2009年2月15日 (日)

サウジアラビア IKEA

下に書いたイギリス人コミュニティーの情報サイトにスウェーデンレストランというのがあって、「なんだろ?」 と思って興味津々で読んでみたら、IKEA の中のレストランのことでした。実際に行ってみて、ずらりと並んだ数々の料理が果たしてスウェーデン料理なかのはわかりませんでしたが (トレーを持って並ぶ学食スタイル)、少しだけヨーロッパの雰囲気を感じることができてうれしかったです。思っていたより値段が安く、味も悪くありませんでした。ミートボール10個+ポテトで12リヤル (300円)、スモークサーモンサラダ14リヤル (350円)。

*アラビア語のカタログが新鮮 → サウジアラビア IKEA のHP
(アラビア語のページに飛びます)

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フィッシュ&チップス

イギリス人のコミュニティーがウェブサイトを立ち上げてリヤドの生活情報を公開しているのですが、レストランのページにはやはりと言うべきかイギリス料理のレストランはひとつも載っていません。その代わり、「フィッシュ&チップス」 のお店が2軒あったので、その名もずばり 「フィッシュ&チップス」 というまったくひねりのない名前のレストランの方に行ってみました。

お店で頼んだのはコッドフィッシュ (タラ) のフライ (30リヤル=720円)。もともとフィッシュ&チップスは大好きなので、最初こそテーブルに運ばれてきたフライの巨大さに唖然としたものの、マヨネーズやピリ辛のタルタルソース、後半は赤いビネガーをふりかけて、あっという間に平らげてしまいました。さすがに山盛りのチップスはほとんど残しましたが。

端的に言えば、とてもおいしかったです。揚げ方もバッチリ。衣サクサク、身はプリプリ。クセがなく甘味のあるタラの身は、口の中でとろけるおいしさでした。これが揚げすぎていたり古い油を使っていたりすると途端に世界最悪の食べ物になりますが、これはもう100点満点。

…いや、そう言いたいのはやまやまですが、やはり付け合わせの野菜がまったくないのはいかがなものかと思いました。見た目も茶色ばかりだし。キャベツの酢漬けでも添えてくれたらうれしいんですけどね。そうでなかったらせめてパセリかプチトマトをひとつ。格段に料理っぽくなると思います。

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2008年5月29日 (木)

キプロスでがっかり

これまでの海外旅行にたとえ1回でも「ハズレ」があったとは考えたくないのですが、どうもキプロスがそんな感じだったのかなと、時々思い出しては今でも首をひねっています。キプロス旅行に行ったのはエジプト滞在中、ハッジ明けの休暇でした。10日ほど続く休日をどう過ごそうかあまり考えていなかったのですが、ぎりぎりになって「やっぱりどこかに行こう」と思い立ち、カイロから国外に出るのに一番安い飛行機代はどこかとさがしているうちに、キプロスにたどり着いたわけです。

事前に知っていた情報は、以前知人から聞いたキプロス旅行の断片的な話だけ。とりあえず「リマソール」というビーチリゾートエリアにホテルを確保し、あとは特に情報もなく、「陽気は暖かいだろう、シーフードがおいしいだろう、ギリシャ的な雰囲気の景観だろう」などと想像して現地入りしました。しかしまず、空港からタクシーでホテルに向かう道中の風景で「アレレ?」と思いました。なんだか全然アラブを脱出した気分にならないのです。ギリシャの島というよりも、ずっとアラブっぽい景色が広がっていました。

この時は3月末、ちょうどイースターシーズンでもあり、そざかしホテルはヨーロッパ人でごった返しているだろうと思っていたら、ロビーにはほとんど人影がありませんでした。「みんなビーチで寝転がっているのかな」と考えつつ部屋に上がり、さっそくベランダに出てビーチを一望すると、これまたほとんど客の姿が見えません。ここでまた「ん?」。さらに、ベランダで受ける風のなんと涼しいことか。もうだいぶ暖かいと思っていたのに、「ビーチでのんびり」という思惑が外れてしまいました。

5日間キプロスに滞在したのですが、結局毎日涼しい天気が続き、海に入ることはありませんでした。ビーチのデッキチェアに寝ていることすら、あまりの風の冷たさにやる気が起きませんでした。「まぁいいや、とにかく新鮮なシーフードだ」と気を取り直して繁華街に出かけたのですが、ここで激しくガッカリすることになります。完全にあてがはずれました。味はいまいち、しかも冷凍食品ぽいものもちらほら。その店が悪かったということでもなさそうで、結論としては単に「季節外れ」だったようです。

キプロス観光のハイシーズンはやはり夏。7月になればまぶしい太陽の下、きっとどのビーチもレストランも観光客でごった返すことでしょう。港にもたくさん魚があがり、どこで何を食べてもはずれはなさそうな気がします。しかしこの時はホテルも町も、すべてが閑散としていました。「寒い、まずい、寂しい」という三重苦に見舞われ、旅行のウキウキ感はゼロ。ビーチリゾートには真夏に行くべきだなとつくづく思いました。「暑い、旨い、にぎやか」 これがあって初めてリゾートを楽しめるというものです。

シーフードがそんなだったので、せめてキプロスのローカルフードをと思ってメニューを見ると、なんだかアラブ料理と代わり映えしないものばかり。おいしいことはおいしいのですが、エジプトから海外旅行に出かけるからにはアラブを忘れたかったというのが正直なところ。なんだか逆に気落ちしてほとんど写真も撮りませんでした。ひとつだけ、「コマンダリア」という極甘口のキプロスワインだけは、良い旅の思い出として残りました。お酒飲めないんでひと口ふた口でしたが。

■コマンダリア (Commandaria)
キプロスのコマンダリア地方トロードス山麓の村で生産される、琥珀色をした甘口のデザートワイン。収穫したブドウを天日干しして糖度を高めるため、アルコール度数は15度に達する。この製造法については紀元前8世紀の古文献にも見られ、12世紀の十字軍の時代にはすでにコマンダリアの名前を冠していたため、現在も作られているものの中では世界最古のワインと言われる。

コマンダリアの歴史は、美神アフロディーテを祝うためワインを飲む習慣を持っていた古代ギリシャ時代にまでさかのぼることができる。キプロスの天日干ししたブドウから作るワインに関するもっとも古い記述は、紀元前800年のギリシャ語の詩 (Hesiod/Cypriot Manna) である。

12世紀の十字軍の時代、イングランド王リチャード1世、別名「獅子心王 (Richard the Lionheart)」はキプロスで結婚披露宴を催した際、このキプロスワインをいたく気に入り、「王のワイン、そしてワインの王」と讃えたと言われている。この時代にキプロスは他の諸侯 (テンプル騎士団など) に売却されたが、リマソール近郊のワイン生産地だけは手放されなかったという。

13世紀、フランス王フィリップ2世 (尊厳王) は世界初のワインテイスティング大会を開催した。フランスおよびヨーロッパ各国から集められたワインのうち、最優秀に輝いたのはキプロスワインであった (コマンダリアであろうと信じられている)。また、オスマントルコがキプロスを侵略したのは、唯一コマンダリアが目的であった。

コマンダリアはキプロス固有のMavro種とXynisteri種の完熟ブドウで作られる。それぞれ糖度が15~16度、12度になってから収穫されるが、さらに天日干しされ糖度が高められたブドウは、自然発酵でアルコール度数が15度に達する。これらのプロセスはコマンダリア地方の指定された14の村でのみ行われる。

コマンダリアと呼ぶことができるのは、樫の木の樽に最低4年以上寝かされたワインであると法律に定められている。しかしこの熟成工程に関しては、キプロス島の中であれば14の村以外でも行うことができる。同じように高いアルコール度数を持つ甘口ワインが他にもあるが、コマンダリアは完全に自然発酵のみによるものであり、強化ワインではない。

コマンダリアは1879年には年間385,000リットル生産されていた (税金を払った登録品のみの計算)。そのうち231,000リットルはリマソール港から輸出され、うち199,000リットルはオーストリア向けであった (当時のお金で2,075イギリスポンド)。2005年の生産量は年間449,290リットル。

コマンダリアはEU、アメリカ、カナダで原産地呼称保護 (PDO) に登録されている。コマンダリアはトロードス山麓の標高500~900mに広がる Ayios Yeorgios, Ayios Constantinos, Ayios Mamas, Ayios Pavlos, Apsiou, Yerasa, Doros, Zoopiyi, Kalo Chorio, Kapilio, Lania, Louvaras, Monagri, Sylikou の各村で生産されている。

2006年2月、キプロスワイン生産組合は、オーストリア・リーデル社のワイングラスをコマンダリア公式ワイングラスに選定した。

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2008年4月16日 (水)

嗚呼、憧れのエーゲ海クルーズ

ちょうど10年前、エーゲ海クルーズをしました。大型客船に乗って、アテネ近郊のピレウス発→ミコノス島→パトモス島→クシャダシ(トルコ)→ロードス島→クレタ島→サントリーニ島→ピレウス着、というルートを4泊5日でまわるものです。「船旅」、しかも「エーゲ海クルーズ」という言葉にはものすごく憧れを持っていて、カイロに住んでいた当時、たまたま近所の旅行代理店で「こんなのがあるよ」とクルーズのパンフレットをもらったものですから、これはもう行くしかないと思ったわけです。アテネまでの飛行機代はとても安かったし。

輝く陽光を浴びた、エーゲ海の美しい島々の写真がふんだんに使われたパンフレットは、見ているだけでワクワクしてきました。船のデッキでひたすらのんびりと過ごす自分を想像すると、思わず口元がほころびます。自分にとって船旅とは、セカセカと慌ただしく観光地をまわる旅行と違って、いかにも大人のチョイスという感覚でした。もうそろそろこういう旅をしても良いだろうと、そういうデンと構えた感じの気持ちですね (←天狗…)。

そうして、料金プランの検討に入ったのですが、これがなんとも難しい。基本的に値段が高いのもさることながら、下のクラスから上のクラスまで、小刻みにちょっとずつ値段が上がっていきます。こういうのが一番選びにくい。参考までに、当時のプランにかなり近いものを見つけたので掲載します (サイズが大きいので保存してからご覧ください)。このプランを見ると、どのクラスに予約したら良いのか誰もが迷うと思います。窓のない内側は避けたい、窓がある海側でも一番下の階はイヤ、一番上のクラスは高すぎ、などと考えると、おのずと2階の海側か、3階の海側になります。

ただ、3階の2種類の海側の部屋を見比べると、安い方は船体後ろ側でエンジンに近いため、おそらくそれなりの騒音がある、ということで60ドルの差がついていると考えられます。このふたつを比べたら、値段はわずかな差ですから、絶対に前側の部屋の方が良いのですが、2階の部屋と比べると、260ドルの差になり、1室の値段で考えると1.5倍ないしは2倍になるわけですから、けっこう大きな差です。こんなに違うなら下の部屋でも良いかな、などと考え始めると、もう全然アイデアがまとまりませんでした。

そのうち知人が、「船の旅は階によって扱いに大きな差があるよ。極端に言えば緊急時に脱出する順番も、上の階が先だからね」などとアドバイスをくれたので、ますますわからなくなってしまいました。「2階の海側より3階の内側の方が値段が安いのに、助かる確立は高いのか」などと考えを巡らせるようになり、やや被害妄想的になったところで、エイヤと割り切って、結局2階の海側の部屋を取ることにしました。タイタニックのようなことには、まぁ、ならないだろうと自分に言い聞かせつつ。

それにしても、いざクルーズが始まって痛感したのは、船というのは、お金をたくさん出した人に露骨にサービスが良いということ。レストランは2回の入れ替え制ですが、自分のクラスは後回しの方でした。最上階のゴージャスなラウンジはファースト&セカンドクラス専用だったし、あるフロアには目に見えない境界線があって、部屋のタグを見せて「そちらに入れる住人」かどうか確認されました。

それまでの旅行では、ジャパンマネーを存分に謳歌して (というほど贅沢旅行はしたことありませんけど)、旅先で卑屈になることなどなかったわけですが、この時ばかりは貧富の差、身分の差というものをヒシヒシと感じ、ファーストクラスラウンジに出入りする、タキシードやドレスに身を包んだ紳士淑女の皆さんを恨めしげに見つめるしかありませんでした。

もっとも、昼間デッキに出てしまえば、そんなことはあっという間に忘れてしまいました。洋上に群れるカモメ、ひたすら紺碧の海、水平線の彼方には何があるのか…。気分はもう海のトリトンです (←古すぎる…)。島巡りも良かったです。ロバにまたがって山頂に登ったり、紫に色づくサントリーニ島の夕焼けにため息をついたり。時間がゆったりと流れるのを肌で感じました。船旅を選んで、やっぱり良かったです。ということで、当時のことを思い出しながらマイフォトに写真をアップしました。

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2008年4月15日 (火)

オランダのバカな政治家が… (2)

世界中で物議を醸している、オランダの政治家が作ったイスラム批判のショートフィルムに対し、真っ先に不快感を表明したマレーシアやインドネシアなどと違って、サウジアラビア政府は比較的静観の構えです。大人ですね。ただし、YouTube にたくさんアップされている動画はしっかりブロックされていて、基本的には見ることができません。政府としては世論を刺激したくないというのが本音でしょうから、おそらく意図的に、これまでニュースとして大々的に報じられることはありませんでした。自分が気がつかなかっただけかな?。でも、職場でも全く話題に上らなかったし。

14日付の現地英字紙 Arab News に、本件に関連した記事が載りました。世界中のムスリムコミュニティーでオランダ製品の不買運動が起きていることや、オランダ人の3割がフィルムを見ていてそのうち2割くらいは制作者の行動を評価したことなどが、現状報告的に淡々と記されていました。また、フィルム制作者の政治家が2月にイギリスの新聞のインタビューを受けた時、以下のように発言していることを紹介しています。ちなみに彼はこの3年間、危険を避けるため警察の保護を受けながら生活しているそうです。

「私はイスラム教の伝統や文化、思想を問題視しているんだ。ムスリム (イスラム教徒) の人たちともめているわけではない」
「オランダでコーランを禁止したい。オランダにこれ以上モスクや神学校、イマーム (イスラム神学者、イスラム指導者) はいらない」
「すべてのムスリムがテロリストではないが、ほとんどすべてのテロリストはムスリムだ」

この発言を読んで、個人的にもっとも相違点があるのが、イスラムとムスリムの評価です。彼は、「イスラム (コーラン) は間違っている。しかし愚かな人間はそれに従ってしまう」と言っているんだと思います。自分の場合は、「イスラム (コーラン) は正しい。しかし愚かな人間は間違って解釈してしまう」というものです。これまでにも何人ものムスリムの友人から、「人間がイスラムの全てを理解することは無理。時には間違った解釈から間違った行動に出る者もいる」と聞いてきました。世界中で13億の人たちがコーランを「絶対的なもの」として信じているわけですから、そこを否定しちゃダメでしょ、と思いますね。少なくとも政治家なんだから。

自分は別にムスリムではありませんが (アダムとイブがムスリムである以上、人類はみんなムスリムなんだそうですが…)、聖書やコーランは読み物としてなかなか面白いので、普段ヒマな時にペラペラとめくったりしています。今回のショートフィルムで引用されている箇所をあげてみると、いかに偏った編集がされているかがよくわかります。一応、ムスリムの名誉のために、補足を記しました。しつこいようですが、コーランはなかなか良いことが書かれているなぁと思う反面、イスラム教徒であまりマトモな人 (人間的にバランスが取れていて尊敬できる人) に会ったことがないので、「コーラン (を読むこと) は好きだけど、イスラム教徒は嫌い」という立場に変わりはありません。 (←ひぇ~)

■戦利品章: 60
「彼らに対して、あなたのできる限りの (武) 力と、多くのつないだ馬を備えなさい。それによってアッラーの敵、あなたがたの敵に恐怖を与えなさい」
(→9.11テロ、スペインのテロ、イマームの過激発言、テロの遺体のシーンに続く)

※実はコーランには、続きの61で以下のように記されています。全編を通じて、基本的には戦いを避けるよう、あるいはムスリムが戦わなくてもすむよう記述されていることは明白なのですが、この辺りが解釈の違いになるんでしょう。

「だが彼らがもし和平に傾いたならば、あなたもそれに傾き、アッラーを信頼しなさい。本当に彼は全聴にして全知であられる」

■婦人章: 56
「本当にわが印を信じない者は、やがて火獄に投げ込まれよう。彼らの皮膚が焼け尽きる度に、われは他の皮膚でこれに替え、彼らに (飽くまで) 懲罰を味わわせるであろう」
(→イマームの過激発言、幼児のユダヤ教徒侮蔑発言、爆破テロ、皮膚が焼かれた遺体、反イスラエルデモのシーンに続く)

※続きの57を読んでも明らかなように、これは敵の皮膚を焼けと言っているのではなく、ムスリムに対して「こうなりたくなかったら真面目にやれよ」と言っているのだと思います。

「だが信仰して善い行いに励む者には、われは川が下を流れる楽園に入らせ、永遠にその中に住まわせよう。そこで彼らは、純潔な配偶を持ち、われは涼しい影に彼らを入らせるであろう」

■ムハンマド章: 4
「あなたがたが不信心な者と (戦場で) まみえる時は、 (彼らの) 首を打ち切れ。彼らの多くを殺すまで (戦い)、(捕虜には) 縄をしっかりかけなさい」
(→テオ・ファン・ゴッホ事件、テロリストによる首切断殺害シーンに続く)

※この4はまだ以下のように続いています。これによって、人を殺さなくてもすむようになっているのですが…。

「その後は戦いが終わるまで、情けを施して放すか、または身代金を取るなりせよ」

■婦人章: 89
「彼らは自分が無信仰なように、あなたがたも無信仰になり、(彼らの) 同類になることを望む。だが彼らがアッラーの道に移って来るまでは、彼らの中から (親しい) 友を得てはいけない。もし彼らが背を向けるならば、ところかまわず彼らを捕らえ、見つけ次第彼らを殺せ。彼らの中から決して友や援助者を得てはならない」
(→アフガンあたりの市民の発言、イマームの過激発言シーンに続く)

※ヨーロッパに移民したムスリムが現地の生活習慣になじまないのも道理です。ただ、欧米で風紀が著しく乱れているのは確かだし、アル中ともヤクザとも等しく友達として付き合え、と言われても、それは無理な話です。それに、続く90には、以下のように記されています。他の箇所と同じように、ムスリムが戦わなくてもすむように。

「だが、あなたがたと盟約した民に仲間入りした者、またはあなたがたとも自分の人々とも戦わないと心に決めて、あなたのところへやって来る者は別である」

■戦利品章: 39
「だから、多神がなくなるまで、また (彼らの) 教えが、凡てアッラーに向けられるようになるまで、彼らと戦え」
(→イスラム教徒による世界征服宣言ともとれる発言をピックアップ)

※この39はまだ以下のように続いています。基本的には、敵対しない限り信仰の自由は保障されているというのがメジャーな解釈です。

「だが彼らがもし (敵対を) 止めるならば、本当にアッラーは、彼らの行うことをご存じであられる」

………以上です。まぁ、なんでしょう、キリスト教徒は潜在的にイスラム教徒が怖いんでしょうか。ユダヤ教徒も含めて、同族ゆえに、逆に軋轢が絶えないというか、近親憎悪というか。それぞれに絶対的なものを持っていますからね、それはもめますよ。日本人みたいに、その都度適当に都合良く解釈すれば良いのに、とつくづく思います。「困った時の神頼み」なんて、素晴らしい言葉じゃないでしょうか?

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2008年4月14日 (月)

オランダのバカな政治家が… (1)

あーあ、またこんなことやってる…。

■オランダ右派政治家の反イスラム映画、オンラインで物議 (Wired Vision 2008年3月31日)
オランダの右派政治家が制作した問題の反イスラム映画が、3月27日(米国時間)にオンライン公開され、視聴回数300万以上を記録した。続報によると、映画を公開したサイトは28日、公開を停止した。現在、該当ページには「スタッフに対する脅威が深刻なため」掲載を停止するという掲示がある。翻訳時点での閲覧回数は約420万。

物議を醸している映画『XXXX (名前は書きません、サウジ政府にフィルターかけられてブログが見られなくなると困るので)』[アラビア語で「不和」あるいは「試練」を意味する]は、イスラム教の聖典コーランの言葉と、テロリストの攻撃の生々しい映像を並列させている。オランダ人政治家のXXXX氏 (同じ理由で名前は書きません) は、自ら映画監督となって制作した17分の動画を、過激な映像配信で知られるニュースサイトで公開した。

この行為に対して、オランダ政府や多くの国際団体が強い懸念を表明していたが、同氏は耳を貸さなかった。映画を作った同氏は、1月に行なわれたFox Newsとのインタビュー中で、「イスラム文化やそのイデオロギー、宗教には大きな問題がある」と感じると語っている。オランダの首相は映画を非難し、この映画はイスラム教と暴力を同一視するという間違いを犯していると語った。

■オランダ:極右党首の反イスラム発言、裁判所が容認の判断 (毎日新聞 2008年4月8日)
オランダの裁判所は7日、同国の極右政党の党首が、イスラム教をファシズムになぞらえた発言について、「言論の自由」として容認する判断を下した。イスラム教徒が司法判断に反発を強めるのは必至だ。

イスラム移民排斥を訴える同党首は3月末、反イスラムの短編映画「XXXX」をインターネット上で公開。映画は米同時多発テロ(2001年)、マドリード列車爆破テロ(2004年)などの凄惨な映像を多用し、イスラム教の聖典コーランの章句を、過激派によるテロとむすびつけようとしている。イスラム諸国から非難の声が上がり、国連や欧州連合(EU)が批判した。

在オランダ・イスラム教徒団体は映画の公開禁止を求めると共に、イスラムをファシズムと同一視する同党首の発言を「違法」として撤回を要求していた。これに対しハーグ地裁は、「国会議員(である同党首)は見解を表明できなければならない。発言は違法とはみなされない。重要なのは言論の自由の権利だ」として訴えを退けた。

イスラム教と「表現の自由」をめぐっては、2005年にデンマーク紙がイスラム教の預言者ムハンマドの風刺漫画を掲載。イスラム教徒の猛反発を招き、世界のイスラム教国で激しい抗議デモが行われた。

*   *   *   *   *

たぶん、このショートフィルムの言っていることは、イスラム全体の中のある側面を切り取ったという意味では、決して否定はできません。ただ、イスラム原理主義者に限定して批判するならまだしも、イスラム全体を野蛮な侵略者として印象づけようとしているので、ちょっと大人げないなと思うわけです。コーランを「殺しのライセンス」と言ってみたり、イスラムはナチズムや共産主義と等しい侵略だとか、キャンペーンの標語風に「イスラム化を防げ」とか。イスラム原理主義者の過激なテロ活動は、実は普通のイスラム教徒にとってもはた迷惑な行為ですから (→9.11テロの時の記事)、こんな対立をあおるようなフィルムを作るより、むしろ穏健派 (というより普通の大多数) のムスリムと手を取り合って、テロ撲滅キャンペーンでもすれば良いのにと思います。結局、票集めなんでしょうね。

オランダは移民を積極的に受け入れてきた寛容の国です。現在、約100万人までふくれ上がったムスリムコミュニティーが、オランダの文化や生活習慣をあまり受け入れず、頑なにイスラムの戒律を守ろうとするのは、オランダにとっては計算外だったでしょう (女性のスカーフ着用だけでもヨーロッパでは深刻な対立論点になり得ます)。「おいおい、受け入れてやったんだから、お前らも妥協して少しはこっちに歩み寄れよ」と言いたい気持ちはわかります。2004年のテオ・ファン・ゴッホ事件以来、イスラムに対する警戒感が一気に広まったのも事実です。ただ、憎しみを忘れることはできないにしても、あえて憎しみをあおる必要もないでしょう。←別に中国や韓国の歴史教育を批判しているわけではありませんよ (汗)。早期に事態が収束するよう期待します。

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2008年4月 9日 (水)

スペイン写真

スペイン写真をマイフォトにアップ。マドリッド、トレド、アルハンブラ宮殿、バルセロナ、モンセラートなど。スペインについてはこれまでにも少し書いていますが (1/14=フラメンコと闘牛、1/15=アルハンブラ宮殿)、語り始めたらきりがありません。魅力的なものがありすぎです。もう一度行きたい国 No. 1。ちなみに、ここに2枚アルハンブラ宮殿の写真を大きめにして載せました。デザインがあまりに精緻なので、これくらいで見ないとよくわからないので。

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2008年3月18日 (火)

オランダ写真

オランダの写真をマイフォトにアップ。オランダにはこれと言って観光の目玉があるわけではありませんが (見る人が見たら違うでしょうけど)、その雰囲気は大好きです。アムステルダムを彩る昼と夜の顔。心安らぐ地方の田園風景。景色はどこをとっても絵になるし、食べ物も世界各国のものがあります。何よりアジア人が街を歩いていても、風景にとけ込めるというか、あまり違和感が感じられません。それだけいろいろな人種が街にあふれています。コスモポリタンとはオランダ人のことを言うのではないでしょうか。懐が深いです。飾り窓があったり、大麻まで合法だったりするのは、まぁその、なんと言うか…。

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アムステルダムの「ん?」

何だかおかしいぞ…。

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2008年3月 5日 (水)

イギリス写真

マイフォトにイギリス写真をアップ。ロンドンは食料の買い出しや病院検査のため何度か訪れていますが、ある年、11日間かけてイギリス国内を回るバスツアーに参加したのでその時の写真を中心に載せました。ロンドン→プリマス→バース→ウェールズ→エジンバラ→スカイ島→ヨーク→ロンドン。途中いろいろ立ち寄っていますが、実はこのバスツアーが微妙だったため (ツアーの様子はこちら)、写真を見返しても場所を思い出せないものがけっこうあります。なので順番もごちゃごちゃになっているかもしれません。白黒写真にしたのは、イギリスの重~い雰囲気が伝わるかと思って。

それにしても、観光旅行としてはとても地味なものでした。ベンネビス山とネス湖を見たからもう十分て感じ。旅行から戻ってきてイギリス人の友人に「スカイ島まで行ってきたよ」と言ったら、「そんなへんぴな所に?、すごい!」と驚かれたし。住むんだったら断然ロンドンなんですけどねぇ。観光はなぁ。ちなみにスコットランドで食べたキドニーパイとハッギスは案外おいしかったです。というかかなり好きかも。プリマスのフィッシュ&チップスもグー。さすが港町。でも他の街ではバーガーキングとか食べてました。イタリアと比べちゃいけないんでしょうけど、食べ物はねぇ…。

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2008年3月 4日 (火)

イタリア写真

マイフォトにイタリア写真をアップ。一度ローマに旅行して、その2年後に今度はバスツアーで南から北まで駆け足で旅行しました (ツアーの様子はこちらにも)。ローマ→ポンペイ→ソレント→カプリ島→アッシジ→ラベンナ→ベネチア→ベローナ→ミラノ→ルガーノ→ジェノバ→ピサ→フィレンツェ→シエナ→ローマ、という感じで12日間。写真もこの順番です。観光地としてのイタリアのポテンシャルは今さら語るまでもありませんが、やっぱり楽しかったです、本当に。食べ物も土地土地でおいしい名物料理があるし、街でも畑でも見るもの全てが絵になるし、まるで奇跡のような国です (生活するとまた違うでしょうけど)。

中でも特に印象に残ったのは、街ならアッシジ。あの街のたたずまいには不思議と懐かしさがこみ上げてきました。食べ物は全部おいしかったですが、強いてあげるならムラーノで食べたリゾットが殊の外おいしかったです。いや、実際はどこで食べてもおいしかったんですけどね。南と北でずいぶんメニューが異なるのも新鮮な驚きでした。南北に長い国は土地の衣食住文化に変化があっておもしろいです。いつかもう一度イタリアを旅してみたいものです。今度はもう少しのんびりと。

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2008年2月14日 (木)

ムハンマド風刺漫画問題

■デンマーク紙、ムハンマドの風刺漫画を再掲載
「デンマークの主要5紙が13日、イスラム教の預言者ムハンマドの風刺漫画を一斉に再掲載した。05年に風刺漫画を描いたデンマーク人漫画家 (73) を殺害する計画を立てていたモロッコ出身のデンマーク人ら3人が12日に逮捕されたため、テロ行為に対して「報道の自由を守る」と主張している。国内のイスラム社会から反発が出ており、再び緊張が高まる恐れがある。」 -asahi.com 2008年02月13日23時17分-

デンマーク紙も無茶しますねぇ。現在いる場所が場所なだけに発言には慎重にならざるを得ませんので、本件に関してはノーコメント。

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2008年2月 1日 (金)

アメリカ人てホントに

コショウがなくなったのでスーパーで買ってきました。日本だったらS&Bが良いなと思いますが、こちらでは特にこだわりもありません。ズラッと並んだ商品から、適当にひとつカゴに入れただけです。家に戻り、日本から持ってきた貴重なインスタントラーメンを作りました。丼に移し、買ってきたばかりのコショウをひとふり。しかし、予想外に大量のコショウがザーッと出てきました。夕暮れ時で、そろそろ台所の電気をつけようかと思っていた矢先のことでした。

「うっ…」 あまりのコショウの量に思わずうめき声を上げてしまいましたが、あわててビンの口を見てみると、日本では考えられないような大きな穴が3個開けられていました(直径7mm×3!)。「しまった、大きい方だったか」 そう思って反対側のフタをパチンと開けてみると、なんとこちらは半円形にそのままくり抜かれています。あらためてビンのラベルを見ると、そこには「American Garden」という誇らしげなマークが。

車にしろハンバーガーにしろ、「アメリカンサイズ」はけっして嫌いではありません。しかし、いくらなんでもコショウの穴は小さい方が良いと思うんですが…。かけすぎて味を台無しにしてしまうリスクを考えれば、何回かに分けてふりかければすむ話だし。アメリカ人てやっぱりチマチマしたものが嫌いなのかな。MacBook Airも薄くはなったけど小さくはなってなかったし。

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2008年1月18日 (金)

ポルトガルの魅力

スペインの印象は光と影。強烈な太陽光線は同時に真っ暗な日陰を生んで、あらゆるものに強烈な陰影を作っていました。闘牛やフラメンコの、破滅的ながらも激しい生への情熱と躍動感。急に止まったかと思えばまた突然動き出す緩急の変化に、ドキリとしながらも目が釘付けになりました。広い国土がもたらす豊富な海の幸、山の幸をふんだんに使ったスペイン料理にも感動。どこで何を食べてもたいていハズレなくおいしかったです。しかも安かった。ちなみにイタリアはそれなりにお金を出さないとおいしい料理は食べられませんでした。

そして来たポルトガル。8月だというのに、なんだか全体的に落ち着いた雰囲気。なんと言っても太陽の勢いが弱い。スペインのギラギラした太陽、南仏のサンサンとふりそそぐ太陽とはまた違って、なんというか秋の西日のように透明感はあるものの、「もうこれ以上温度は上げられません、1枚重ね着してね」と最初からエクスキューズしているような、ちょっと弱々しい光でした。もちろん人によって感じ方はそれぞれでしょうが、やはりスペインなどとは明らかに異なる空気感だと思いました。個人的には、決して嫌いではありませんけど。

フランスにシャンソン、イタリアにカンツォーネがあるように、ポルトガルにはファドがあります。ファドを聴かせるレストランに行きましたが、哀愁たっぷりのギターをバックに切々と歌いあげる姿は、なんだか演歌そのもの。気分は八代か石川か。歌詞の意味はまったくわかりませんが、とにかくいたく感動し、帰りがけにその歌手(Lenita Gentil/写真)のCDを買ってしまいました。実際には明るい曲調のファドもあるそうですが、ポルトガルの雰囲気には切ないメロディーの方が断然あっていると思います。

ポルトガル料理の代表的な食材であるタラの塩漬け(あれだけ海岸線があるのに魚の保存食なんだなぁ)、そして名物のイワシの炭火焼き、臓物の煮込みはどれもおいしくいただきましたが、お隣のスペイン料理と比べると、正直かなり地味です。地理的なこともあって、スペインとポルトガルは似たような食文化を持つ国であると勝手に想像していたのですが、実際には大きく異なっていました。そこがまた魅力的に感じます。希望とエネルギーに満ちあふれた食卓ではないけれど、1日の終わりにしみじみとおいしいのがポルトガル料理でした。

これもまたそんなポルトガルのお国柄か、旅行中に見た結婚式(写真)も、なんとも言えない深刻さが漂っていました。結婚したけれどこれからが大変だぞ、という世相を現していたのかもしれません(←考えすぎ)。不思議な国でした、ポルトガル。でも、好きだなぁ。

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2008年1月15日 (火)

バルセロナのトカゲ

サウジアラビアでダッブ(トゲオアガマ)を飼うようになって以来、各地でトカゲグッズを見つけると顔がほころんでしまうのですが、バルセロナのグエル公園にあるトカゲの噴水を見たときは、その人気ぶりに「いやぁ、出世したなぁ」と思わず賞賛の声をかけてあげました (心の中で)。ただ、噴水というより口から大量のよだれがダダ漏れしてるように見えるのが玉にきずかな。

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アルハンブラ宮殿

アルハンブラ(Alhambra)は、アラビア語で「赤い城塞 (Al-Qal'at Al-Hamra'/アルカルア・アルハムラー)」と呼ばれていたものがスペイン語に転訛したものです。アラビア語は名詞の後ろに形容詞をつけて修飾しますが、名詞の性によって形容詞も男性形か女性形に変化します。また、名詞に定冠詞(いわゆる"The")がつくと、同じように形容詞にも定冠詞をつけます。以下に例を。

◎宮殿=カスル (男性形)
赤い宮殿=カスル・アフマル
その赤い宮殿=アルカスル・アルアフマル
(アルカスルル アフマル)

◎城塞=カルア (女性形)
赤い城塞=カルア・ハムラー
その赤い城塞=アルカルア・アルハムラー
(アルカルアトゥル ハムラー)

日本ではアルハンブラ宮殿と呼ばれますが、アラビア語の原型では宮殿(城)ではなく城塞(砦)と呼ばれていたそうです。アラビア語を習っていた学生時代、アルハンブラ宮殿はてっきり「カスル」だと思って、「カスルは男性形だからハムラーにはならないよなぁ」としばらく悩んだりしました。グラナダのアルハンブラ宮殿を訪れたときは、ついそんなことを思い出して、感慨もひとしおでした。

美しいタイルと精緻なアラベスク模様、水をたたえる池と噴水のしぶき、風が吹き渡る中庭と陰影に富んだ回廊。そのどれもがイスラム芸術の典型にして極み。しかしなお、そこにスペインを感じるのはなぜでしょう。確かにそこはまちがいなくスペインでした。同じようなものをサウジアラビア国内で見ると、「う~、アラブ~」とゲンナリしてしまうんですけどね。

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2008年1月14日 (月)

闘牛

闘牛と言えば、普通テレビなどで目にするのは、マタドールが赤い布をひらひらと揺らし、牛の突進を鮮やかな動きでぎりぎりかわしていく姿です。しかしマドリッドで実際に闘牛を見て、もっといろいろと手順があるのだとわかりました。また、上手なマタドールもいれば、観客にブーイングを浴びせられる下手なマタドールもいました。で、やっぱりちょっと残酷かなと思うわけですが、すでにスペイン文化に深く根を下ろしているため、「弁解の余地はない、しかし誘惑にも抗しがたい」という風に考えられているそうです。

闘牛は、毎年春の復活祭の日曜日から9月末または10月初めまで、毎週日曜日の午後、全国に400ヶ所あるといわれる闘牛場で開催されます。16世紀ごろの伝統的衣装を身にまとった闘牛士は、主役のマタドール、銛打ち(バンデリリェロ)3人、騎乗の槍手(ピカドール)2人、助手(ペネオ)数人が1チームとなります。3チームが2度ずつ出場、1日の興行で6頭の牛と戦いを繰り広げます。闘牛場の席は、西日があたる側は値段が安くなっています。私はだんだん日陰になるちょうど真ん中の席を、中間くらいの値段で買いました。

闘牛士が入場すると、まずはピカドールによる槍攻撃、続いてパンデリリェロによる銛打ちが行われ、暴れ狂う牛をほどほどに弱らせます。闘牛を初めて見る観光客はおそらく誰もが我が目を疑い、そして「ずるい」と思うでしょう。こんなカラクリがあったとは知りませんでした。しかしここで牛を弱らせすぎるとひどいブーイングを浴びるので、塩梅が難しいところです。その後、おなじみのマタドールによる赤い布と剣による演技が行われ、最後にマタドールは牛の首の付け根あたりの急所に剣を刺して刺殺します

この最後の一刺しがうまく命中すると、牛はビクンと痙攣してすぐにバタリと倒れ、マタドールは観客から拍手喝采を受けます。私が見た中で一人だけ、刺しても刺しても牛が倒れない、下手なマタドールがいました。牛も大量に血を流しながらヨタヨタとしぶとくマタドールに突進を繰り返します。こうなるともはや芸術としての趣向は消え失せ、一気に残酷ショーと化してしまいました。観客のブーイングがひどかったこと。マタドールも最後にはなんとかしとめましたが、気の毒なくらいがっくりとうなだれていました。

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フラメンコ

マドリッドに旅行したのは夏。夜9時でもまだ明るく、夕ご飯を食べた後もしばらく町をブラブラと散歩していました。ふと、「そういえばフラメンコを見ていなかった」と思い当たり、ガイドブックを開き適当に目星をつけると、タクシーに乗って「Cafe de Chinitas」に向かいました。店内はガラガラ。適当に席についてドリンクだけ注文すると、夜10時過ぎの開演をしばらく待ちました。

フラメンコについては特に予備知識もなく、見るポイントのようなものもわからなかったのですが、実際にショーが始まってみると、その迫力にあっという間に引き込まれてしまいました。ギターと、踊り子の歌とステップが一体となって、たたみかけるように何かを訴えかけてきます。歌の意味はまったくわかりませんが、とにかくその情熱は痛いほど伝わってきました。

もうひとつの発見は、男性の踊りがものすごく良かったことです。素早く華麗な足裁き、ダダダンと床を踏みつける音がホールに響き渡ります。女性の踊りとは別次元の格好良さに、感動することしきりでした。帰りの足がちょっと心配だったので12時過ぎには店を後にしましたが、ショーはずっと続いていました。むしろ、まだまだこれからといった雰囲気で、店の中の熱気と興奮はまったく冷める気配がありませんでした。

マドリッドを出国するとき、空港の売店で1冊の雑誌が目に入りました。表紙を飾っていたのは、Cafe de Chinitasで見た踊り子の一人でした。あまりに素晴らしいフラメンコだったので、「もしかして有名店だった?」と考えつつマドリッドを後にしましたが、後日調べてみると、やはりかなりの老舗だったということがわかりました。すごくラッキーだったと思います。

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2008年1月 9日 (水)

ペルガモン博物館

東ベルリンでは、ペルガモン博物館を堪能しました。館名の由来にもなっているペルガモンの大祭壇、バビロニアのイシュタール門などが代表的な収蔵品ですが、それぞれ「一個の品」という感じではなく、祭壇をそのまま、門をそのまま切り取って持ってきてしまった状態です。つまり「現場」がそこに再現されているわけです。よくもまぁ、こんな大がかりなことを150年も前にやったなぁと感心するやらあきれるやら。まったくドイツ人の執念深さ、いや、学術探究への情熱には頭が下がります。持って行かれた先方の国には悪いですが、こうしてベルリンに集められたからこそ、これほど貴重な遺産を一時に見ることができました。ドイツの先人に感謝です。

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2008年1月 8日 (火)

アイスバイン

もう10年以上前のことですが、「ベルリン・天使の詩」を見て感動し、思わずベルリン旅行を決めました。行く前に同僚から、「サウジから行ったらドイツの豚肉は格別に旨いよ、アイスバインは是非食べてね」と言い渡されたのですが、それがどんなものかよくわからないまま旅立ちました。フランクフルトから飛行機を乗り継いだため、荷物が届かないというハプニングはありましたが、翌日荷物は無事に到着、天気も良好、西ベルリンの散策を大いに満喫しました。

さて、西側を見たら次は東側です。電車に揺られ、途中兵隊が乗り込んでくるのを横目に見ながらやり過ごし、ほどなく目的の駅にたどり着きました。博物館を見た後、東側でアイスバインを食べようと考えていたのですが、西から東に入ると、急に町の雰囲気がガラリと変わり、商業店舗がほとんど見あたらず、周囲は団地だらけでした。「レストランなんてなさそう…」と少し不安になりつつ、やや足早に町を巡ると、ようやくレストランを見つけました。そこは小さなビヤガーデンになっていて、テーブルは店の外に並べられ、地元の人らしき客も数人座っていました。

メニューをもらうと(確かメニューは「本日の定食」の意味で、カルテと言ったっけかな?)、ありました、アイスバインの文字が。店員を呼んでおもむろに「アイスバイン」と伝えると、隣のテーブルから「Oh…」という小さな声があがりました。「え、どういうこと?」と思いましたが、運ばれてきたお皿を見て納得。なんとも大きな肉の塊が、どーんとテーブルに置かれました。とても1人前とは思えません。目の前に鎮座するアイスバインは、とにかくその迫力と存在感がすさまじく、「さすがゲルマン魂」などとわけのわからないつぶやきを発するには十分なインパクトがありました。

アイスバインは豚の骨付きすね肉を塩ゆでした、ドイツ伝統の家庭料理です。見た目こそおおざっぱな感じですが、味は良く、とてもおいしくいただきました。帰り際、店員と隣の客双方から「味はどうだった?」と聞かれましたが、「おいしかった、ブンダバー(素晴らしい)」と答えると、ウンウンと満足そうにうなずいていました。

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2008年1月 7日 (月)

ブイヤベース

世界各地に名物料理は多いですが、ブイヤベースも南仏の名物料理、しかも世界三大スープのひとつに数えられています。ある年、マルセイユに旅行しましたが、この時はフランス高速鉄道TGVに乗ることと、ブイヤベースを食べることが目的でした。もともとブイヤベースは、マルセイユの漁師が売れ残った魚を大鍋で煮込んたものだそうですが、今ではもっと贅沢な魚介類が加えられるようになりました。白身魚、ムール貝、手長エビなどをたっぷりのハーブとともに煮込みます。サフランで色づけされた黄金色のブイヤベースは、軽いカゼなら吹き飛んでしまいそうな、温かくておいしい料理です。

値段によって味(というか中身)もピンキリなので、単純にすべてのブイヤベースが世界三大スープクラスの味だとは思いませんが、マルセイユでそれなりに繁盛しているお店であれば、思わず「ウマイッ!」と声が出るおいしさなのは間違いありません。ただし、マルセイユには「ブイヤベース憲章」なるものがあり、昔ながらの「正しい」ブイヤベースとして次のような規定を設けているそうです (ブイヤベースを調べてたら今初めて知りました)。

1. 地中海の岩礁に住む魚類を4種類以上入れる。
2. エビ、貝、タコ、イカは使わない。
3. スープは決まった小魚でとる。
4. 短時間で仕上げる。

うーん、そう言えば、何軒か食べ歩いて確かに魚しか入っていないブイヤベースがあったなぁ。「うわっ、質素」と思って、若干落胆したような記憶が…。あれが正統派ブイヤベースだったのか…。でも、エビとか入ると本当においしいんですけどね。観光客もみんなロブスター入りのを頼んでいたし。世界三大スープと言っても、なかなか微妙な立場に置かれていますね。

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2008年1月 6日 (日)

モンサンミッシェル

フランス北部、モンサンミッシェルに行ったことがあります。パリのホテルでバスツアーに申し込みました。当日集まったのは30名ほど。ほとんどは欧米人でしたが、その中に、日本から来たと思われる女性3人組がいました。バスは一路モンサンミッシェルを目指し、現地に到着したのはお昼近くでした。まずは腹ごしらえです。昼食代はツアー料金に含まれており、みんなでひとつのレストランに入りました。そこには4人掛けの丸いテーブル席がたくさん置かれていましたが、他にも団体客が入っており、当然、うちのグループにはぴったり人数分のテーブルしか確保されていませんでした。

ツアーガイドが「好きなテーブルに座って」と言うなり、テーブルはどんどん埋まっていきました。こちらもあえて欧米人の席に入っていこうという元気はなく、「余った席に座ろう」とのんびり構えていたところ、結局、日本女性3人組のテーブルに座ることになってしまいました。居心地が悪い、と言っては失礼ですが、やはりこういうときにどんな会話をして良いのかわからず、かと言って黙々と食べているのも怪しいので、料理が運ばれてくるたび、当たり障りのないことを話しかけるでもなく、つぶやくでもなく、といった感じで、40分ほどをなんとかやり過ごしました。は~、疲れた。

その後に見たモンサンミッシェルは、昼食の気疲れを吹き飛ばすような、とても素晴らしいものでした。10世紀以降の様々な時代の修道院建築様式が重層構造を成しており、それを中世の軍事施設が取り囲んでいます。極めて重厚で荘厳。内部には静謐な空気が張り詰めており、息苦しいほどでした。ここは修道院であると同時に、要塞でもあります。さらに、フランス革命時には監獄としても使用されていたそうです。そこに暖かさを感じる余地はなく、逆に冷ややかで暗い歴史がほの見えて、肩に何かズンと重いものがのしかかったようでした。場所が場所だけに、たどり着く直前に潮に飲み込まれて亡くなった巡礼者も多いそうです。

帰り道、鉛色の空に浮かんだモンサンミッシェルは、来たときよりもちょっと不気味に映りました。

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最高のヌイグルミ

子供の頃からいつも周りにヌイグルミがありました。大人になってからも、なんとなくヌイグルミは好きなままで、トイザらスやハムレーズなどに行くと必ず一通りヌイグルミを物色し、気に入ったものはわりとほいほいと買っていました。買ったからといってそれをいつも抱っこしていたわけではありませんが、とりあえずソファーに並べると、ガランとした部屋がほんの少しにぎやかになったような気がしました(中東は家の広さだけは抜群ですから)。

そんな中で、「これはすごい!」と感動したヌイグルミがあります。Anna Club Plushというイギリスのメーカーのウサギのヌイグルミで(ロップイヤー/写真)、見た目、手触り、中身の詰め具合、そして重量が絶妙で、まるで本物のウサギを抱いているような気分になります。市販されているヌイグルミはそのほとんどが実際の動物より軽く、いかにもおもちゃという感じがするものです(ま、当たり前ですが)。

しかし、このウサギは小さいながらもちゃんとした重さがあり、そこが妙にリアルです。だからといって見た目にリアルすぎることもなく、適度にデフォルメされていて、その辺のバランスが本当に素晴らしいと思います。そういえば、大好きだった「ウォーターシップダウンのうさぎたち」のアニメ映画でも、ウサギたちはほとんど擬人化されていませんでした。両者とも、大人の鑑賞に堪える作品です。

最初にロンドンで1匹購入し、あまりにも良いと思ったので、エチオピアにいたときもう1匹インターネットで購入しました(無事に届いてよかった!)。現在、このシリーズはメーカーのオンラインショップでは買えなくなっていますが、ロンドンのハムレーズなどに行けばまだ売っているのでしょうか。ちなみに、ロンドン経由で一時帰国したときに、よくクマのヌイグルミも買っていました(写真)。これはこれで良いですね。

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2008年1月 3日 (木)

幻のチーズ?

中東では歴史的にヨーグルトやチーズなど乳製品が食べられてきました。アラブ人の生活にチーズは欠かせない一品で、ここサウジアラビアのスーパーマーケットでも、ヨーロッパから輸入された様々なチーズが所狭しと陳列されていて目を楽しませてくれます。日本よりは値段もだいぶ安いので、今までいろいろなチーズを食べてきました。その中でも特に好きなのが、カマンベール、エメンタール、ゴルゴンゾーラ。同じ牛乳を原料として、よくもまぁこれだけタイプの違う、しかもおいしいチーズができるものです。そのまま食べて良し、熱を加えても良し、料理に使っても良しと、まさに万能選手。我が家の冷蔵庫には常にチーズが入っていました。

しかし、あぁ、しかし…。ウォッシュタイプのチーズだけは、何度かトライしたのですがその度に挫折していました。ある年、グルメの知人がフランス旅行に行くというので、「おいしいチーズ」をお土産にリクエストしました。買ってきてくれたのは「ポン・レヴェック(Pont-l'Eveque)」。「ウォッシュタイプだけど食べやすい方だから」と言われてポンと渡されたのですが、受け取った瞬間、うっすらと漂うその臭いに「うっ…」と息が詰まってしまいました。おそるおそる包みを開けると、タクアンというかフランス人の足の裏(←嗅いだことないけど)というか、そっち系の強烈な臭いが鼻をつきます。フォークの先に取って、目をつぶり口に運んでみると、鼻をつく臭気がプーンと広がり、とても飲み込むことは出来ませんでした。

その2年後、フランスに旅行する機会があり、「今度こそは」という覚悟を持って、再びウォッシュタイプのチーズを買ってみました。選んだチーズは「ラミ・デュ・シャンベルタン(l'Ami du Chambertin)」。ナポレオンが好んだとされるブルゴーニュ地方のワイン「シャンベルタン」の「友」という名を持つチーズです。しかし、やはりこれもその臭いにまず負けて、そしてひと口食べて「………」。結局、その後もずっとウォッシュタイプだけは避け続けることになりました。

あの時の玉砕から何年もたちましたが、最近、食べるチーズが固定されてきたなぁ、冒険してないなぁと思っていたので、何か食べやすそうなウォッシュタイプのチーズはないかと再びインターネットを検索してみました。そうして、「幻のチーズ」「常温でトロトロのチーズ」「モミの木で巻かれたチーズ」と一部で熱狂的な評判を持つ「モンドール(Mont d'Or)」を見つけました。日本では流通量が少なく入手しづらいようですが、リヤドのスーパーに行ったら1軒目で発見、すぐに購入しました(400g/1800円)。

家に戻ってあらためて見てみると、インターネットに書かれていたような「木の箱から取り出せないほどトロトロ」ということはまったくなく、しかも表面の皮がコンコンと音がするくらい固かったので、やや不安になりました。ウォッシュタイプだけれど表面に白カビが生えているというのはその通りですが、ウォッシュタイプ独特のツーンとくる臭いがほとんどありません。食べやすそうだなとは思いつつも、どこかであの強烈な臭いを求めていた自分もいて、ちょっと残念な感じがしました。製造日2007.12.13、賞味期限2008.1.15ということなので、初めて口にする自分にとっては丁度良い食べ頃でしょうか。

ナイフで表面の皮をキコキコと切って穴を開けてみると、中はトロトロというよりベトベト。しかしそのベトベトさは確かにこれまで見たことのない感じです。スプーンですくい取って口に運んでみると、熟成の進んだカマンベールのような風味で、コクがあってクリーミー、しかしひと癖あってもっと複雑な奥行き感のある味は、他では味わったことのないものでした。チーズの良いところを全部詰め込んだような堂々たる味わいには、「これこそチーズの中のチーズ」と思わせる力がありました。

それほど塩味もきつくなかったので、けっこうペロリといけてしまいそうだったのですが、賞味期限ぎりぎりまで熟成を進めて味の変化を見てみようと思ったので、後ろ髪を引かれつつ封をして冷蔵庫にしまいました。ちなみに、切り取った皮はオリーブオイルをふりかけレンジで30秒チン。カリカリになったのをおいしくいただきました。いやぁ、チーズって奥が深いですねぇ。

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2007年12月 9日 (日)

オーストリアの写真

マリア・テレジア銀貨のことを書いたついでに、オーストリアの写真をマイフォトにアップ。ザルツブルグ、ウィーン、ツェルアムゼー。日本ではあまりツェルアムゼーの知名度は高くないかもしれませんが、アラブ人の間では(もちろん欧米人にも)超有名な観光地です。というわけで、ヨルダンからの旅行中、アラブ人の家族連れを山ほど見ました。ゲンナリ。

ツェルアムゼーに行ったのは8月半ば。午前中ロープウェイで山に登り雪遊びをした後、午後はホテルに戻ってプールサイドでのんびりという、なかなか贅沢なシチュエーションを楽しみました。高かったですけどね。ウィーンからの電車の移動も、車窓の風景にまた感動。マス料理もおいしかった。

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2006年8月18日 (金)

受胎告知

コーランはイスラム教の聖典ですが、マリアやイエスについてもいろいろと記されています。イムラーン家章には、マリアが天使に 「主よ、誰も私に触れたことはありません。どうして私に子ができましょうか」 と質問をすると、それに対し天使は 「このように、アッラーはお望みのものをお創りになられる。かれが一事を決められ、”有れ” と仰せになれば即ち有るのである」 と答えたくだりが記されています。受胎告知といえば絵画でも有名なシーンですが、まさにその場面がコーランにも記されているのです。イスラムでは、イエスもまたアッラーの預言者の一人です。同章の後半には 「イーサー (イエス) はアッラーの御許では、ちょうどアーダムと同じである。かれが泥でアーダムを創られ、それに “有れ” と仰せになるとそれは存在した」 と記されており、イエスの神性はきっぱりと否定されています。

受胎告知の場面を描いた美術品は世界中に存在しますが、これまで見た中では、フィレンツェのサンマルコ美術館にあるフラ・アンジェリコの作品が一番心に響きました。いつまででも眺めていたいような、静かで、気高く、優しさにあふれたものでした。
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2006年8月 2日 (水)

イギリス人

イタリアのバスツアーが本当に楽しかったので、勢いで今度はイギリス国内バスツアー11日間に参加しました。9月中旬でしたが、出発の日はロンドンは小雨が降っていて底冷えする気温でした。そんなジメジメした気候と同じように、バスの中も何やらしんみりした雰囲気に包まれていました。外国人もちらほらいましたが、ツアー客のほとんどはイギリス人です。しかもみんな仕事をリタイヤして人生が一段落したところに、自分へのご褒美として夫婦で旅行に参加した人たちばかりでした。なので他人との会話はほとんどなし。ひたすらみんな自分の世界に入っていました。しかし日程も後半になってくると、さすがに夫婦での会話に飽きたのか、食事の席でいろいろと話しかけられるようになりました。しかし、言われることといえば「若いあなたがなんでこんな高いツアーに参加しているのか」「あなたの年齢ならもっとふさわしい旅行の仕方があるでしょう」「私が君くらいの時にはバックパックで無銭旅行をしたもんだ」などなど。完全にお説教モードでした。ヨーロッパの国々は「自分の身分や年齢にふさわしい生活スタイル」という考え方があることは、なんとなくわかっていました。イギリスでは見事にそれを指摘されてしまったわけです。若い上にリュックサックで高級ツアー (イギリス人談) に参加している私は、彼らイギリスの老夫婦にとっては明らかに「場違い」な存在だったようです。「お金を払えば何をしても良い」という考え方は、ヨーロッパでは顰蹙を買うだけです。未だに階級社会なんだなぁと感じました。それにしても、居心地の悪いツアーでした。そして寒かった。人は冷たい、天気は悪い。おまけに食事もいまいち。陽気でおせっかいで涙もろいアメリカ人と一緒に回ったイタリアバスツアーを、心底懐かしく思い出しました。

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2006年8月 1日 (火)

アメリカ人

イタリアの国内12日間バスツアーに参加したときのことです。約50人の参加者のうち、日本人やアジア人はゼロ。オーストラリアに移住したイタリア人が3分の1、アメリカ人が3分の1、残りは南アフリカ人 (白人) とヨーロッパの人でした。最後はみんなと連絡先を交換しあうほどうち解けましたが、そこに至る過程では、いろいろと艱難辛苦がありました。団体旅行なので、毎日昼と夜は全員で食事を取ります。すると、どのテーブルに座るかで食事が楽しいものにもつまらないものにも変わります。言葉の点から言っても、この団体の中で明らかに浮いていた私に、最初に会話を挑んできたのは年輩のアメリカ人でした。彼は、孫が8人いること、仕事をリタイヤして旅行に参加したこと、イタリアにはマクドナルドがなくて寂しいこと (←これはウケ狙いだ!!) などを、大きな目と長い手足を駆使して話してくれました。私がフンフンとひたすら相づちを打っていると「お前も何か話せ」としきりに催促し、私のつたない英語を時に深くうなずき、時に爆笑しながら丁寧に聞いてくれました。それまでは私との食事の相席をできるだけみんな避けていたような気がしていましたが、翌日からはわりと遠慮なく誰でも私のテーブルに座るようになりました。たぶん「あの日本人はけっこうしゃべれるぞ」とアメリカ人がウワサを流してくれたのかも知れません。だからといって別に会話が弾んだわけではありませんが、「無口で得体の知れない人」から「普通の人」に格上げ (?) されたようです。

旅行中の大型バスの中でも、冗談を言ってみんなを無理矢理笑わそうとしているのはいつもアメリカ人でした。イタリア人も陽気でしたが、この時のイタリア人は移住先からの久しぶりの里帰りということもあって、みんな行く場所見る場所すべてで興奮していました。ナポリの風景に涙を流し、ベネツィアのゴンドラの上では合唱が起こりました。とにかく自分が感動するので精一杯で、他人に興味を持つ暇などないといった感じでした。彼らに比べると、アメリカ人は、とにかく他人にちょっかいを出して「一緒に楽しもうよ」という姿勢が明確でした。年をとったスーザン・サランドンのような怖い顔でいつもするどいツッコミをする女性がいて (そのツッコミがウケていた)、食事が相席になったとき、こちらは何か言われるんじゃないかとけっこうビクビクしていて「だったらしゃべり続けよう」と開き直り、文法がメチャクチャだと思いつつもひたすら自分の話をしました。そしておもむろに彼女が言った言葉は「へぇ、本当にしゃべれるじゃん」でした。口は悪いが気は優しい彼女は、最初の数日、本当に他の人たちが私を「変な人」とウワサしていたことを話してくれました。そして「あんたはもっと話しなさい、その方が良いよ」と言ってくれました。でも、お酒が全然飲めないことを話すと「子供だね (Kids!!)」と言ってそっぽを向いてしまいました。その顔は笑っていましたけど。

他にも、50才くらいの太めのアメリカ人 (男) がいて、いつもバカなことばかり言っていました。ウケを狙って、わざと人の近くでくだらないことをつぶやきます。こちらが思わず笑っても、ツンとすました顔で、ただただウケたことに満足感を覚えていたみたいです。ポンペイの遺跡を見ていたとき、道ばたにたびたび犬の糞が落ちていて、見つけるたびに「ドッグチョコレート」と言ってクックックと笑っていました。周りからは「もうしゃべるな」といつも怒られていましたが、みんな彼のことが大好きでした。両親と一緒に来た25才くらいのアメリカ人女性は、カップルやグループがほとんどの中、独り身だったためよくスナップ写真を頼まれていました。いつも快く引き受けていましたが「I am happy snapper」と自虐気味に言っていたのが印象的でした。なんか気の利いたひと言ですね。ふと思いついたのか、けっこう考えたフレーズか。それまでアメリカは個人主義の最たる国といった思いこみがありましたが、このグループのみんなは他人を喜ばせることに必死でした。正直、アメリカ人をかなり見直しました。もっとも、旅行という非日常世界でしたから、できるだけ他人と関わって、少しでも思い出を作りたかったのかも知れません。

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2006年5月22日 (月)

ハッギス

ある年、スコットランドに旅行しました。ロンドンを出発して、国内を10日かけてぐるっと回るバスツアーです。その中で、エジンバラにも1泊しました。夕食は毎日ツアーのみんなと一緒に食べるのですが、その日は伝統的なスコットランド料理のレストランに行きました。レストラン入口の出迎えはキルトスカートと民族衣装に身を包んだバグパイプ奏者です。9月半ばでしたが夜の空気はかなり冷たく、スカートで大変だなぁと思った記憶があります。中に入ると、レストランと言われていましたが、実際には公民館くらいの広さがあり、長いテーブルが何列か並べてありました。前には一段高くなった舞台もあります。他のツアー客もぞくぞく入場してきて、一通りみんながテーブルに着くと、スコットランドの音楽や踊りを見ながらののんびりした夕食が始まりました。料理は、イギリスと言えばこれしかないという定番のローストビーフ、マトンとジャガイモを煮込んだアイリッシュシチューなどに続いて、スコットランド名物のハッギスが出てきました。ハッギスは言ってみれば内臓のプディングですが、これが欧米のツアー客にはいろいろな意味でかなりの評判です。レストラン側もそれをよく知っていて、わざわざ舞台の上でハッギスを切り分ける儀式のまねごとまでしていました。各人にハッギスのお皿が配られると、あちこちから「ワ~オ」とか「オーマイガー」などの悲鳴と笑い声が聞こえてきます。味は普通においしいんですけどね、確かに見た目があまりよろしくありません。

イギリスからサウジに戻ってしばらくしてから、ある日スーパーマーケットでハッギスが売られているのを発見しました。旅行の時はスコットランド風のお店でしかもかなり薄暗いところで食べたせいか、味というよりその雰囲気に酔っていた感もあって、「ハッギスはなかなかおいしい」と思っていましたが、スーパーの明るい蛍光灯の下で見ると、「こりゃあちょっとやばそうだな」などと、その見た目のインパクトに気後れして結局買うことはありませんでした。名物料理はやはりその土地に行って食べるのが一番ですね。
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