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2007年12月 7日 (金)

マリア・テレジア銀貨

オーストリア・ハプスブルグ家の女王、マリア・テレジア(在位1740-1780)。彼女の横顔を刻んだ銀貨を称して「マリア・テレジア銀貨」と言いますが、なぜかこの銀貨がアラビア半島と東アフリカで大きな価値を見いだされました。特にエチオピアでは、長い間コーヒーの売買にはこの銀貨だけが使われたそうです。

もともとこの銀貨は、オスマントルコなど東方諸国(レバント)との貿易を目的に発行されたものでしたが、銀貨それ自体に人気が集中したため、女王の没後もこれ以外の貨幣が通用しないという現象が起きました。そこで、オーストリア政府はその後も1780年銘のマリア・テレジア銀貨を発行し続けることになりました。

なぜこれらの地域でマリア・テレジア銀貨だけが異常な人気を呼んだのでしょう。ひとつの仮説があります。まずヨーロッパで鋳造された銀貨が、イエメンのアデンに着き、エチオピア・カファ地方のコーヒーと交換されます。カファ地方からは銀貨が税金としてアジスアベバに納められ、アラビア半島から穀物などを買うため再びアデンに戻ります。このように、当時のアラビア半島と東アフリカでは、マリア・テレジア銀貨を基盤とした大きな経済流通圏があったというのです。

さらに、アラビア半島の遊牧民の間では、マリア・テレジア銀貨をペンダントに加工して、財産として大切に身につけるということも盛んに行われました。そのため、リヤドのスークでも、ヒモを通すフックが付けられた銀貨がたくさん見られます。このように、流通の過程で人々が貯蓄する銀貨もたくさんあったため、ヨーロッパからは常に大量の銀貨を補給する必要がありました。

1935年、オーストリア政府は貨幣の鋳造権をイタリアに譲り渡しますが、この年から、イギリス、フランス、ベルギーも、この1780年銘のマリア・テレジア銀貨を便乗して発行するようになりました。そうして、1965年頃まで各国で発行された銀貨は、全部で数億枚とも言われています。マリー・アントワネットをはじめ16人の子宝に恵まれた女王の銀貨は、今でも各地で安産のお守りとして使われているそうです。

さて、以前リヤドに住んでいたときに何枚かこの銀貨を買ったのですが、去年日本の家でお土産を整理していたときは、ついに最後まで見つかりませんでした。当時1枚30リヤル(900円)で買ったものです。「そんなに高くないし、またリヤドで買おう」という軽い気持ちで再赴任してきたわけですが、いざスークに行ってみると、これがなかなか見つかりません。前は何店か回ればすぐに見つかりましたが、今回はあちこちでたずねても「ない」という返答ばかり。

実はサウジ人はアンティーク熱がけっこうあるようで、スークでは常に骨董品の競売をやっていたりします。スークに何回か足を運んで、いよいよ「もうないかも」とあせってきた頃でした。一軒のお店で「マリア・テレジア銀貨はないか」とたずねると、店主はおもむろに机の下から空き缶を取り出しました。「好きなのを選べ」 店主は自信たっぷりに言うと、空き缶から30枚ほどのコインをジャラジャラとガラスケースの上に広げました。

広げられたコインは、ピカピカのものと薄汚れたものが半々くらいでした。当然、ピカピカのものは最近作られた模造品、薄汚れた方が本物です(いや、店主の話を信じるのならですが…)。「本物のアンティークでできるだけきれいなもの」という私の注文に、店主も「それは難しいなぁ」と言いつつ、数枚のコインを選んでくれました(写真)。値段は、1枚50リヤル(1500円)でした。「銀の価格が上がっているから」と言われましたが、本当に関係あるのかな…?

ちなみに、銀貨を右手と左手の中指の腹に乗せ、2枚をカツンと触れあわすと「キーーーンンン…」というとても澄んだ音が響きます。「こんなにきれいな音色はなかなかないぞ」 とまたまた悦に入った夜でした。

253mariatheresia

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コメント

検索でたどり着きました。
私も一度そんな澄んだ音を聞いてみたいです。
銀貨自体も面白い経緯をたどっているのですね。
人に、地域に、銀貨に歴史あり。

面白い記事をありがとうございました。

投稿: たまこ | 2018年2月20日 (火) 12時28分

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