに4時間走ればウォルキッテまで歩を進めることができますが、全部で10時間も悪路を走るのは運転手もかなりきついので、この日はやはりジンマに泊まるのが良さそうです。結局我々は北回りのルートを選びました。ジンマまで10時間ほどかかる計算ですが、後半は舗装道路のハズ、という情報もありましたし、何より、運転手が15年ぶりの生まれ故郷を見てみたいと言ったのが決定打となりました。このルートの途中にある村から、彼は15年前に父親に連れられアジスアベバに出てきたそうで、故郷にはまだ母親と兄弟がいると言うのです。

■ハチミツ
朝6時半にテピを出発。あたりはまだ薄暗く、森林は朝靄に包まれています。しばらくすると朝日がのぼり、そのころには標高も2000mを越えました。1時間ほどでゲチャという村に到着し、後ろの席からゲタッチョさんが運転手に何か言うと、車はスピードを緩め、一軒の雑貨屋の前に止まりました。彼らの目当てはハチミツです。いくつか店をのぞき、最終的に「Post Office」の看板を掲げているハチミツ屋で買うことに決めました。少しなめさせてもらったら、強烈な甘味と、続いて口の中にふわっと華やかな香りが広がりました。極めて上質のハチミツです。ここの森も住民に大きな恵みを与えているようです。

値段は1kgで12ブル(160円)。みんな目を輝かせてハチミツを買っています。運転手は日当が47ブルなのに、6kg入り72ブルのボトルを買っていました。私はとりあえず2kgボトルを買いましたが、あまりにみんなが「たったそれだけ?」という顔をするので、他の人のお土産にしようかななどとつぶやきながら、もう2kg買いました。アジスアベバに戻った後、あらためてそのおいしさに感動したので、確認のつもりでスーパーから買ってきたいくつかの国産ハチミツと食べ比べてみると、スーパーで買ったものは値段は高いくせに、ゲチャのものと比べたらまったく似て非なるもの、とても食べられる代物ではありませんでした。ゲチャであと10kgくらい買えばよかったかなと後悔してしまいました。

■南部州からオロミヤ州へ
ゲチャを出ても相変わらず森林が広がっています。窓の外をぼんやりと眺めていたら、「森ではコーヒーが栽培されているよ」と言われました。そう言われて、初めて森の大木の根元に植えられている大量のコーヒーの木に気が付きました。コーヒーの木は炎天下よりも日陰を好むと以前シダモで聞きましたが、この一帯に広がる明るめの森は、コーヒーの生育環境としてはうってつけなのだそうです。森はスパイスやハチミツだけでなく、コーヒーをも生み出していたのです。

マシャの町に着いたときには標高が2200mを越えていました。南部州水資源局からは、ぜひマシャからも訓練生を探してきて欲しいと言われていました。聞けば、マシャが属するシャカゾーンは、南部州で唯一外国ドナーの援助が入っていない地域で、南部州のもっとも西の端にあり、州都のアワサに行くのもバスで3日かかるほどの辺境です。確かに、電気のラインもなく(自家発電機のみ)、ドナーが尻込みするのもよくわかります。いずれにしろ、我々の要求するメタルワークショップはなかったので、マシャでの訓練生発掘は実現しませんでした。ちなみに、マシャの町の前後にも竹を栽培している民家がいくつかありましたが、その先のゴレでは、道路の両側に野生の竹林が広がっていて、なかなか風情のある景色でした。

ゴレを出ると、しばらくしてオロミヤ州に入りました。すぐにマトゥという大きめの町に着き、ここには運転手の親戚や友達が何人か住んでいるとのことなので、私たちは喫茶店で休憩、運転手は挨拶まわりをしてくるということになりました。時間は11時をまわったところです。どうやらこの先はあまり大きな町がないそうで、ゲタッチョ、テショメの両人はここでランチを済ませておいた方が良いと判断したらしく、早速トゥブスを注文していました。私もついでに少しいただきましたが、結局この日はこのままジンマまでノンストップで行ってしまいましたから、彼らの判断は正しかったわけです。ランチを食べられなかった運転には気の毒ですが。

■また故障!?
マトゥを出ると、かつてないほどの悪路となりました。道路の傾斜がきつく、砂利では用をなさないのか、赤土の道路にこぶし大の石を敷き詰めてあります。ガタガタと車内の振動も最高潮。その振動音にまじって、何か嫌~な金属音が聞こえてきました。「またタイヤ!?」と誰もが心配しましたが、車を止めてチェックすると、マフラーの留め金がゆるんでいるだけでした。ちょうど車を止めた場所が、まわりは森なのにそこだけ何かの工場で、門から中をのぞくと、広い敷地にコーヒー豆が敷き詰められています。中に入って事情を話し、針金をもらってマフラーの締め付けをすることにしました。針金を探してもらっている間に、コーヒー豆の加工場を見せてもらいました。ちょっとラッキー。

コーヒー加工場から走り出したら、高校生くらいの女性が3人坂道の下から歩いて来るのが見えました。すれ違いざま、1人が急にTシャツの前をめくりあげこちらにアピールしてきました。胸がもろに見えてしまい、車中の我々も目が点です。一体なんだったんでしょう。乗せてってくれってこと?。さて、さらに30分ほど走ったときのことです。それまで無口だった運転手が、小川とそこにかかる橋を指さし、「ここから1時間ほど歩いたら僕の生まれた村がある」と感慨深げに言いました。私もできれば彼に母親と再会してもらいたかったのですが、さすがにここで2時間以上ロスするわけにはいきません。それは彼も最初からわかっていたようで、それ以上は何も言いませんでした。その場所の風景をしっかりと目に焼き付けるように、少し遅めのスピードで淡々と走っていました。

この後、午後2時にベデレビールで有名なベデレの町を通りました。すでに森林地帯は終わっており、さすがにビールのマークになっているアビシニアコロブスは見かけませんでした。ここからジンマまでは道路もなかなか良く、一気に着いてしまった感じです。時間は午後5時。ホテルにチェックインし、まずは冷たいシャワーを存分に浴びました。それにしても、すごくいろいろなものを見た2日間でした。

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2007年9月19日 (水)

出張は冒険だ!? (3)

■森を走る
車を修理した翌日、早朝7時にホテルを出発し、ミザンタファリに向かいました。ところが、「せっかくジンマに来たんだから木工製品を買いたい」とスタッフが言い出し15分のロス。町を出て5分ほど走ったら運転手が「ガソリン入れるの忘れた」と言って町に逆戻りし20分のロス…。そんなこんなで先行きが不安でしたが、道中はなかなか興味深いものの連続でした。ジンマの町を出るとすぐに舗装なしの砂利道になります。交通量もそれほど多くなく、猿などの野生動物が頻繁に見られるようになります。まず、ハイエナが道を横切りました。想像していたよりも大きな体格をしていましたが、ひょこひょことおぼつかないような感じで小走りしていました。もしハイエナの後ろ脚が他の肉食獣並みに発達していたら、百獣の王はハイエナだった、という説を思い出しました。

しばらく走ると、だんだんと森が深くなってきました。ベレテの森です。道路をバブーンやアビシニアコロブスの群れが横切ります。子鹿も1匹見ました。エチオピアではとても希少な天然の森林です。ここからさらに西部地域にかけては、エチオピア有数の森林地帯が広がっています。エチオピア人スタッフも身を乗り出して窓の外を眺めています。途中、タッジで有名な村を通りました。タッジはハチミツからつくるお酒です。森は蜂を育て、蜂は良質のハチミツをつくり、そして人々はハチミツからタッジをつくるわけです。この村の人々は、他にもたっぷりと森の恩恵を受けて暮らしています。一歩森に入れば、いろいろなハーブやスパイス、ナッツ類が自生しており、それらは少ないながらも確実に現金収入を約束してくれます。我々も路上マーケットで車を止め、朝食代わりにナッツなどを買いました。値段は、アジスアベバに比べると驚くほど安いそうです。

ナッツを頬ばりながら先へ進むと、突然、お茶畑が目に飛び込んできました。日本を思い出させる、懐かしい光景です。車を止めてもらい、お茶の木を前に深呼吸をすると、少し青臭いような、新鮮な香りが感じられました。標高は1950m。一時期日本ではアフリカ紅茶といって、1800m以上の高地で栽培されたケニアあたりの紅茶が、健康飲料として話題になりました。高地は紫外線が強いので、お茶の葉もそれを防ぐためポリフェノールが増えるのだとか。以前そのことを人に話したら、エチオピアのお茶の産地は標高が低いからだめだと言われましたが、実際には十分な高度です。すぐそばに製茶工場と直販所があったので、みんなが買うのにつられ、私も思わず2kgも紅茶を買ってしまいました。

■ミザンタファリ
お茶畑からさらに走ること数時間。午後12時過ぎ、ようやく最初の目的地であるミザンタファリに着きました。ちょうど昼休みの時間なので、まずは昼食をとることにしました。皆でレストランに行きメニューを眺めていると、「ドロファンタ」の文字に目が留まりました。それまでの3年間で、エチオピア料理のメジャーなものはだいたい食べていましたが、唯一、名前だけ聞いていて食べたことがなかったのがドロファンタでした。私にとってまだ見ぬ強豪であったドロファンタにようやく出会え、喜んでそれを注文しました。卓上に運ばれてきたそれは、ドロ(=チキン)と言う割にはなぜかヒツジの骨付き肉でしたが(その理由は後日判明します)、肉、ソースともにとても濃厚で、まさに絶品です。私が食べたエチオピア料理の中でもベスト3に入るおいしさでした。

午後2時から、Woreda (郡) 事務所のスタッフとともに、民間のメタルワークショップを2ヶ所見ました。しかし、機材や人員の点でこちらが要求する基準を満たしていません(ハンドポンプ製造のため)。もうこれ以上のワークショップはないと言われ、どうしようか迷いましたが、「政府から融資を受けているワークショップってないの?」とたずねると、「少し遠いけど」という前置き付きで、別の場所に案内してくれました。車で10分ほど走り目的地に着いてみると、そこは民間のワークショップではなく、政府の職業訓練校でした。「え?、なんでここに?」と聞いてみると、「あなたが来たいって言ったんでしょ?」というトンチンカンな返事。どこかで通訳が間違ってしまったようです。でもせっかくなのでワークショップを見せてもらうと、当然ですが機材も人も充実しています。急遽、ここから人を呼びたいと伝えたところ、Woreda事務所の人も当初の計画 (民間を対象とすること) から大きく異なるアイデアにとまどい気味でしたが、同行したスタッフと20分ほど話をして、最終的には私のアイデアに同意してくれました。通訳のミスが生んだ偶然に感謝です。

この時、ボンガと同じくここでも大規模な教員訓練を行っていて、ゾーン事務所に行ったときも数百人の教員が集まっていました。そのため、良いホテルはどこも埋まっており、結局50kmほど離れたテピに移動するしかありませんでした。午後6時、テピ着。テピでは一番良い (高い) ホテルに部屋をとりましたが、シャワー、トイレともに水が出ず、ポリタンクで水を持ってきてもらいました。部屋に置いてあったロウソクを見てうすうすは気づいていたのですが、夜9時になると案の定電気が消えました。風呂場にロウソクの火を灯し、簡単に沐浴を済ませると、後はもう寝るしかありません。テピは標高が1200mと低く、寝入りばなはとても暑く寝苦しいものでしたが、アジスアベバ(標高2400m)よりも明らかに空気が濃く、久しぶりに熟睡できました。

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出張は冒険だ!? (2)

■さわやかな朝
昨晩ロッジに戻ると、予約したときにはいなかった宿泊客がいました。南部州農業研究センターの教授で、偶然にもゲタッチョさんの知人でした(この人は知人だらけだ)。「朝7時半に車が来るから町まで乗せていってあげる」という親切な申し出を受けていたので、私もゲタッチョさんも6時半には起きてロッジの庭を散歩していました。特に時間を決めていたわけではありませんでしたが、「朝食をとってさらに7時半出発だから」と、自然とそんな時間に起きていたのです。濃霧に包まれた緑の庭はとても幻想的で、昨晩の疲れを吹き飛ばしてくれました。

しかしいつまでたっても教授は起きてきません。広大な庭の片隅にレストランのような建物はありますが、朝食が準備されている気配もありません。ゲタッチョさんも少し不安になったのか、「教授を起こしてくる」と言ってロッジに入って行きました。結果として、車は7時半に来たのですが、そもそも朝食が始まったのが7時45分。のんびりと朝食をとり、ロッジを出たのが8時半でした。これにはさすがのゲタッチョさんもちょっと面食らっていたように見えました。

しかし朝食で食べたハチミツはおいしかったです。これまで食べたハチミツでは味わったことがない程の強烈な甘味、きれの良い華やかな酸味、そしてむせかえるほどの花の香り。さすがは緑豊富な森林地帯、ハチも良い仕事をしています。ハチミツの中に黒いものがけっこう入っていましたが、薄暗い部屋だったので食べているときはそれが何かはっきりとはわからず、「花ビラかな」程度に思っていました。去り際に1枚写真を撮りましたが、アジスに戻ってから写真を見てビックリ。もろにハチでした。食べちゃったよ…。

■親切……なの?
町の中心部に戻った後、まず行ったのは南部州政府事務所でした。ここで車を(タダで)借りたいとゲタッチョさんは考えたのです。私としてはさっさとミニバスをチャーターしたかったのですが、とりあえず彼の顔を立てることにしました。事務所の人たちは誰も彼も親切で、なんとか力になりたいという気持ちはひしひしと伝わってきましたが、結局のところ、仕事場の車をそう簡単に部外者に貸し出せるわけもなく、ただ時間が過ぎていくだけでした。

事務所の返事を待っている間、トヨタ車のタイヤ留めのボルトをいくつか買ったりして時間をつぶしていましたが、あっという間に10時半になってしまい、私もいい加減我慢の限界が来ました。ひとりミニバスが止まっているあたりに歩を進め、交渉を始めることにしました。するとゲタッチョさんがあわてて追いかけてきて、一瞬「いいの?」というような顔をしましたが、「200ブルで交渉してくれ」と私が言うと、あとは丁々発止のやりとりを始めてくれました。

故障した現場まで行かずに手前でうちの車にあったら100ブルにまける、という条件を取り付け、工具を積み込み町を出発しましたが、15分も走らないうちに、ヨタヨタと走ってくる我がプロジェクトカーとあうことができました。彼ら2人は、タイヤを直せず結局車中で一晩過ごしたそうです。昨晩お世話になったうちの数人が、朝も我々の所にやってきて(田舎の小さな町なので外人はとても目立つ)、「早朝、故障現場まで行ったけど車はなかった」とか、「夜中に故障現場に行ったら、車はあったけど誰もいなかった」などという情報をくれていて、ゲタッチョさんは「みんな親切だろ」とかなりうれしかったようですが、うーん、この人たちって、いったい……。

■ちょっと逆戻り
ボンガの町の汚い整備工場でタイヤの応急処置をしました。サイズの合うタイヤ留めボルトがなく、結局3本のタイヤから1本ずつボルトとナットをはずし、左後輪をその3本で留めることにしました(もともとボルトは5本)。1時間半かかってようやく修理が終わり、みんなで昼食をとることにしました。昨日夕飯を食べることができなかったホテルは、今度こそ食事がありましたが、期待していた肉料理はありませんでした。ツォム(肉断ち)の日でもないのになんで…。仕方なく野菜ピラフやスパゲティーを頼みましたが、テショメさんのピラフと私のスパゲティーには、当然のようにゴキブリが…(泣)。ま、ほんの小さなゴキブリなんですけどね。最初は皿の外に出して食べ進めていましたが、2匹目を発見したところで気持ちが折れ、あえなく断念。付いてきたパンを食べようと手に取りましたが、万が一と思ってパンをふたつに割ってみると、その中にもゴキブリが…(合掌)。あとはもう、アンボの炭酸でお腹をふくらますしかありませんでした。

食事の後、ゲタッチョさんはミザンタファリに進みたかったようですが、他の3人は一致してジンマに帰ることを提案。3時間半かけてジンマに戻りました。ゲタッチョさんは「さっきの整備工場では、この先何km走っても大丈夫って言ってたのに」と不満そうでしたが、そんないい加減な言葉を信じる人って逆に今時貴重かもしれません。つくづく、善意の人なんだなぁと思いました。徹底的に人を信用する、大切なことですが、今は4本のタイヤすべてが少ないボルトで仮留めの状態ですから、いくらなんでも無茶な話です。

ジンマは地方都市としては大きな方で、トヨタの整備工場があります。ゆるんだボルトで走ったタイヤは、ボルト穴3ヶ所が削れてかなり大きくなっていたので、その修理から始めました。修理の方法は、大きくなった穴に溶接で肉盛りをして径を小さくしてから、電動ドリルで元の大きさに戻すというものです。ちょっと強引に思いますが、エチオピアでは当然のように行われている修理方法で、確かに整備士の手つきも慣れたものでした。他にもタイヤの軸受け部分を分解してグリースを塗ってもらうなどして、ようやくこの先出張が続けられるという確信が持てました。この日はこれで終了。朝からイライラしっぱなしの1日でした。道ばたでアビシニアコロブスを見たのが、唯一心が和んだ瞬間でした。

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出張は冒険だ!? (1)

2006年2月、エチオピア南部州(ミザンタファリ、ホサイナ、他)に出張に行きました。いつにも増してアドベンチャー気分満点の旅で、山あり谷あり、苦あり渋ありと、一生の思い出に残るものとなりました。

■出だし快調
朝8時、気心の知れたスタッフのテショメさん、ゲタッチョさんとともにアジスアベバを出発。この時の運転手は職場の中でも一番若い人で、格段に気が楽でした。前回はかなり年配の運転手で、アクセルとブレーキのタイミングがどうしても私とあわず、運転中はかなりイライラしたものです。アジスアベバから南西にのびる道路は、とてもきれいな舗装路で、予定通り10時にはウォルキッテに到着、喫茶店で休憩しながら、今後のスケジュールを確認しました。

「ここからジンマまでは3時間で着くから、今日はジンマの先のボンガまで足を延ばし、明日の午前中にミザンタファリで一仕事終え、明後日は南部州の北西部をのんびりまわろう」などと、南部州出身のゲタッチョさんが地図を見ながら私たちに説明しました。私もふんふんとうなずいてはいましたが、ミザンタファリの後は、方角が反対のホサイナも見て回らなくてはなりません。実のところ、西部地域はできるだけ早く終えたいところでした。

15分ほどでウォルキッテを出発すると、残念ながら、ほどなく舗装路は終わってしまいました。そこから延々と道路工事中で、結局ジンマまでずっとがたがたの迂回路を走るハメになりました。午後2時半、ようやくジンマに到着、遅い昼食をとりました。予定より遅れ気味でしたが、やはりボンガまで進むことに決め、3時半にジンマを出発しました。

■トラブル発生
ジンマを出てからはずっとがたがた道でした。車の屋根には、現地でデモンストレーションを行うためのハンドポンプを積んでいて、もうとにかく車中はガタガタギシギシとずっとうるさい状態でした。5時半頃、少し大きめにガタンゴトンという音がしてきたので、運転手が気になって車を止めました。ポンプの固定ヒモをきつく締め直し、あらためて車を走らせましたが、また5分ほど走ると、今度はさらに異様な振動が車中に伝わってきました。「これはただごとではない」と、あわてて車を止め、みんなで車を降り、エンジンルームを見たり車体の底をのぞき込んだりしました。

しばらくすると、左側後輪タイヤを見て運転手が顔色を変えました。ランドクルーザーの大きなタイヤは5本のボルトで固定されていますが、すでに3つのナットがなくなっています。ナットが残っている2本も、今にもはずれそうな状態で、そのためタイヤががくがくといびつな回転をしていたのです。「もし走っている最中にタイヤがはずれていたら…」そう思うと同乗していた私たちも全員顔が青ざめてしまいました。運転手ははずれそうなナットを締め直そうとスパナを回しましたが、その瞬間、ボルトがグニュッとねじ切れてしまいました。タイヤの回転がいびつだったため、熱をもったか何か、とにかくボルトがひどく劣化してしまったようです。

しばらくみんなで考えた後、他の3つのタイヤから、ボルトとナットを1本ずつ持ってこようということになりました。ボルトは3本残っていますが、劣化している可能性が高く、ナットだけ持ってくるわけにはいきません。そのためには、左後輪タイヤの下に大きな石を置いて浮かせたままにして、他のタイヤをジャッキアップしてタイヤをはずし、さらにブレーキパッドカバーをはずした上で、裏側からタイヤ留めのボルトを抜かなくてはなりません。手間はかかりますが、できないことではありません。

しかしここで、不運にも大雨が降ってきました。エチオピアは「13ヶ月太陽が輝く国」と言われていますが、南部州の西部地域は「8ヶ月雨が降る」と言われています。そのため広大な森林が昔の姿のまま残っており、人々にとっては恵みの雨なのですが、「何もこんな時に」というのがその時の気持ちでした。時間は6時をすぎて、だんだんと薄暗くなってきました。辺りは森と畑が広がっています。民家はぽつぽつ。電柱も見あたらず、街灯などあるはずもありません。懐中電灯がないと作業が難しくなってきました。

■路線バスに乗車
ここでゲタッチョさんが、「私とあなたでボンガに行って、今晩のみんなのホテルを確保した後、まだ彼らが来なかったらレスキューの車をチャーターして帰ってこよう」と言ってきました。「そううまく事が運ぶかなぁ」とやや不安な私。離ればなれになったらその先うまく再会できるという保証もありません。しかし「ボンガは大きな町だから大丈夫」というゲタッチョさんの言葉を信用し、ちょうど来た路線バスに2人で乗り込みました(写真)。ボンガまでは約30kmの道のりです。運賃は1人7ブル(90円)。1時間くらいで着くと言っていたゲタッチョさんでしたが、この日はひとつ村を迂回していくとのことで、結局ボンガに着いた時は8時近くになっていました。

■ホテルがない
ボンガの中心部にあるバスの終点で降りると、ゲタッチョさんはバスの中で仲良くなった地元の人にホテルまで案内してくれるよう頼みました(こういうところが彼の一番の強みです)。しかし「ツーリストホテルに案内してくれよ」と言うゲタッチョさんに対して、地元の人はぽつりと「ツーリストなんかいないよ(ツーリスト・イェッレム)」と低い声で答えていました。ますます私の不安は高まっていきます。私たちは5分ほど歩き、1軒のホテルに案内されました。小さなホテルでしたが、ボンガでは一番良いホテルとのこと。部屋があるかたずねると、残念ながら部屋は満杯でした。南部州はこの時どこの地域でもこぞって大規模な教員研修を行っており、そのホテルも教員グループに占領されていました。

部屋がなくて途方に暮れていましたが、さすが南部州では顔が広いゲタッチョさんです。すぐに何人もの知人に会い、いろいろと情報をもらっています。とにかくみんな良い人で、本当に親身になって心配してくれました。しかし残念ながら、ひとりも車を持っていません。情報によると、町はずれにNGOがつくったロッジがあるとのことですが、そこまでは歩ける距離ではないそうです。ますます困ってしまいましたが、そのうち南部州政府ナンバーのピックアップトラックが通りかかったので、すかさずゲタッチョさんは道に飛び出してその車を止めました。直接の面識はないようでしたが、お願いした結果、まずはそのホテルまで連れて行ってもらえることになりました。

■時間切れ
そのロッジはオランダのNGOがつくったものでした。1泊エチオピア人40ブル、外国人100ブル(1300円)。トイレ・シャワー共同、レストランなしでこんな田舎町にしてはかなり高い値段ですが、とにかく他に選択肢がないので、とりあえず部屋を確保して、同じ車にまた町まで乗せていってもらいました。その後、レスキュー用の車をチャーターしようといろいろ頑張ってはみたものの、結論から言えばそれはかないませんでした。

1台のミニバスが200ブル(2600円)で行ってくれそうでしたが、ピックアップの運転手が「自分の知人(南部州政府職員)がボンガに来ているから、その車(もちろん政府の車)を150ブルでチャーターできるだろう」などとささやくので、ゲタッチョさんもその気になってミニバスとの交渉はやめてしまいました。ま、結局だめだったんですけどね(当たり前だと思う…)。

時間はすでに10時過ぎ。もう車自体ほとんどいなくなり、それにかわって警官の姿が目立つようになりました。ボンガは夜12時で電気が止まり、町は暗闇に包まれます。そのための警備だそうですが、それにしては数が多い。やはり総選挙後の治安維持ということでしょうか。あまりうろうろしていると不審者扱いされそうだったので、仕方なく車のチャーターはあきらめ、夕食をとることにしました。レストランといっても最初に見たホテルしかありませんが、そこもすでに食事は終わってしまったとのこと。果物かクッキーでも買おうと思いましたが、すべての雑貨屋が閉まっていました。その後また町はずれのロッジに行くまでが大変でしたが、とりあえず11時過ぎにロッジに到着しました。

ロッジに入ると、そこにはパンも果物も一切なく、飲み物もビールしかないと言われました。お酒が飲めない私には意味がありません。倉庫の奥の方をさがしてもらったら、なんとか1本のアンボ(炭酸水)を発見し、それを飲んでようやく一息つくことができました。手短にシャワーを浴び、「朝食は準備できるから」という管理人の言葉を胸に刻んで、ベッドに入りました。本当に長い1日でした…。

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2007年9月18日 (火)

安全運転を!

ラマダン中は乱暴な運転の車を普段以上によく見かけます。サウジ当局もこの期間は交通違反取り締まりを強化し、罰則も厳しくしています。駐車違反には3日間の拘留と15000円の罰金、信号無視やスピード違反には3日間の拘留と罰金27000円などなど、日本以上に厳しいですね。サウジならではなのが、無謀運転に対する処罰です。20日間の拘留と45000円の罰金、さらに鞭打ち20回です。こ、これはシャレにならない!

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エチオピア農業の可能性 (3)

アジスアベバから南東に車で1時間半ほど走ると、ナザレットの町に着きます。そこに、首相も視察に来たという地元の有名人がいます。彼の土地はナザレットの中でも水に恵まれていない方です。しかしそれ故に、雨水の利用など様々なアイデアを実践しています。家の横にNGOの支援を受けて貯水タンクを作り、足踏みポンプやドリップイリゲーション施設を設置。畑には野菜やコーヒー、リンゴの苗木、蚕のエサとなる植物などがあり、小屋の中では試験的に蚕を飼っています。蚕というとなんとなくアジア的なイメージがあったので、ちょっと驚きでした。

地下水利用の適正技術について調査するため、トゥルボロ近郊の村に何度も通いました。そのうちの1軒の農家のご主人がいろいろなことを試みていて、いたく感銘を受けたことを思い出します。ご主人はドリップイリゲーションのパイプを自作したり、雨水をためる池を掘ってみたり、とにかくアイデアが豊富な人でした。家の裏には広い畑がありますが、テフだけではなくヒヨコ豆も大規模に作っています。彼は「テフが不作だったら困るだろ」とごく自然に言いますが、こんなエチオピア人は始めてでした。他にも唐辛子、トマト、パパイヤ、ゲショ(地酒を発酵させる植物)、コーヒーなど、それぞれ小規模ながらいろいろなものを作っています。コーヒーの木は北限があってこれまでこの地域では誰も作っていなかったそうですが、とりあえずトライしていると言っていました。養蜂については、刺されるのが嫌で子供たちがやめさせたとか。

「アジスアベバ大学の先生で、自宅でシイタケを作っている人がいる」という情報を聞きつけ、さっそく現場調査に行きました。自慢のキノコ小屋を見せてもらうと、中ではシイタケ、オイスターマッシュルーム、フレンチマッシュルームを栽培していました。想像していた以上に広いスペースで、菌床もきちんと計算されたものでした。他にも庭でキュウリ、青菜、唐辛子などを栽培しています。井戸水をもっと楽に汲み上げる安価なポンプをつけることができれば、キノコ小屋を拡張できるし、麦わらを使って腐葉土も作りたいと言っていました。

このように、新しいことにチャレンジしている人たちと話をするのはとても楽しいものです。何かと変化を嫌うのがエチオピア人です。それがおそらく改善であったとしても、徹底的に変化を拒絶する人もいます。しかし、こうして努力を続けている人たちも実際にいるわけです。エチオピアもまだまだ捨てたもんではないと思いました。

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エチオピア農業の可能性 (2)

エチオピアの1人あたり年間収入は97ドル(2003年/UNDP)と、世界177ヶ国中176位、アフリカでも最低のレベルです。まだまだ現金収入とは無縁の、伝統的で素朴な暮らしを続ける人たちがたくさんいることは事実です。この数字がそのまま「エチオピア人=不幸」ということに直結するとは思えませんが、それでもやはり、人々の生活が大変なことは確かです。天然資源に恵まれず、それにしては巨大な人口を擁するエチオピアにとって、国民が豊かになる術はあるのでしょうか。

井戸の調査で農村を訪れると、必ずといっていいほど、農家は口をそろえて「水さえあればもっと農業ができる」と言います。確かにそれは正しいと思います。しかし現実には水が足りません。結局、乾期の半年間、畑は放っておかれたままです。限られたリソースの中で何ができるか、エチオピアの人たちはこれまで数百年の間、何も考えてこなかったのでしょうか(少しきつい言い方ですね)。作物の品種改良あるいは農法の改良など、数千万人の農民がいるのですから、どんどん新しいアイデアが出てきても良いと思うのですが…。とにかく、農業はエチオピアにとって最大の武器ですから、ここをのばしていくしかエチオピアが豊かになる方法はないのだと思います。

ある日現地の新聞に、テフや小麦の収穫後、その25%が無用に捨てられているという記事が載りました。手で刈り取るとき、牛やロバに踏ませて脱穀するとき、そして倉庫に保管して出荷するまでの間に、少しずつロスが生まれ、トータルで4分の1を失っているというのです。また、家畜に踏ませる脱穀は、最後に実を集めるとき、1割は地面の土を拾い上げていると言われます (それを買う人々はたまったものではありません)。収穫後のプロセスを見直すことももちろん必要ですが、やはり、少ない水で何をやっていくか、いかに効率的に水を利用するかが、今もっとも求められていることだと思います。日頃そういうアンテナをはっていると、ときどき、実験的な試みをしている農家の情報が飛び込んできます。

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エチオピア農業の可能性 (1)

エチオピアの人口はすでに7,000万人を大きく上回っており、そのうち、都市部ではなく村落地域に住む人口は約8割に達します。村落地域にはいわゆる農村ばかりではなく、半砂漠地帯などまったく農耕に適さない土地も含まれており、またそこで遊牧生活を行う人々もまだまだたくさんいます。それでもなお、農業に従事する人は全労働人口の80%を占めるとされているので、エチオピアは農業国家と言っても過言ではありません。実際、国家経済は農業部門に依存しており、GDPの52%、輸出総額の85%は農業部門が占めています。

輸出作物としてもっとも有名なものはコーヒーです。エチオピアといえばシダモコーヒーと、ピンとくる方も多いでしょう。しかし、近年の世界的なコーヒー価格の下落によって、エチオピア南部州のシダマ地域のコーヒー農家でさえ、コーヒー畑の横でチャットを栽培する光景を目にするようになりました。チャットは、その若葉を口中で噛んでいるとおしゃべりになるなど軽い覚醒作用があると言われており、国によっては麻薬指定を受けるなど悪いイメージがありますが、エチオピア人にとってはごく日常的なものです。チャットの市場は大きくて、国内消費ばかりではなく、近隣諸国への輸出についてはすでに輸出総額のトップになっています(欧米向けでは依然コーヒーが高い割合です)。

国内消費用の食用作物としては、テフ(主食であるインジェラという発酵パンが作られる)、小麦、メイズなどが作られています。しかし、ほとんどは自然環境(雨期)を利用した伝統的農法のままで、ひとたび干ばつが起これば、たちまち生産高が大幅に減少してしまいます(近年では2002年)。毎年6月中下旬に雨期が始まると、カラカラに乾燥していた畑にも湿り気がもどり、牛を使って耕し始めます。8月頃、畑に種を蒔きますが、手でばさばさと蒔いていくのがなんともおおざっぱです(昔そんなCMがありました)。あとは十分な雨さえ降れば、テフや小麦はすくすくと育っていきます。9月下旬に雨期は終わりますが、ここから12月頃まであまり手入れもせず、実が熟すのを待つばかりです。刈り取ったあとは、しばらく野積みで乾燥させ、牛やロバを使って脱穀します。これら一連の農作業は、外国人の目にはほとんど原始的とも映ります。そして、次の雨期まで半年の間、ほとんどの畑は何もせず放っておかれます(それともあえて休耕?)。

※写真の植物が「テフ」。実は小さな小さな粒です。

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2007年9月17日 (月)

ブラックライオン

ハイレセラシエ皇帝がこよなく愛していたというブラックライオン。1枚目の写真は、アジスアベバにあるBlack Lion Zooにいたやる気のない奴。ちっともこっちを向いてくれません。確かに黒いですが、クロヒョウみたいなのを想像していたので、ちょっと拍子抜けでした。2、3枚目はアジスアベバ中心部にある大統領官邸の中庭で飼われているもの。こうなると「黒」と言っていいのか微妙ですが、まぁ良しとしましょう (←貴重さが全然わかっていない)。

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ラマダン・カリーム!

9月13日から、ラマダン(断食月)が始まりました。1ヶ月間、ファジュル(日の出の1時間半前)からマグリブ(日没)まで飲食を断つのですが、まだまだ暑い日が続くサウジアラビアでは、特にのどが渇いてなかなか大変な行事です。私はイスラム教徒ではないので、職場のサウジ人スタッフも「隠れて水を飲んだり食べたりするのは全然かまわないよ」と言ってくれるのですが、さすがに気が引けるので、できるだけ我慢しようと思っています。イスラム教徒は日中食べられないので、かわりに夜食べるわけですが、日没後、夜12時頃、そして日の出前と、結局3食きっちり食べる人が多いようです。断食をして太る人も実はけっこう多いのだとか。

官庁の勤務時間も通常07:30~14:00のところ、10:00~15:00に変わります。ラマダン中はなんとなく真面目になる人が多いのか、通勤ラッシュで大渋滞が起こります。普段から勤務時間帯はほとんど共通しているはずなのに、これほどの渋滞は起こりませんから、なんとも不思議な話です。ジェッダの民間学校に勤務する友人に聞いたら、あちらは朝の6時オープン、昼の12時終わりだそうです。てことは毎日5時起きです。いや、もしかしたら完全に昼夜逆転の生活で、夜は寝ないのかもしれません。

また、航空代理店などは09:30~13:30、21:00~23:30という変則的な勤務時間になります。確かに、午後4時をすぎるとほとんど外出する人もいなくなり、日没後の食事(イフタール)、そして日没から1時間半後の夜のお祈り(イシャー)をすませてからようやく外出という人がほとんどになりますから、ビジネスアワーがどうしても夜更けにシフトしてしまいます (お祈り中は30分ほど店を閉めなければなりません)。車の免許が手に入ったら、夜中の3時頃ドライブしてみよう。きっと町ではみんな浮かれて騒いでいることでしょう。

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2007年9月16日 (日)

水汲み (8)

意外だったのは、子供たちが口をそろえて「水汲みは私の仕事だから、やるのは当たり前」と言い、きわめて淡々と現実をとらえていることでした。ヒョウタンを抱えた本当に小さな子供までが「私の仕事」と言い切るのです。これを勤労の美徳と言うか、それとも児童虐待と言うか。日本は日本でまたちょっと過保護すぎると思いますが、子供の幸せって一体何でしょうね。(それは未来に夢を持てること、なんていう陳腐な言葉しか浮かんできませんが…)

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水汲み (7)

大きな水瓶で運んでいるのは、それだけ家が水場から遠く、1日にそう何度も汲みに来られないからだと聞きました。片道1 時間以上歩くのもざらだとか。特に小さな子は、発育にも影響がありそうです。せめて少しでも軽いポリタンクの普及を願うばかりです。

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水汲み (6)

水を汲んだら、重い水瓶やポリタンクを家まで運んで帰らなければなりません。ロバを使える人は、家が裕福なのか父親が理解ある人なのか。実はロバを使っているのは、ごく限られた地域だけで、ほとんどは人が背負っています。せめて小さめの水瓶だと、見ているこちらもまだ気が楽なのですが。

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水汲み (5)

川の底に最後に残った一筋の泥水を飲んだり、家畜と同じ藻が生えた水を飲むことを考えれば、透明に輝く井戸水を飲むことは、なんとありがたいことかと実感します。私も方々で井戸水をいただきましたが、お腹をこわしたことなど一度もありませんでした。

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水汲み (4)

「水汲みは女子供の仕事」…地域の伝統的価値観と言ってしまえばそれまでですが…。

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久しぶりの土漠

金曜日(ウイークエンドは木金)に土漠に行きました。道ばたをのんびり歩くラクダ、ワジ(Waadi/涸れ川)に生えるアカシアの木の木陰で食べるサンドイッチ。この日は風化しかけのお墓も目にしました。なんだかすべてが懐かしいと感じた1日でした。(「すべてが懐かしい」って昔見た映画のどこかの台詞だったと思うけど、なんだっけかな?、う~ん出てこない、気になる…)

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コーヒー

エチオピア南部の農園地帯、イルガチェフェは、小さな町ですがコーヒーで有名です。ここを出張で訪れたとき、有名だとは聞いていたものの、1級品はどうせ輸出用にまわされているだろうと思って、あえて自分からコーヒーを買いたいとは言い出しませんでした。しかし、同行した南部州出身のスタッフが「是非買ってみてくれ」と熱弁してきたので、道ばたの雑貨屋で1kg(19ブル/250円)買うことにしました。袋に入れられた緑色の生豆を見ると、粒の大きさがまちまちで、全体的に小さ目です。「こんなもんかなぁ」と思っていたら、粒は小さい方が良いのだと言われました。どうなんでしょう…。

アジスアベバに戻った後、早速自宅で豆を煎ってみました。手元にあった「暮らしの手帖」にちょうどコーヒーの特集があって、記事によると5分くらい直火で煎れば中深煎りになると書いてあります。中華鍋を炭火の上に置き、豆を入れてシャモジでかき回し始めました。しかし、5分たっても10分たってもあまり豆の色が変化しません。後でよくよく考えてみると、日本に輸出されたコーヒー豆はすでに十分乾燥していて、あっという間に煎ることができるのではないか、しかしこの豆は産地直送の超フレッシュ豆なので、水分がかなり多く、煎るのに時間がかかったのではないかと思い当たりました。結局1時間ほど煎っていましたが、こういう作業は嫌いではないので、十分楽しめました。

自分で煎ったコーヒー豆を見ると、なんだかほれぼれしてしまいます。素人のやることなので、すべての豆が均一な焦げ茶色になっているわけではありませんが、色の良いやつを拾い上げミルで挽いてみると、コーヒーの良い香りが一気に部屋中に広がりました。町で売っているコーヒー豆はかなり深煎りで、私にはどれもヘビーです。自分の好みに合わせて浅く煎ったコーヒーは、また格別の味でした。

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魚料理

エチオピア南部州の町、アルバミンチはなんといっても魚が有名です。その中でも、SOMAレストランという有名なお店は、欧米の旅行者やエチオピア人でいつもにぎわっています。ここの名物料理は、湖でとれた新鮮な魚を丸ごと揚げたフライです。2003年に来たときも食べましたが、確かその時は45ブル(600円)くらいだったと記憶しています。当時も「エチオピアにしては高いなぁ」と思ったものですが、2006年は、同じ料理がなんと100ブル(1300円)に値上がりしていました。店主に事情を聞くと、昨今はアルバミンチの魚はある業者が独占的に買い占めてアジスアベバなど大都市に運んでいるので、地元民でもその業者から高く買わなくてはならないそうです。理不尽ですね。

しかし、確かにSOMAの魚料理はおいしかったです。フライは味付けなしとかなり単調な味だったので正直すぐに飽きてしまいましたが、もう1品、トマトやニンニクと一緒に炒めた料理(Fish Lebleb)は、ちょっと上品な地中海料理といった趣の、大変に食欲をそそるものでした。エチオピア人はこれをインジェラと一緒に食べていましたが、さっぱりした薄味なので、インジェラの酸味に負けてしまいます。焼きたてパンと一緒に食べたらかなりおいしくて、目をつむると一瞬、脳裏にエーゲ海が浮かんで消えていきました (ま、テラピアなんですけど)。ここのお店は野菜を頼むと軽く火を通したものが出てきます。暑い地域なので、生野菜は危険ということなのでしょう。気が利いていますね。

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2007年9月15日 (土)

エチオピアの朝は早い

エチオピア南部州、ソドで調査をしていた時、午後になって急きょアルバミンチまで南下することになりました。南部州の州都、アワサで泊まっているホテルはそのままに、現地のホテル予約もせず、着替えも持たずに車を走らせ、アルバミンチにたどり着いたのは夕方5時半でした。同行したエチオピア人スタッフが私に気をつかってくれて、まずはツーリスト用の小綺麗なホテルを方々あたってくれたのですが、どこも満室で部屋がありません。もっとも、ツーリスト用と呼べるようなホテルは3軒しかなく、それぞれ30室くらいしか部屋がありませんから、予約なしで泊まるのはかなり難しいそうです。アルバミンチ自体、特に観光するような場所はないのですが、ここを起点にジンカへ足を伸ばす観光客が多く、この日もツーリストホテルには欧米の旅行者が乗り付けたランドクルーザーがたくさん止まっていました。

2時間ほど町をうろうろし、ようやく見つけたホテルは、シャワー付きの部屋が1泊20ブル(260円)、シャワーなし1泊13ブル(170円)というものでした。こちらは4人ですが、残念ながらシャワー付き2部屋、シャワーなし1部屋しか空いていません。あとの1室はまた別を探すとして、とりあえずお金を払って確実に押さえておこうと思い、53ブルをご主人に渡しました。すると、「73ブルなんだけど…」と言ってきます。実は、シャワー付きの部屋のうち1室はテレビが付いているので、テレビ代として20ブルプラスなんだそうです。なんだそれ…。

ほどなく、もう1室も別のホテルで確保できたので、みんなで夕食を食べ、9時過ぎにホテルに戻ってきました。早速冷たいシャワーを浴び (もともとお湯は出ませんが)、1日の汗を流すと、ようやく生き返った気持ちになりました。南部州はマラリア蚊がすごいので、どんなホテルの部屋でも必ず蚊帳が付いています。寝る前に、まずは部屋の中の蚊を厳重チェック。そうして2匹の蚊を退治すると、あとはぐったりとベッドに倒れ込みました。

明け方4時、突然の大音量で目が覚めました。どうやら、教会から説教か何かが流れているようです。しかしなんでこんなにがなり立てるような音量なのか…。説教というよりただ単に「起きろー!!」と言っているだけのように感じます。ベッドの中でため息をついていると、今度はトラックがばんばんエンジンを吹かし始めました。早起きして勤労でえらいなぁとは思うけれど、この騒音はたまりません。「オレが働いてんだからお前らも起きろー!!」と言われているようで、なんだかとても腹が立ってきました。とにかく延々アイドリングを続けています。その後、6時くらいまで説教とエンジン音が続き、とても寝るどころではありませんでした。6時でエンジンは止みましたが、説教は7時半まで続きました。ぐったり…。

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ソッケの木

エチオピア南部、アルバミンチのゾーン事務所を訪ねたとき、担当者の机に「ソッケ(Sokke)の木を守るワークショップ」というパンフレットが置いてありました。目を通してみると、「非常に軽い木であるソッケは地元の漁民が古来から小舟を作るために使ってきたが、近年その数が激減している」ということが書かれていました。ソッケはアルバミンチのアバヤ湖とチャモ湖、そしてズワイのズワイ湖にしか生えていない貴重な木です。アルバミンチでは主に舟に加工されたり、地域住民の薪として利用されています。またズワイでは、よく道ばたでソッケの木から作った軽いイスを売っています。アルバミンチ近郊は全域で森林面積が減少しているそうで、1990年には地域の森林面積は23%あったのに、数年前の調査では7.3%になってしまったそうです。

アジスアベバに帰る途中、ズワイを越えてしばらく走っていたら、いつものように道ばたでソッケのイスを売っていました。以前から、このイスはエチオピア土産としてはかなり良いものだと思っていたので、買うチャンスをうかがっていたのですが、この時、実はけっこう貴重な木だということがわかったので、思わず5個も買ってしまいました。5個で30ブル。1個80円。貴重な木のわりに安い…。もっとお金を出した方が良いのかな?。いや、そうするとますます伐採が加速されるか。うーん、難しい。写真のイスで、重さは700グラム程度です。手で持つと本当に軽いです。

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エチオピア人の名前 ~愛称~

以前、職場でスタッフが「テディーがどこに行ったか知らない?」と聞いてきたことがあります。「そんな人いたっけ?」と思いよくよく聞いてみると、それは「テオドロス」のことでした。しかし言い方でずいぶんと印象が変わるもので、「テディー」だとまるで欧米人の名前のようです。今回、出張に同行したのは2人の「テショメ」と「ゲタッチョ」です。「テショメ」が2人なので、いろいろ面倒だなと思っていたら、年輩の1人はそのままフルネームで呼ばれ、若い方は「テシー」と呼ばれていました。うーん…。例えば勅使河原さんが「私の名前はテシーです」とエチオピアで自己紹介したら、「この人はテショメという名前なんだな」と勘違いされるんでしょうね。

ソドに行ったときのことです。この町は同行したスタッフ、ゲタッチョの生まれ故郷で、町の中で彼の知り合いに何回か会いました。その都度、知り合いの人はにこやかに手を振り、「ゲチー!!」と声をかけてくるのでした。「ゲチー」ってどうでしょう。なんか微妙に違和感がありますが…。それと、「ゲチー」が知り合いに「アビー!!」と声を掛け返していたので、「アラビア語だとお父さんだなぁ」などと考えていたら、それは「アブブ」の愛称でした。これで、一応ちゃんとした法則があることが判明しました。「マコーネン」なら「マキー」、「ツァガエ」なら「ツァギー」といったところでしょうか (←適当です)。

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2007年9月12日 (水)

A Happy New Year Ethiopia!!

9.11と言えば、エチオピアの新年です。去年はアジスアベバで深夜に打ち上げられた花火を見ていました。そして今年、まさか再びサウジアラビアに戻ってくるとは…。南西の夜空を見上げ、なんだかため息をついています。いろんな意味で。

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