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2008年5月19日 (月)

国家の行方

「国家 (State)」とは、一般には一定の地域社会の上に成立する統治機構 (権力組織) をさしますが、その下にある社会そのものをさす場合もあります。古くはギリシャの都市国家、古代ローマや中国にみる帝国、遊牧民の部族国家、中世ヨーロッパや江戸時代幕藩体制のような封建国家など、いろいろな形態があります。しかし、今日我々が「国」として認識しているのは、16~17世紀の近代西ヨーロッパ社会が生みだした、政治共同体としての国家の形でしょう。

近代国家は領域・主権・国民 (民族) から構成されます。特に国民は言語、文化、宗教など多くの共通性が保たれているべきものですが、近代国家ではそれを政治的に包括してしまったため、多くの地域でその後民族を基本的単位とした国民国家 (Nation State) へと再編成される動きがありました。そして21世紀を迎えてなお、独立を求める地域紛争は絶えません。

2002年はヨーロッパで通貨統合が実現しました。国境を越えた移動が自由になったヨーロッパでは、今後、国家という枠組みが少しずつ曖昧になっていくのかもしれません。「自分はフランス人ではなくノルマンディー人である」などと、より個人のアイデンティティーに根ざした意識を持つようになるのではないでしょうか。一定の経済水準が保証されるという条件は必要でしょうが、世界の各地域で、このような意識変革はますます加速していくものと思われます。

自分にとって居心地がよい、あるいは仲間意識を感ずる共同体に所属することは、きわめて自然なことです。そういった場合、宗教はとても重要な要素になり得ると思います。イスラエルには欧米から無数のユダヤ人が「帰郷」したわけですが、宗教という一点においても、イスラエルは世界中のどの国よりも強固な連帯意識をもつと言っても過言ではありません。国の存続そのものが国民の悲願だからです。アラブが勝てないわけだと思います。

サウジアラビアも、20世紀初頭までは部族連合の集合体にすぎませんでした。アブドゥルアズィーズ初代国王が国家を統一していく過程で、初期イスラムにたち帰ろうというワッハーブ運動は、国家形成の大きな原動力になったと思います。アラビア半島の遊牧民を、部族間の利害を越えてまとめていくのは至難の業だったでしょう。しかし、イスラム勃興の地であるというプライドは、すべての部族に共通していたのではないでしょうか。そうしてどの部族もアブドゥルアズィーズの思想に共感し、連合を組んでいったのだと思います。もちろん、中には多くの争いもあったでしょうが。

オランダ人の友人から、お隣のベルギーの話しを聞きました。ベルギーは、19世紀にオランダから独立した国で、オランダ語の一種であるフラマン語を話す北部のフランデレン地域と、フランス語を話す南部のワロン地域とにほぼ二分されます。そしてこの住民同士がとても仲が悪い。あまりに対立が続いたため、1993年には連邦制に移行しました。言語というのは思考回路に多大な影響を与えるそうですから、同じベルギー人といっても南北で性格がずいぶん違うんでしょうね。

宗教と言語、これは国家建設にかかる国民形成においては非常に重要なポイントです。ヨーロッパもアフリカも、地域は問いません。旧ユーゴスラビアは、一体今はいくつの国に分かれてしまったんでしょう。スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニア、コソボ?。うーん、よくわからない…。

エチオピアは、アジスアベバ特別州 (中央政府) を入れて11州による連邦国家です。エチオピアの第一の公用語はアムハラ語ですが、これはもともとエチオピア地方を支配していたアムハラ族の言葉です。1991年から政権をとったのは北部のティグレ州出身者で、彼らにはティグレ語がありますが、すでに国内の共通語としてアムハラ語が浸透しているので、今後もアムハラ語の優位は揺らがないでしょう。

しかし実際に一番人口が多いのはオロモ族です。オロミア州はアジスアベバを取り囲んでおり、州政府の役所もアジスアベバにありましたが (今は新しい首都に移転しています)、役所に入ると書類がすべてオロミア語でした。オロモ族は長年農奴としてアムハラ族に支配されていた暗い歴史があるので、自分たちの国語復権に強い意欲を示しています。このことが、この先エチオピア内政の不安定要因になる可能性も否定できません。

エチオピア南部諸民族州はもっと複雑です。60以上の部族があり、それぞれに異なった言語があるのだそうです。アムハラ語やティグレ語はともにセム語系ですが、南部州の諸言語はハム語。文法体系も単語も大きく異なります。南部州には女性の下唇に大きな円盤をはめることで有名なムルシ族もいます。地理的にも離れたティグレ族とムルシ族の間に、果たしてどれほど同じ国民という共通認識があるのでしょうか。少なくとも、言語的なコミュニケーションは極めて困難だと思います。

また、国家が国民を守る義務を負うのに対して、国民は税金支払いや徴兵など、相応の負担を強いられます。しかし南部州の少数民族には貨幣経済とは無縁な生活をしている人々も多いので、彼らからの見返りはほとんど期待できません。にもかかわらず、南部州政府あるいは中央政府は彼らを「エチオピア国民」として、他と同様に教育機会の提供、医療サービス、飲料水の確保、道路建設、インフラ整備などを行っています。これは賞賛に値することだと思います。もっとも、国家予算のうち外国からの援助資金が占める割合も多いのですが。

エチオピアはキリスト教徒 (エチオピア正教、カトリック、プロテスタント) とイスラム教徒でほぼ半々を占め、あとはユダヤ教徒、アニミズム信仰者などがいます。宗教は一枚岩ではなく、言語構成も複雑な背景をもっています。よくこれで国家として成り立っているなぁと感心しますが、幸か不幸か天然資源がほぼ皆無という現実の前では、独立をしても特になんの旨味もないというのが本当のところでしょうか。さっさと独立したエリトリアも、経済的にはひどく苦労しているようですし。

アフリカは、資源がなければ最貧国、資源が見つかれば内戦というお決まりのパターンがあります。1885年のベルリン会議、別名「アフリカ分割会議」によって、部族構成を無視した勝手な国境線を引かれてしまったため、ひとつの国の中に異なる (時に敵対する) 部族が複数存在するという事態になってしまったことが諸悪の根源でしょうか。そのため、植民地政策が終了し独立を果たした途端、多くの国で内乱が起こったのです。資源があればあるほどその争いは苛烈なものになりました。

アフリカでは、ひとつの内戦が終わると、またどこかで内戦が始まります。それは多分に資源目的の欧米アジア諸国 (最近は特に中国) の思惑が入り交じっているのではないでしょうか。いっそのこと、国境線を一度白紙に戻して、10年か20年かけてアフリカ人に国境を決めさせてみてはどうでしょう。ものすごい戦争になる可能性もありますが、先進国が (利権がらみで) 軍事援助をしない、というルールが守られれば、、案外早く事態は収束するんじゃないでしょうか。アフリカのこれからの500年、1000年を考えたら、今こそ思い切って断行すべきではないか思います。(←無茶)

今日はイマジンを聴いて寝よう。

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