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2011年11月14日 (月)

第一次鶏戦争

トンガの先達から伝わる 「豚の掘り返す力を侮ってはいけない」 という戒めは、庭の水道管を破壊された者のみが理解し得る至言である。そして今、新たに提唱したい。「鶏のひと蹴りをなめてはいけない」という事実を。

その戦いは静かに幕を開けた。朝、目覚めると、ピヨピヨとヒヨコの声がする。爽やかな朝ではないか。出勤のため車に乗る。庭木の陰を、何かが通り抜けたような気がした。よく見ると花壇には小さな足跡が。この時はまだ微笑ましくこそあれ、後の劣勢に気づく由もなかった。

しばらくは、姿の見えないヒヨコの鳴き声を楽しむ余裕があった。家に住みついてひと月に一度しか姿を見せない野良猫がいたけれど、奴がヒヨコを襲ったりしたらどうしようなどと悠長なことすら考えていた。しかし事態はひそかに進行していたのだ。

そのうち、鶏の親子を目にするようになった。それも、複数。朝の出勤時と、夕方の帰宅時に、違う家族を見た。ざっと数えて、4家族はいただろう。たちまち我が家の庭は荒れ模様となった。車庫に入る通路の脇の花壇は、奴らが土を蹴り蹴りエサを探すことによって、しだいにその姿を変えていった。

少し斜めに土盛されていた花壇が、知らぬ間にフラットになっていた。土は通路にはみ出し、気がつけばコンクリートの境目さえわからなくなっていた。「いや、というかその前に気づくでしょ?」 と言うなかれ。鶏の小さなひと蹴りによって徐々に徐々に形が変わっていく中で、「あれ、あれれ?」 と目をこすりつつ日々を過ごした故の結果である。

ここまで来たら攻勢に転ずるしかない。すでに敗北は目に見えていたが、絶望したら終わりなんだと自分に言い聞かせた。野良猫はいつの間にか姿を見せることはなくなっていた。誰の仕業かは言うまでもないだろう。奴らはとことん狡猾。トンガの鶏は純粋に戦闘能力が高いのだ。

そして土曜の昼、我が物顔で庭を闊歩していた鶏の親子を発見すると、鬼の形相で追い立てた。鶏の慌てっぷりったらなかった。これまで油断させておいたのは正解だったろう。おそらく奴らの心臓は、いや、ハツは、恐怖に縮み上がったに違いない。

しかし奴らには小型の体躯という武器がある。ブロック塀の隙間からスルリとその身を外に逃すと、足早に撤退をはじめた。これまでの自分だったら、そう、何かに怯え、人にへつらい、世間体を守ることしか出来なかった今までの自分だったら、そこで諦めていただろう。

否。今日の己は違う。鶏に恐怖を与え、二度と我が家に舞い戻らぬよう、徹底的に戦う。それこそが唯一勝利する道なのである。そして奴らを追った。すでに道路に逃げ出していたが、構わずカメラのシャッター音で威嚇し続けた。

物語はここで意外な展開を見せる。後ろから爆走 (時速約30km) してきた車に、一家が轢かれそうになったのだ。不覚にも 「危ない!」 と叫んでいた。間一髪、親子は難を逃れた。こちらに応えてヒヨコは 「危なかったよ、ありがとピー」 と鳴いた。母鶏は複雑な面持ちでこちらを睨んでいた。

鶏の親子は、どこかに走って消え去った。戦いは終息したのだろうか。ほうきの柄を握り花壇に土をもどしながら、拭い去り難い疑念がよぎる。奴らはきっと戻ってくるだろう。そして、そこからが本当の戦いなのだ。

第一次鶏戦争 (完)

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