2009年8月19日 (水)

カタールの怪物

カタールの怪物
今年4月のことですが、カタールの首都ドーハのコルニーシュ (ドーハ湾沿いの遊歩道) で謎の生物が目撃されました。エイリアンともモンスターとも言われていますが、はたして真偽のほどは……⁇
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2009年8月15日 (土)

カタール人?

今やっている世界陸上でも走っているカタールのサミュエル・フランシス。まぁ、アフリカ人なんですが、帰化してしまえばアジア人のカテゴリーに入るわけで、なんだかなぁと思うわけです。

カタール人はこういうのうれしいのかな?

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2007年11月27日 (火)

ソニーベータマックス

その昔、カタールで買ったソニーベータマックスのビデオデッキ。日本に持ち帰った後、何年かして知人に売ってしまったと思いこんでいたため、去年日本に戻ったとき、海外から買ってきたベータのテープを全部捨ててしまいました。50本以上あったかな。まぁ、今更ビデオテープの時代でもないし、意外にカビてたし。

で、去年さらに大掃除を続けていたところ、何日かして、押し入れの奥から「あ、サウジで買ったVHSのビデオデッキだ」と思って引っ張り出したら、なんとこれがベータマックスでした。ガーン。売ったのはVHSの方だった…。ま、いいか。世の中DVDだし。でも号泣するほど感動した「Mother India」はDVDで売っているかな。かなり古い映画だし。何十本か見たインド映画の中では一番好きな「Maine Pyar Kya」はVHSとベータと両方持っていたけれど、ふたつとも捨ててしまったなぁ。DVDあればめちゃめちゃ欲しいんですけど。

そう言えば、VHSのデッキ(マルチシステムなので海外から買ってきたビデオテープが再生できる)を売ったとき、「ベータもいらない?」と声をかけたら、「なぜベータ!?」とまったく相手にされなかったことを思い出しました。いや、カタールでは主流だったんですけど、ホント…。

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2006年5月23日 (火)

ダウ船

中東と聞くとまず砂漠、そしてベドウィンを想像しますが、カタールにはペルシャ湾があり、もともと海の恵みを受けながら暮らしてきた民族です。ドーハ湾には昔ながらの舟である「ダウ船」がたくさん停泊しています。カタール人はダウ船に乗り、その昔は天然真珠を、近代になってからは主に漁業で生計を立てていました。しかし、1974年のオイルショック以降、原油価格が何倍にも高騰し、カタールも飛躍的にお金持ちになりました。人々は自ら働く必要があまりなくなり、漁業に携わる人の数も年々減って、そうしてダウ船もだんだんとすたれていきました。私がいた当時でも、同じお金を出すならダウ船よりもヨーロッパ製ボートの方がよほど安く買え、また維持も楽だったそうです。その頃でもダウ船を所有することは、すでにお金持ちのステータスとしての意味合いになっていました。ある日、ドーハ湾をぶらぶらしていると「For Sale」の看板を付けた小型のダウ船を見つけました。確か180万円くらいだったと記憶していますが、きちんと維持していくためには誰か専門家 (インド人とか) を雇う必要があるとのことで、やはり私には無理だとあきらめました。ちなみに、「船乗りシンドバッド」は実はオマーン人だそうです。アラビア湾岸諸国とインドは海のシルクロードを通して交易があったんですね。
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巨大なキノコ?

ドーハの町で印象的なモニュメントといえば、あちこちにそびえ立つ給水塔です。赴任してしばらくの間は、「一体あれは何だろう」とずっと不思議に思っていたものです。それにしてもあの優美な形です (写真)。効率を求めるなら、もっとシンプルで味気ない形でも良かったと思うのですが、このあたりはカタール人の余裕のあるところでしょうか。ドーハは基本的にはかなり殺風景な町でしたが、車を運転しながら給水塔が目に飛び込んでくるたび、いつも「うんうん」とうなずいていました。ひそかに心のオアシスになっていたようです。一度、ある新聞社の記者が「ガソリンよりも高い水」というテーマでいろいろ取材をしていましたが、結局家庭の水道代は政府がだいぶ補助していることもあって、かなり安く抑えられていました。ミネラルウォーターとくらべると、ガソリン1リットル30円に対し、水も同じくらいの値段でした。その記者は「記事にならねぇなぁ」とぼやいていましたが。
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一生分頭を下げました

ある時、「国会議員団がドーハの空港でトランジットをする」という公電が入りました。給油のためせいぜい1時間いるだけで飛行機の外にも出ないのですが、大使が機内まで挨拶に出向くことになりました。問題なのは、バハレンを出たときは全員ファーストクラスだったのが、ドーハから一部の人がビジネスクラスに格下げになってしまうということでした。誰がファーストを予約しているのかガルフ航空に行って確かめると、それは王族のグループでした。相手が王族では、いくら国会議員であってもどうしようもありません。国の規模にかなり大きな違いはありますが、例えば日本で皇族に「席をゆずってくれ」とは誰も言えません。ガルフ航空のマネージャーを通していろいろ働きかけをしたのですが、結局何人かはファーストから移動しなくてはなりませんでした。議員団が来る当日、空港に向かう車中で気が重かったこと…。しかしもうやるしかありません。大使と一緒に飛行機に乗り込むと、早速大使は団長と話を始めました。ファーストの1番前の席です。それを見て軽くため息をつく私。いきなり、後ろから秘書の方が「君!、どうなっているんだね!!」と猛烈な抗議をしてきました。こちらはもう頭を下げるしかありません。「この国では王族はすべてにおいて優先されますから」と必死に説明し、「申し訳ありませんでした」を連発しました。20分ほど「まったくなっとらん!!」「すみません…」を繰り返していると、前の席から団長が「まぁしょうがないじゃない」と優しく声をかけてくれました。

ようやく秘書がおちついたかなと思ったとき、王族が何人か乗り込んできました。彼らは悠然とファーストクラスの席に座っていきます。2列の席に1人ずつ…。って、あれ!?。2列の片側は鷹が座っている!! (席に台座が固定されその上に留まっている)。そう、彼らはこれからエジプトに避暑に行って、砂漠で鷹狩りをエンジョイしようとしている王族たちなのでした。「アッチャ~」もしかして私自身そうやって声がもれていたかもしれません。「き、君ッ!!、私たちはタカよりも○×△※◇☆… (以下延々続く)」…ふぅ…。本当にこの時は腰が折れるかと思うくらい頭を下げました。今となっては良き思い出…、ってことは全然ありませんが、でもこれ以上つらい思いをしたことってこの後ないから、一応勉強にはなったようです。というか、あやまり慣れたってこと!?。

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お酒はこっそりと

イスラムの戒律が厳しく、空港でもお酒の持ち込みは禁止されているカタール。しかし、外国人なら許可さえ取れば月に2万円くらいまでお酒を買うことができました。酒屋はもちろん現地の人目につかないところ、郊外の土漠の中にぽつんと建っていました。自分は体質的にお酒が飲めないので全然必要ないのですが、ある時「もったいないからその権利をくれ」と言われ、お店に連れて行かれ2万円分のお酒を買わされました。なんかコソコソ悪いことをしているみたいで罪悪感にかられましたが、その人も飲んべえでというわけではなく料理に使いたかったそうで (これ以上ウイスキーを買うと奥さんに怒られるらしい)、ワインを中心に買いました。その甲斐あって、白ワインを使ったアサリの酒蒸しは私もかなりご馳走になりました。あれは本当においしかったなぁ。

一度、隣国から来た出張者がお酒を持っていて、空港の税関でもめました。完全に没収されると思ったら、「出国までの預かり証」を書かされ、また出国の時に返してもらったそうです。「カタールって良い国だ」とその人はしみじみ言っていました。なお、ドーハ空港で入国審査や税関検査をしている係官はほぼ100%外国人でした。国籍によって適職というものがあるのか、空港や警察はソマリア人、軍人はスーダン人、軍の教官はパレスチナ人、タクシー運転手はパキスタン人、スーパーの売り子はインド人、電話交換機や写真現像などちょっとテクニックがいるものはフィリピン人などと、ある程度区別されていたようです。空港ではソマリア人スタッフとよく話をしました。「この前豚肉を床にたたきつけられた人がいた」とか「インド人がスーツケースに奥さんを入れて連れてきたがフタを開けたら死んでいた」など、驚くような話を良く聞きました。

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ドラえもんがポルノ?

カタールでは、女性は黒いベールをかぶっているし、輸入物のファッション雑誌も露出が高いと (と言っても腕とか足) マジックで黒く塗りつぶされているしで、本当にまじめな国なんだなぁと思いました。そんなことを職場のレバノン人スタッフに話していたら、「俺は10年前からカタールにいるけど、5~6年前まではけっこう自由だったんだぞ」と言われました。どういうことかたずねると、「そもそもカタールは海洋国家であり、海があれば人々はオープンマインドになる。カタールもレバノンと同じで、もともとはわりと自由な雰囲気の国だった。原因は5年前にサウジアラビアがイスラム原理主義回帰を提唱したことで、隣国で小国のカタールは追従せざるを得なかった」とのことでした。ではなぜサウジアラビアが突然原理主義を唱えだしたかというと、それは1979年のイラン・イスラム革命が原因なのだそうです。もともとサウジアラビアはイスラム勃興の故地ですし、特に首都のリヤドは原理主義が濃厚な土地柄でしたが、少なくとも外国人の異教徒にはそれほど厳しくイスラムの教義を強要することはなかったそうです。それが、イラン革命によりホメイニ師が原理主義の復興を唱えると、一躍イランがイスラム世界の盟主のようになってしまったことで、あせったサウジアラビアが急遽風紀の引き締めを図ったということです。「風紀が乱れている」と言っても、外国人女性が黒いベールをつけずに普通の格好で外を歩いているだけなのですが、それまでわりと煙たい存在であった原理主義者たちが「宗教警察=ムタウワ (ボランティアの意)」として、町を闊歩するようになりました。

ドーハにはまだ普通の格好で歩いている女性がちらほらいたし、それを注意する宗教警察も普段はいなかったので、リヤドにくらべたらかなり自由な雰囲気だったと言えるかも知れませんが、空港でお酒や豚肉は没収されたし、郵便小包の検閲も厳しいものでした。ある日本人の家族が、日本からドラえもんのテレビ番組をビデオで送ってもらいました。しかし送ったという連絡はあったものの、いつまでたっても物がとどきません。ビデオが検閲されるのは知っていましたが、ドラえもんが没収されるわけはないのになぁと思っていたそうです。ある時、同じ番組を録画して手荷物で持ってきた人がいたので、それを貸してもらうことにしました。ようやく子供たちにも笑顔が。しかしそれを横で見守る親がテレビ画面の中で目にした物は、なんと「しずかちゃんの入浴シーン」でした。「これかぁ…」とビデオテープが届かなかったその人は、ため息をつきながら納得したそうです。だったらマチコ先生 (古ッ!!) なんか絶対届かないよなぁ。

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初めての断食3

生まれて初めての断食は、無事に30日間終えることができました。しかし一度だけ、かなりのピンチに陥ったことがあります。ある週末に、カタール人に雇われているインド人の船長に招待され、みんなで海に遊びに行くことになりました。家にいてもご飯がほしくなるだけだと思ったので、その日は参加することにしましたが、よく考えたらバーベキューとかいろいろ誘惑に駆られる行事が盛りだくさんです。海に行く途中、「大丈夫かなぁ」と急に心配になってきましたが、そこで引き返すわけにもいきませんでした。断食中は、異教徒であっても日中は外で目立つように飲食をすることは避けなければなりません。この日はドーハからだいぶ離れ、船長を雇っているカタール人オーナーの所有するプライベートビーチに行きました。もちろんオーナーはいません。まずは小型ボートを遠浅の海に出し、船長の子分が昨晩仕掛けておいた網のチェックです。網を引き上げていくと、早速何か小ぶりの魚がかかっています。「いるいる!!」船上はにわかに活気づいてきました。南洋のカラフルな魚があっという間に10匹ほど引き上げられ大喜びの私たちをしり目に、船長はクールに「次の網」と言ってボートの進路を変えました。

次の網を引き上げると、突然、網の一番前をたぐっていた人が「ギャッ」と叫びました。何かと思って見てみると、50cmくらいの小さなサメがかかっていました。まだビクビク動いています。舟にあげる前に捨てたかったのですが、思いっきり網にからんでいるので、どうしても一度舟の上に上げなければなりません。サメの体を押さえようとしたその時、船長が「危ないぞ」とするどいひと言を発しました。確かに、いわゆる「サメ肌」なので、触ろうとすると紙ヤスリでこすられたように皮膚が傷ついてしまいます。可愛そうですが足で押さえつけ、やっとの思いで網からはずし、海に帰ってもらいました。船長いわく、サメがかかる時は他の魚は期待できないそうです。その通り、次の網、さらに次の網にも食べられる魚はかかっておらず、かわりに小さなサメが3~4匹ずつかかっていました。我々があきらめかけた頃、最後の網で、小ぶりながらもハムールという極上の魚をとることができました。そうして、ようやく船長の顔にも笑顔が戻りました。

漁を終えて戻ってくると、ビーチでは火おこし班がもう準備万端です。わいわい言いながら、あっという間にバーベキューが始まりました。気温は40度。さらにたき火を囲んでいます。焼き網の上からはこの世のものとは思われぬほど良いにおいが立ち上ってきます。みんなは冷たいビールやジュースで乾杯しているし、船長もたぶんムスリムだと思うのですがやっぱり缶ジュース片手に上機嫌です。こんなに和やかな雰囲気の中で、1人だけ手持ちぶさたでいる私を見て、みんな口々に「断食なんてやめれば?」と言い寄ってきます。「今日食べてあとで1日追加すればいいんでしょ」などと言われると、「う~ん、それもありかも」と思わず弱気になってしまう私。しかし結論から言うと、この日はなんとか耐え抜くことができました。そして、30日間の断食を全うすることができたのです。この時船長がかけてくれた「今日の1日は普段の断食1000日の価値がある」という言葉は今も忘れません。

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初めての断食2

カタール滞在1年目に挑戦した断食は、最初は何日続くか自分でも心配でしたが、どうにかその後も順調に続けることができました。断食を初めて10日もすると、日没後すぐにでもご飯を食べたい、という欲求がだんだん薄れてきます。「とりあえず水が飲めればいいや」というくらいの余裕が生まれたある日、噂に聞いていた「日没の号砲」を聞きに行くことにしました。そこはドーハの中心部、あるモスクの前の広めの空き地でした。すでに100人くらいの人垣ができています。といってもカタール人ではなく、ほとんどが出稼ぎのインド人やフィリピン人でした。いわゆるヒマ人たち。人が多すぎて広場の真ん中に設置された大砲が見えにくかったのですが、カタールでは珍しい東洋人の姿 (つまり私) を見つけると、みんなが場所をゆずってくれました。こっちに来いと言われたその場所は、どうやら「特等席」のようで、大砲のほぼ正面です。大砲の横には点火する係りの人がいて、時計をにらみながら日没を今か今かと待っています。ふと、係りの人がこちらを向き、なにやら「どけどけ」という仕草をしました。さすがに空砲でしょうけど、万が一のためにどけと言っているのかなと思って立ち位置を少しずらすと、係りの人は「うんうん」と満足そうにうなずきました。さて、そうこうしているうちに、どうやら日没の時間が来たようです。やおら大砲は轟音を鳴り響かせ、私は一瞬爆風に襲われました。体が1メートル以上後ろに押され、耳がキーンとして頭の芯がくらくらしました。周りにいた人も一緒に体をよろめかせていて、他の仲間に笑われていました。確かに「特等席」でした。しかし火薬の量が多すぎるのでは…。

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