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2008年6月11日 (水)

どっちもどっち

フランスで医学を学ぶため大学留学が決まっていたサウジアラビア人女学生が、大学構内でのヒジャーブ (スカーフ) 着用を禁ずると言い渡されたため、留学を取りやめることを決心しました。

フランス大使館によれば、医学系の学校で女子生徒がヒジャーブをかぶることは、フランスの法律で禁止されているんだそうです。病院スタッフも同様にヒジャーブ禁止。もちろん、構内から外に出る時はかまいません。これはイスラム教徒だけでなく、全ての宗教信者に対して適用されます。つまり、医療施設内部ではいかなる宗教色も排除するということで、他にも同様の法律を持つ国はあるそうです。

この女学生は留学のためにこれまで約20万円費やしていますが、お金は問題ではないとしています。「ヒジャーブは私の信仰の一部であり、決して無視することはできないもの。フランスへの留学生が大学構内でヒジャーブを着用する権利が、きちんと二国間で合意され保証されるべき」 とインタビューに答えています。

また別の留学生は、最初にフランスに語学留学した際にこういった問題を知り、大学で薬学を学ぶ現在はヒジャーブの代わりにバンダナを巻いて髪を隠しています。これも彼女に言わせれば「Bizarre (変てこ)」なんだとか。現地のイマーム (イスラムの宗教指導者) は、ヒジャーブを取ることもやむを得ないという勧告を出しましたが、それに反発して留学を中断してサウジアラビアに戻った女性もいるそうです。

フランス留学中の女子学生がサウジアラビア大使館に集団で抗議した際は、逆に大使館スタッフからフランスの法律を遵守するよう諭されたそうです。サウジ大使館の担当官によれば、サウジアラビア人留学生がヒジャーブをかぶらないことによって、何か問題が発生したというクレームは受けていないとのこと。また、医者が病院の中でヒジャーブをかぶることは衛生的にも問題があるので、フランスの法律は守るべきという見解を示しています。

マッカ (メッカ) の勧善懲悪委員会はこの問題を受けて、「これは西洋社会が同性愛も含めて自由を押しつけていることに他ならない。ヒジャーブを禁ずることは彼ら自身の主張に矛盾している」 とコメントしました。…いまひとつ言っている意味がわかりませんが、新聞の英訳がおかしいのかな?。まぁ、何にしろ怒っていることはわかりますが。

サウジアラビアはガチガチの宗教国家で、法律から生活の規範まで、すべてがイスラム教を拠り所にしています。そういう環境で育った国民は、当然自らの信仰を貫くことに全身全霊を捧げることになります。一方のフランスという国は、個人に信教の自由がある反面、国家としての非宗教性についても憲法に明記されています。つまり、フランス国家はいかなる宗教からも独立していなければならない、ということです。このことから、公共の病院や公教育の場では宗教性が厳格に排除されます。

とはいっても、実際には目立たない程度ならいいらしいです。例えば公立学校で十字架のペンダントをしているスタッフもいるそうです。十字架が良くてヒジャーブがダメと言うんだったら、そりぁあイスラム教徒は怒るでしょう。しかも髪 (および身体の魅力的な部分) を隠すことはコーランに書かれている絶対的な神の言葉なわけで、個人の自由云々とは次元が違って、世界のどの国にいようと守らなければならないわけです。

個人的には、女性がスカーフをかぶっているのを見て 「ゲゲッ、イスラム教徒だ」 なんて思うことはまったくありませんし、そこにそれほど強固な宗教性を感じることもありません (見慣れているだけかも)。ただ、スイスのグリンデルワルドで全身真っ黒のアバーヤを着た女性を見た時は、さすがに 「ここまで来てそれかよ」 と少々ゲンナリしました。やっぱり、「宗教を誇示している」 と映ったのかな。

いずれにしても、フランスもたかがヒジャーブでごちゃごちゃ言わなくてもいいのに、というのが率直な感想です。ヒジャーブなんて、全身黒ずくめに比べたら彼女たちだって相当妥協しているんだと思うし。サウジアラビアが在留外国人女性 (非イスラム教徒) にもアバーヤの着用を強制しているのと、結局は同じことです。「脱げ」と「着ろ」の違いだけであって。まぁ、どっちもどっちですね。「脱ぐ権利」と「着る権利」、日本人女性ならどちらを選ぶんでしょう。

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コメント

たかがヒジャーブされどヒジャーブ

フランスではヒジャーブを許すと、ヒジャーブをつけないムスリムが、逆に不道徳な売女として、同じムスリムから迫害されるという現実問題があったのです。
イスラム教はイスラム社会の法規範ですから、日本人の信教の自由のように、個人が選択をして、信じたり、信じなかったりというものではないですよね。
日本流の能天気な信教の自由の枠には収まらないということも考える必要があると痛感しました。

投稿: ARA | 2009年4月 7日 (火) 14時34分

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