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2008年10月17日 (金)

アラビアのロマンス (←駄洒落)

20世紀初頭、オマーンと日本で海を越えたロマンスが生まれました。タイムールは父王の死後20年ほど国政を執ってきましたが、1931年、イギリスの傀儡であることに嫌気がさし王 (スルタン/首長) の位を息子サイードに譲ると、カラチに居をかまえながら世界を旅する気ままな人生を始めました。

1935年に初めて日本を訪れましたが、翌年6月、神戸のダンスホールで見初めた日本人女性、大山清子と結婚、1937年には娘のブサイナをもうけました。しかし3年後に清子が病死したため、タイムールは幼いブサイナを連れインドに渡ります。大戦後タイムールが亡くなると、ブサイナはオマーン首長家に引き取られ、以来マスカットで暮らすようになりました。

ブサイナ姫は、日本語はまったく話せませんでしたが、日本人の血を引くという出生の秘密は国民に対してひた隠しにされました。異母兄のサイード王によって離宮で長く幽閉状態にありましたが、その後、王子のカブースがクーデターを起こし実権を握って以降、ようやく自由の身になったそうです。

数年後、ブサイナ姫はわずかなお供を連れお忍びで来日し、兵庫県にある母清子の墓参りを果たしました。墓前に花を捧げた彼女は、人目もはばからずに泣き伏したといいます。記憶にはほとんどないであろう、しかし半分は自分の祖国である出生の地を踏んで、ブサイナ姫の胸中に去来したものはいかばかりだったでしょうか。

あの時代にあって 「亜刺比亜オマーンの豪族千万長者」 と結婚した大山清子。その娘にしてただひとり日本人の血が流れるアラビアのプリンセス、ブサイナ。やはり女性は強いなぁ、としみじみ。ちなみに、ブサイナという響きが日本人にはちょっとアレですが、アラビア語の意味は子猫 (Kitty) です。キティーちゃんは中東ではブサイナと呼ばれているのかな? (←未確認)

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旅行・地域 中東各国」カテゴリの記事

コメント

ブサイナは、ちょっとびびりましたが
サイードはアラビック名としては
結構ありますよね?

投稿: kilalaa | 2008年10月17日 (金) 20時49分

サイードはHappyという意味です。日本でいえば幸夫でしょうか。

投稿: shukran | 2008年10月18日 (土) 03時06分

私の祖父が大山清子さんに英語を教えていたそうで
ブサイナ日本名は節子と名づけたと聞いてます。
墓参りが出来てよかったです。

投稿: ハニー | 2009年2月 7日 (土) 23時03分

Set (セットゥ) はアラビア語で Lady の意味ですから、そんなニュアンスだったんでしょうか。貴重なお話をありがとうございます。

投稿: shukran | 2009年2月12日 (木) 05時42分

Set (セットゥ) はアラビア語で Lady の意味があるんですかぁ!
そんなニュアンスだったんでしょうかねー 

投稿: ハニー | 2009年2月20日 (金) 00時23分

ロマンス、なのかなぁ…?

最初に言っておきますとタイムール国王や大山さんを愚弄するつもりは全くありません
正直な感想です

女性は強い、というのとはちょっと違うと思います
ブサイナさんは非常に強い女性だと思いますけども大山さんがどんな女性だったかなんてタイムール国王くらいしかわからないでしょう?
なんせ日本人と結婚したことは隠されていてほとんど資料がないわけですから
タイムール国王と大山さんに関してはむしろ旅行中に出会ってすぐに結婚するあたり、貞操観念とかどうなの?
ほんとに愛があったの?お金目当て?とか思ってしまいます

なんでもかんでも女性は強い女性は強いという主張や、ロマンス!ロマンス!といったノリで上記のような点を見逃す最近の風潮はちょっとどうかと思います

ブサイナさんはお母様のお参りができてよかったですね
不安定な政情などで大変な人生を送られたようなので幸せに暮らして欲しいです

投稿: | 2012年3月 9日 (金) 19時05分

旅行中に出会ってすぐ結婚ではなくて一度目の求婚は清子さんの母親の反対もあって断られているようですね。
一度帰国して身の回りの整理をした上で半年後に来日して再度求婚してご両親から許しをもらい結婚に至ったそうですよ。
清子さんは結婚当時まだ19歳で、存命している妹さんは「姉はとても幸せそうだった」とおっしゃってるので愛のある結婚だったのでは。

投稿: yui | 2013年3月13日 (水) 01時23分

ホテルのダンスパーティーで知り合った神戸の税関職員の大山さんと結婚とあるから、普通に良いところのお嬢さんだったと思う。
国王を退位した後の結婚で大山さん自身はオマーンには行かず、日本で暮らしたわけだから、王妃というよりかは、後添えという感じなのかな。
でも普段は何語で会話してたんだろ。お互いに英語だけならちょっと大変そう。やっぱり日本語の通じる日本人のほうが気楽でいいです。

投稿:   | 2013年4月 5日 (金) 10時29分

ハニーさん
何かコンプレックスがあるのか知りませんが
尋常とは思えない捻くれた思考してますよ

投稿: | 2014年8月17日 (日) 00時59分

通りがかりですみません。この話、テレビで紹介されたときには、「大山清子さんと知り合った国王が、王位を弟に譲り、結婚して日本に定住した」ことになっていましたね。このブログみたいに、タイムールが既に退位していた点、時期国王はタイムールの「弟」ではなく「息子」であることをきちんと伝えてくれれば良いのですが。マスコミに都合の良い「美談」に仕立てるために、嘘を作り続ける彼らの姿勢にはものすごい疑問を感じます。

タイムール国王というのは、この人ですが

http://en.wikipedia.org/wiki/Taimur_bin_Feisal

1886年生れで、大山さんと「結婚」した1936年には既に50歳くらいでした。その後80歳近くまでご存命でした。ブログ主さんはご存知だと思いますが、アラビアの多くの国で一般男性は妻を4人までもつことができ、王族はもっと多くの女性と結婚ができます。
上記のWikipediaによれば、タイムール国王の妻は6人いて、5人の息子と1人の娘がいた、とあります。6人の妻の一人が大山清子さん、1人の娘がブサイナ王女でしょう。

大山さんと「結婚」したときには、祖国に他の妻たちと、大山さんと同年代の息子たちがいました。タイムールの後を嗣いだ息子のサイード国王は1910年生れで、大山さんよりも5歳くらい年上だと思われます。

大山さんの親の目からみると、自分の娘が、自分と同じくらいの年代の国王の側室になる、と言い出したときに、反対する気持ちはよくわかります。少なくとも一般的な日本人の想像する「ロマンス」とはかなり異なるものですし、だからこそマスコミも、事実を捏造してまで「美談」に仕立ててテレビで放映していました。

でも、タイムール国王は日本に家を建て、そこに側室(大山さん)を置いて一緒に暮らしたのですから、日本という国が好きだったのでしょうし、他の妻たちよりも大山さんを愛していたのでしょう。「ロマンス」というのは人々の思う一つの形だけでなく、いろんな愛の形があり得るという意味で、良い話だと思います。大山さんがすぐに亡くなってしまったことは不幸ですが、将来を託す娘もできて幸せだったでしょう。

投稿: ロハ | 2015年5月31日 (日) 10時09分

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