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2008年11月11日 (火)

まだ宗教は必要かもしれない

この世から宗教がなくなれば、多少なりとも無益な争いが減るのかなと思う一方、もしエチオピア人から宗教を奪ってしまったら、きっと世界に絶望して生きる意味を失ってしまう人がたくさん出るんじゃないかと心配になります。

お金もない、食べ物もない、服はボロボロ。学校にも行けない、なんとか学校を出ても仕事がない。劣悪な衛生環境、異常に高い乳児死亡率、抑えようのない感染症。女の子は10代前半で結婚し、矢継ぎ早に子供を産んであっという間に年老いていく。

テレビもない、ラジオもない、車もほとんど走ってない。外界の情報から隔離された狭いコミュニティーの中で、掟にしたがって生きる毎日。何も変えてはいけない人生。絶望感が漂う中で、自らの尊厳は信仰を体現するのみ。

宗教が物乞いを職業として成立させてしまったことは気に入りませんが、不信心な金持ちよりも信心深い貧乏人の方が偉いと感じさせてくれる点は、一体どれだけの人々に生きる希望を与えたのかと感心してしまいます。

ここで言う貧乏とは、最近逮捕された音楽家の食事が 「ハンバーガーとピザばかりの極貧生活」 などというふざけたレベルではありません。自分自身、「毎日ピザ?、ご馳走じゃん!」 と思いしましたから。

ま、それはさておき、少なくともエチオピアに行くまでは、自分の中で宗教とは 「困った時の神頼み」 というくらいのスタンスがベストだと思っていました。宗教があまりにも絶対的な存在である限り、パレスチナ問題の解決も永遠にないと思っていました。

しかしエチオピアの生活で、宗教が人の心を救っているのを目の当たりにしました。エチオピアに宗教がなかったら一体どうなっていたことでしょう。それほど、宗教が本来の使命を果たしていたのでした。

物心両面で世界中の人々が豊かになれば、その時こそ宗教はなくなるのかもしれません。

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コメント

深く考えさせられました。

投稿: lulu | 2008年11月11日 (火) 20時08分

一方、首都アジスアベバではお洒落な服に身をつつんだ若者たちが、毎夜ディスコでダンスに興じているなんて現実もあったりするわけですが。エチオピアもいろいろな顔を持っています。

投稿: shukran | 2008年11月12日 (水) 04時52分

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