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2013年1月29日 (火)

社会と個人

幸福な社会であれば、きっと個々人も幸福なのかなと思うのですが、個々人が幸福であっても、その社会が必ずしも幸福そうには見えないということを実感したのは、アフリカ随一の大都市カイロで暮らした3年間のこと。

もう十年以上も前の話ですが、当時、とにかくカイロは汚かった。大量のごみが市中に散乱し、土埃と排気ガスにまみれ、絶え間ない交通渋滞と騒音、昼も夜も人々のヒステリックな怒声がとびかう、最低の町でした。

けれどもカイロっ子を一言で表せば、とにかく明るくて情に厚い人たち。家に招待されれば食べきれないほどのご馳走が出され、家族には冗談と笑いがあふれ、リビングもトイレもピカピカ。

家の前が生ゴミであふれ (ごみ収集システムの機能不全)、食器皿を近くのドブ川で洗う (水道の未整備)、そんな環境であっても、個々人はあくまで紳士であり、家の中は清潔そのもの。みんな幸せそうでした。

個人レベルではいい人ばかりなのに、社会全体としてはなぜあんなにも悲惨だったのか、正直今でもわかりませんが、カイロの生活はとにかく貴重な経験でした。

幸福な社会なんて幻想なんでしょうか。いや、そもそも必要なのか。個々人が幸せであればそれでいいのかもしれない。自分はいったい社会に対して何を求めているんだろう。しかも自分が生まれ育った日本ではなく、遠い異国の町のことをあれこれ考えている。

向こうにとっては大きなお世話なんだろうな。でもまぁ、いろいろ考えずにはおれない今日この頃なんです。

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