2021年1月22日 (金)

Windows10アップデートの罠

Windows10のアップデートにまたもしてやられました (職場のデスクトップPC、私物)。更新ファイルを勝手にダウンロードするのはまだしも (動作が全体的にもっさりするのでそれもストレス)、パソコンを終了する時に「更新してシャットダウン」「更新して再起動」しか選択肢がないのでもうどうしようもありませんでした。ちなみに「更新してシャットダウン」を選択して終了しても、次回起動するときに更新作業が続くのはなぜなのでしょう。やはり単純に日本語としておかしい。

Windowsアップデートはろくなことがないので、Windows10 Proを入れて更新を遅らせるようにはしているのですが、こんな付け焼き刃ではWindowsの呪いには勝てません。先月ついに "バージョン2004" になってしまったのですが、この時はプリンタードライバーをアップデートする必要があったくらいで他はとくに問題なし。しかし今月になってまた否応無しのアップデートがあり、だいぶ挙動が不安定に。

最大かつ致命的な問題はインターネットにつながらなくなったこと。Windowsの診断ツールを念のため使ってみたところ、これまで同様、やはりまったく役にたたず。Windowsのすごいところは、単に問題が解決できないだけでなく、さらにユーザーの気持ちを逆なですることに全集中している点。ネットにつながらないから解決方法を聞いているのに、指示は「ネットにつなげ」。違う違う、そうじゃない。。(もうひとつの選択肢も全然ダメでした)
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Windowsの法則からいうと、XP=◯、Vista=✕、7=◯、8=✕ なので、10=◯ になるはず。たしかに10は悪くないのですが (と言いつつアップデートがウイルス級ですけど)、過去の遺産をまったく清算できていないため、設定メニューへのアクセスが複雑怪奇。コントロールパネルもふたつあるし個々の環境で微妙に異なったりするので、ネット (今回はスマホでチェック) で調べてもなかなか思うように設定変更 (を試すこと) ができません。ということで今のところお手上げ。職場のITスタッフも在宅勤務になっているので当面見てもらえないし、困ったものです。
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次期Windowsに望むこと。ひとつのコントロールパネルから個々の設定にちゃんとたどり着けるようにしてほしい。今はさながら迷宮。ネットやガイドブックを見たとしても難易度が高いです。それからユーザーインターフェイスをバージョンごとに変えないでほしい。例え変なUIであったとしてもユーザーは慣れてしまうもの。せっかく慣れたところに、とくに改善でもない変更を加えられると、毎回混乱します。

別にユーザーは "OSを使う" わけではないですからね。その上で動くソフトウェアが使えれば、OSは可能な限りシンプルがいい。Windowsは増築に増築を重ね、今や倒壊寸前のように見えます。20年以上、仕事はWindows機、プライベートはWindows機とMacの3台持ちでやってきましたが、いい加減そろそろMacだけにしようかな。今年リリース予定のWindows10後継OS (Windows10X) も地雷臭しかしないし。

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2019年9月24日 (火)

ラグビーワールドカップ2019@札幌ドーム

週末弾丸帰国して9月22日のトンガvsイングランド@札幌ドームを観戦してきました。もちろん赤い服を着てトンガの応援。格上のイングランドに圧倒される苦しい展開でしたが、最後まで粘りを見せたトンガには大声援が送られました。これが世界レベル。ラグビーはおもしろい。

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トンガも3点入れました
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札幌の町もラグビーがあふれていました
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新千歳空港のラグビー特設展示場、トンガのボールだけが売れ残っていて悲しい気持ちに、もちろん1個買いました!
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2008年2月17日 (日)

華氏911

「ボウリング・フォー・コロンバイン」を観た勢いで「華氏911」も観直しました。自分の国の大統領をあそこまでコケにしているのはやはり何度観ても痛快です。こういう映画を作れるのだから、アメリカという国はやはり自由の国なんでしょうね。それにしても、かなり恣意的な編集作業があったであろうことを差し引いても、映画を見る限りこのおとぼけ顔の大統領が超大国アメリカを率いるリーダーとしてふさわしい人物だとは到底思えません。もちろん、大統領のリーダーシップなんて実際にはごくわずかで、要はどれだけ優秀なブレーンを集められるかが勝負なんでしょうけど、類は友を呼ぶというか、いまひとつブッシュの側近はダメダメな感じが漂っています。コリン・パウエルも途中でやめちゃったし。

確かに、根は悪い人には見えないですけどね。喜怒哀楽をすぐ顔に出すしゃべり方もなんだか田舎者っぽくて好感度大。政治家ではなく、陽気なアメリカ人のおじさんとして街の中でバッタリ会ったとしたら、かなり親近感を持つと思います。例えばアル・ゴアなんかの方がよほど腹黒いんじゃないでしょうか。でも、イラク戦争の時のブレア首相との共同記者会見では、残念ながらバカっぽさが際だっていました。アメリカ人はずいぶん恥ずかしい思いをしたでしょう。「こんなのがうちの親分なのか…」とため息をつきながら。ブッシュもその人柄の良さが災いして、周囲の利権がらみの人たちに「お前デキが悪いけど大統領にしてやるからな、そのかわりバッシングは全部受けろよ」とでも言われたのかな?。ブッシュも「そういうの慣れてるからマカセテ!」とか言ってそう (←完全に妄想)。

問題は、世界に対してアメリカという国の影響力があまりに大きすぎることでしょう。そのアメリカと、というよりもアメリカ大統領および側近たちと個人的で緊密なビジネス関係を築いてきたサウジアラビアの王族 (ビンラディン家含む) の実態が、個人的には最も衝撃を受けました。もともとは、有力な政治家のファミリー企業に投資していただけのことだったと思いますが、サウジ王族もまさかブッシュ (息子) が大統領にまでなるとは思っていなかったんじゃないでしょうか。特に湾岸戦争以降、ますますアラブ民衆の反米感情が高まっているし、できればあまり目立ちたくなかったというのが本音でしょう。アラブ人 (パレスチナ人) 側に心情的に肩入れしている自分としても、アメリカとサウジアラビアの癒着というこの実態には正直幻滅しました。「ビジネスはビジネス、パレスチナ問題はそれはそれ」と割り切っていれば良いのでしょうけど…。

今もアメリカ国内は大統領予備選で盛り上がっていますが、こういうふうに選挙に熱狂する姿はケニアとかフィリピンあたりとダブって見えます。ほとんどお祭り気分。「アメリカって先進国のはずだよね?」と思わず目を疑ってしまいます。数年前の話ですが、ハリケーン・カトリーナのニュースは、ちょうどアフリカ15ヶ国の研修生たちと一緒に見ていました。被害の大きい地域に取り残されたのがほとんど黒人だったため、「これはアフリカのどの国だ」とみんなで言い合ったものです。アメリカという国もなかなか複雑な社会構造を持っていますね。なぜ世界一リッチな超大国にあれだけの貧困や犯罪がはびこっているのか。世界各地で武力行使をする前に、国内の社会問題をなんとかした方が良いのではないか。問題は山積みです。こんな国の大統領には、……なりたくないなぁ。

ちなみに、ヒラリーとオバマの戦いがそのまま大統領選の様相を呈していますが、アメリカ初の女性大統領、あるいは初の黒人大統領というのは、やっぱりまだ無理なんじゃないでしょうか。結局最後は保守 (共和党) に票がまわるような気が。

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2008年2月16日 (土)

ボウリング・フォー・コロンバイン

またアメリカで、銃乱射という悲惨な事件が起きました。あらためて「ボウリング・フォー・コロンバイン」を観ましたが、いくつか感じたことを。

まず、これはドキュメンタリーではなく映画という作品であるということ。もし中立的な視点を持って記録されたドキュメンタリーフィルムであると捉えれば、事実のみを列挙して最終的な判断は視聴者に任せるというスタンスもあり得ますが (その場合2時間ではとても足りないでしょうが)、それにしては「ボウリング・フォー・コロンバイン」はあまりに感傷的です。マイケル・ムーア監督は一定のトーンを持って何かを語ろうとしており、その点においてこれは監督の思想心情が色濃く反映された表現手法としての映画そのものだと思いました。

ただし、社会的な問題を浮き彫りにしようとする攻撃的な使命感というよりも、むしろひとりのアメリカ人としてこの現実をとても悲しいものだと感じている、その内省的な感覚をよりどころにして撮られた映画なのではないでしょうか。そのため、撮り始めてはみたものの帰着点がなかなか見つからないという、良く言えば人それぞれに違った余韻が残る映画、悪く言えば論点がぼやけた映画になってしまったのかなと。アポなし突撃取材が多いので、やっていることはずうずうしくはた迷惑なことばかりなのですが、監督の愛嬌ある風貌と正義感ぶっていない穏やかな口調が、映画を一定の質に保っています。

映画の中ではいろいろな立場の人にインタビューを行ったり、アメリカの歴史と銃の関連性について考察したりしていますが、結局映画としては最後まであまりはっきりとした答を出してはいません。黒人による銃犯罪をヒステリックに報道し続け恐怖をあおる「メディア」と、銃による自己防衛を促す「業界」というアメリカ社会における「勝ち組」が悪いのではないかというのが、唯一主張らしい主張ですが、さすがにマイケル・ムーアも「すべて環境のせい」と断言するほど鈍感な人間ではないということでしょう。

映画の中で、ある大手スーパーマーケットの店頭から銃弾を撤去させたことはひとつの成果だったとは思いますが、もちろんこれは、スーパー側が「これは宣伝になる、銃弾の売り上げ減以上に儲かる」と判断した可能性の方が高いでしょう。それはさておき、確かに安易に銃 (銃弾) を買える環境というのはいかにもアメリカ的であり、日本の社会では想像もつきません。こういう環境が銃犯罪を助長していないと言い切ることは難しいでしょうが、犯罪そのものの動機として「銃ありき」で考えるのもまた無理があります。

しかしながら、この「環境が悪い」というひとつの主張は、おそらく自身も社会的弱者側の人間であるという感覚を持つであろうマイケル・ムーア監督の実感として、常に根底に流れているのではないでしょうか。人は本来的に弱い存在なので、安易に流れやすいのだと。しかしこの主張はややもすると、「麻薬を売る国があるからアメリカ人がむしばまれる」などという逆ギレ的な考え方にもつながるので、「環境を制するのはあくまで個人」という理性も当然持ち合わせていなくては、いっぱしの知識人あるいは映画人としては通用しないでしょう。

この映画を観たアメリカ人の反応は、「今更何を言っているんだ」だったのではないでしょうか。みんなこの現実は認識しているし、ここまで銃が氾濫している社会に対して不安と疑問を持っていることは間違いないのだろうけど、「わかっちゃいるけど止められない」というのが本音ではないかと思います。そう言った意味では、「ボウリング・フォー・コロンバイン」はアメリカ人の意識変革を狙ったというよりは、超大国アメリカの悲惨な現実を暴露して外国人受けを狙った商業主義的な映画なのだともとれますね。この見方はちょっと意地悪すぎるかな。

いずれにしろ、アメリカ人というのは根本的に臆病なのかなと。そして孤独。自由の国ではあるけれど、それ故きちんと自己を管理できないと、たちまち底辺に落ちてしまうという。競争は社会の発展に必要だけれど、一握りの勝者の影には無数の敗者がいるのもまた現実。それでも途上国の人間がアメリカを目指すのは一体何故?

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