2009年8月11日 (火)

静岡の地震

今朝の地震、びっくりしました。最初のカタカタカタッというこまかい揺れ (縦揺れ?) でしっかり目がさめました。こういう揺れ方は初めての経験。直後のユサユサッという揺れ (横揺れ?) の方が "いつもの地震" て感じでした。

それにしても、震度6弱というわりにはあまり揺れませんでした。テーブルの上の空のペットボトルですら倒れず。東海地震はまだまだこんなもんじゃないってことでしょうか。でもやっぱりRCの家にしといてよかった。

*追記
発表されたこまかい震度マップを見ると、わが家の地域はだいたい震度5弱だったみたいです。

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2009年7月31日 (金)

夏・花火

夏・花火
今日は清水区興津の輪くぐりさん。
やっぱり花火はいいですねぇ。

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2009年7月15日 (水)

川遊び

川遊び
あぁ、暑かった。たまらず川で夕涼み。

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2009年6月24日 (水)

夢の続き

夢の続きが気になることはよくありますが、今週、別に見たくもなかったのに夢のストーリーが続いてしまいました。しかもけっこうな不気味さ加減で。

第一夜
学校の体育館。向こうに人だかりが。何やら騒がしい様子。近づきたくない。

第二夜
人だかりの中心に来ていた。男子生徒が1人つるし上げをくらっている。彼の手足を縛れと周りから強要される。クラスの女子生徒にひどいことをしたのだという。

第三夜
夜、自宅近くのバス停。落雷に人のシルエットが浮かび上がる。あの女子生徒だとわかった。そして次に落ちた雷に照らし出されたのは、木に首をくくった男子生徒だった。


ちょっと疲れてるのかも……。

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2009年6月20日 (土)

クロ、天国へ

昨日、愛猫クロが大往生しました。我が家で暮らした16年の人生は、幸せだったのかな。最後に撮った写真は、iPhone OSアップデートを失敗した時に無くなってしまいました。それに気がついた時は、さすがにAppleを恨みました。

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2009年3月25日 (水)

そこはかとなく悲しくなる写真

①アラブ人の横を通り過ぎる女性。そりゃ見るでしょう。

②海水浴を楽しむ家族づれ。何か疑問は感じないのだろうか。

③ついにマクドナルドが屋台に!。ビッグマックあるかな…。

④プーマ?、アディダス?。小学生の時、親に買ってもらったウインドブレーカーがアドドスだったのを思い出しました (泣)。

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2009年3月 9日 (月)

なんの缶詰?

リヤドのダウンタウンにあるバトハ地区のフィリピンスーパーで見た缶詰。まぁ結局イワシなんですけど、サバ (SABA) と書いてあるのが妙におかしかった。しかもフィリピン語の意味はバナナ。ネーミングセンスがグー。

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似ている

先日の写真でお気づきの方がいたかもしれませんが、ふと、そう思いました。

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2009年3月 2日 (月)

世界の法律あれこれ

以前サウジアラビアの統治基本法について書きましたが、世界には例え先進国と言われる国であっても、外国人からしたら何ともおかしな法律があるものです。インターネットで見つけた各国のヘンな法律をいくつか。

■フランス
*ブタをナポレオンと名付けたり、呼んだりしてはならない。
*午前8時から午後8時までの間でラジオで流される音楽は、その70%がフランスの作曲家でなければならない。
*顔が人間ではない人形を売ってはならない。

■シンガポール
*ゴミを捨てることは重罪である。罰金数千ドル、何時間にも及ぶゴミ収集、そしてカウンセリングを受けなければならない。
*聖書を運んだり、イエスについて誰かと話してはならない。

■イギリス
*国会議事堂で死んではならない。国会議事堂で死ぬと王室国葬となってしまう。
*海岸に打ち上げられたクジラは国王のモノである。骨は彼女のコルセットを作るために使われる。
*ヨーク市ではancient cityの壁の中であればスコットランド人を殺しても合法。ただし手段は弓矢に限る。

■オーストラリア
*子供たちがタバコ、コンドーム、アルコールを買うことは禁止されているが、使うことは自由である。
*黒い衣類を着用し、フェルトの靴を履き、靴墨を顔につけて通りを歩いてはならない。これは泥棒の格好である。
*バットマンのコスプレをしてはならない。

■フィンランド
*ドナルドダックはいくらいってもパンツを履かないので、一度追放された。

■アメリカ合衆国
*EDは24の州で離婚の理由になる。
*イリノイ州では英語を話してはならない。公用語は「アメリカン」である。
*オハイオ州オックスフォードでは、女性は男性の絵の前で服を脱いではならない。
*インディアナ州ではロビンフッドに関することをしてはならない。

■タイ
*ゴムを道路に落とすことは違法である。罰金は最高で600ドル。
*下着を履かずに表に出てはならない。
*映画が始まる前に着席したものは、国歌が流れている間は立たなければならない。

……昔バンコクで映画館に入った時は、確かにみんな立っていました。何のことかわかりませんでしたが、とりあえず立っておいて正解だったみたい。

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2009年2月22日 (日)

斬新なコピー

ヨルダンで売っていた人形2点。すでに原形をとどめていないような…。メイド・イン・チャイナ恐るべし。

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2009年2月21日 (土)

それぞれの正義

ある時ネットで話題になった絵です。イラク、あるいはパレスチナを思い出さずにはいられません。悲しいのは、登場人物の誰もが自分の正義を信じていることです。正義という名の憎しみは、絵の外にいる誰かによって操られています。しかし極限の状況では、疑問をはさむ余地すらありません。人が争いを止めることは不可能なんでしょうか。

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2009年1月21日 (水)

オバマ大統領就任

昨日の夜はCNNでオバマ大統領の就任演説を聞いていましたが、予想外に強い調子でテロリストとイスラム国家 (ムスリム世界) に対決姿勢を伝えていたのには正直驚きました。以下、演説から抜粋です。

「私たちは、私たちの生き方を謝罪しないし、それを守っていくことを躊躇しない。テロで無垢の市民を殺害し、自らの目的を進めようとする者たちよ、今ここに私たちは宣言する。私たちの魂はあなたのそれよりも強靱であり、決して壊すことはできない。そしてあなたたちは私たちより長生きすることはできない。私たちが打ち負かすからだ」

「イスラム世界の人たちよ、私たちは互いに関心を持ち尊敬し合うことを基盤にして、新しい道に前進していくことを求める。紛争の種をまき、自分たちの社会の問題を西洋の責任にしようとする世界中のリーダーたちよ、あなたたちの国民は、あなたたちが破壊したものではなく、築き上げたことを基にあなたたちを裁くのだということを知れ。腐敗や欺瞞、さらには反対する者を黙らせることによって権力にしがみつく者たちよ、あなたたちは歴史の誤った側にいることを知れ。もしあなたたちがその握ったこぶしを開きたいのなら、私たちは手を差しのべる」

……なんだかがっかり。「We will not apologize...」 と始まった時は思わず 「え?」 と耳を疑ってしまいました。イスラム世界からは、これで一気に期待感がなくなったんじゃないでしょうか。アメリカ大統領が世界のリーダーだとは誰も思っていないし (アメリカ人以外は)、それどころかイスラム世界に紛争の種をまき続けているのは他ならぬアメリカです。自分だけは常に正しい側にいると思うのは、もうほとんど病気ですね。

しかしブッシュに対するブーイングはおかしいのを通り越して寒々しいものがありました。選んだのは国民であるあなたがたでしょ、と言いたいところです。しかも再選までさせて。最後くらいはきれいに終わらせてあげればいいのに。オバマとクリントンの戦いからそうでしたが、ここまで国民が政治に熱狂する姿というのは、まだまだアメリカも途上国なんだなと思わざるを得ません。途上国という言い方が悪ければ "若い国"。国民は他力本願だし、政府にも騎士道精神がありません。

とりあえずオバマの演説は 「強いアメリカ」 あるいは 「一人勝ちのアメリカ」 を信じる国民に対するリップサービスととらえて、真意は別のところにあると信じたいと思います。

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2009年1月 4日 (日)

ドメスティックバイオレンス

サウジアラビアのハッサ王妃が、男性から女性に対して行われる家庭内暴力 (DV) を追放するキャンペーンを始めました。2008年はサウジ国内で正式に届け出のあったDV事件は300件ほどで、まだそれほど深刻な状況にはないと思われますが、それは表面化していないだけで実態はより深刻であるとする声が多いのも事実です。

と、DVのことを気にしていたら、タイミングよくDV経験率を国際調査した図表を見つけました。なぜかエチオピアがもっともひどい状況になっています。うーん…。まぁ、それだけ女性が本音を言える環境なのではないかなと、ちょっとだけ希望的観測を持ったりもしますが、やはり良くないことには変わりありません。

エチオピアの調査地は仕事でよく行った南部州のブタジラでした。一見のんびりした良い村でしたが、実はドロドロしたものがあったんでしょうか。エチオピア女性は本当によく働きますから、ちゃんと報われてほしいと思います。

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2009年1月 1日 (木)

サウジアラビアよりご挨拶

明けましておめでとうございます。

ちなみに西暦の12月29日がヒジュラ暦では1430年1月1日でした。その日は3回くらい 「なんで Happy New Year って言わないの?」 とサウジ人からつっこまれました。はいはい。

こちらではハッジが終わるとみんな 「クッル・アーム・ワ・アントゥム・ビハイル」 と新年のあいさつをします。ヒジュラの1月1日はほとんど意味がなくて、この日おめでとうなんて言う人はいません。なので、上のはサウジ人なりのジョーク。

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2008年12月 1日 (月)

肩こりが治った?

1年前、親知らずを一度に3本抜くという荒技を敢行しました (→過去記事)。そうして噛み合わせとか何かそういったものが矯正されたのか、なんとなく、それまでのひどい肩こりがなくなったような気がします。肩胛骨もだいたいいつもちょっと出っぱるようになったし。昔は鉄板のようなガチガチの肩と背中で、時にうめくほどの痛みを感じていましたが、この1年、ほとんど肩こりを意識した記憶がありません。

うーん、やっぱり抜いて良かったのかな?

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2008年11月19日 (水)

悲しい教育

同じ英語のアルファベットをおぼえるなら、もっとお気楽な単語でおぼえたいものです。世界中に30万人いると言われる少年少女兵にとっては、本当にこれが教育のすべてなのかもしれません。

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2008年11月14日 (金)

サウジアラビアでグー?

①サウジで 「グー!」 は絶対ダメ。

②ブラジルで 「OK!」 も絶対ダメ。

③インドで 「うん!」 は誤解を招く。

世界は広い。ジェスチャーもいろいろ。

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2008年11月12日 (水)

WFPハンガーマップ

エチオピアのマイナスイメージばかり紹介してもしょうがないのですが、最後にひとつ (いや、まだまだあるかな…)。

WFP (国連世界食糧計画) の 「ハンガーマップ・ナビ」 です。世界の饑餓情報が国ごとにわかるようになっています。エチオピアは2002年の雨期 (6~9月) が干魃で、2003年の少雨期 (1~3月) にもまったくと言っていいほど雨が降らなかったため、大変な食糧不足と電力不足 (水力発電のため) に陥りました。

2003年1月に赴任しましたが、4月から6月にかけては首都のアジスアベバでさえ深刻な水不足と計画停電 (朝から晩まで、後半は毎日) が続きました。水道水が臭くてシャワーがいやだったり、夜電気が来てもたびたび停電になるのでロウソクが欠かせなかったり、まぁ今となってはいい思い出です。

ところで、トップページの世界地図で、エチオピアの場所がわかる人はどれくらいいるでしょう。エチオピアはまだしも、ガーナ、ケニア、レソト、マラウィ、モザンビーク、ナイジェリア、ルワンダ、南アフリカ、スーダン、スワジランド、タンザニア、ウガンダ、ザンビア、ジンバブエの場所が全部わかる人は、さすがに少ないのではないでしょうか。

エチオピアの仕事でこの国々から人を受け入れたので最後にはちゃんとおぼえましたが、最初はかなり手こずった記憶があります。

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2008年11月11日 (火)

まだ宗教は必要かもしれない

この世から宗教がなくなれば、多少なりとも無益な争いが減るのかなと思う一方、もしエチオピア人から宗教を奪ってしまったら、きっと世界に絶望して生きる意味を失ってしまう人がたくさん出るんじゃないかと心配になります。

お金もない、食べ物もない、服はボロボロ。学校にも行けない、なんとか学校を出ても仕事がない。劣悪な衛生環境、異常に高い乳児死亡率、抑えようのない感染症。女の子は10代前半で結婚し、矢継ぎ早に子供を産んであっという間に年老いていく。

テレビもない、ラジオもない、車もほとんど走ってない。外界の情報から隔離された狭いコミュニティーの中で、掟にしたがって生きる毎日。何も変えてはいけない人生。絶望感が漂う中で、自らの尊厳は信仰を体現するのみ。

宗教が物乞いを職業として成立させてしまったことは気に入りませんが、不信心な金持ちよりも信心深い貧乏人の方が偉いと感じさせてくれる点は、一体どれだけの人々に生きる希望を与えたのかと感心してしまいます。

ここで言う貧乏とは、最近逮捕された音楽家の食事が 「ハンバーガーとピザばかりの極貧生活」 などというふざけたレベルではありません。自分自身、「毎日ピザ?、ご馳走じゃん!」 と思いしましたから。

ま、それはさておき、少なくともエチオピアに行くまでは、自分の中で宗教とは 「困った時の神頼み」 というくらいのスタンスがベストだと思っていました。宗教があまりにも絶対的な存在である限り、パレスチナ問題の解決も永遠にないと思っていました。

しかしエチオピアの生活で、宗教が人の心を救っているのを目の当たりにしました。エチオピアに宗教がなかったら一体どうなっていたことでしょう。それほど、宗教が本来の使命を果たしていたのでした。

物心両面で世界中の人々が豊かになれば、その時こそ宗教はなくなるのかもしれません。

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2008年11月10日 (月)

宗教の功罪

1984年から85年にかけてエチオピアを襲った大飢饉は、100万人の餓死者を出したと言われています。この未曾有宇の大災害に、もちろん世界はだまっていませんでした。当時は東西冷戦の時代であり、旧ソ連の庇護下にあったエチオピアでしたが、西側諸国も人道的見地に立って、積極的に食料援助を行いました。

世界中から届けられる援助物資。しかしこれらはうまく分配されませんでした。あるところには食料が山積みになっているのに、相変わらず餓死者がいなくなることはありませんでした。多民族国家のエチオピアですから、何らかの政治的判断があったのかもしれませんが、やはり輸送の問題も大きかったと思います。

当時、エチオピア北部の町でボランティア活動をしていた方から聞いた話です。その町は州都で人口規模も大きく、外国からの援助物資がたくさん運ばれていました。町の倉庫に食料が山と積まれている中で、次々と住民が餓死していきました。日々運ばれる遺体によって、共同墓地はあっという間にいっぱいになりました。

町の倉庫に食料があることはみんな知っているのに、暴動を起こすでもなく、ただ静かに命の灯が消えるのを待っている姿を見て、その方も本当にいたたまれなかったそうです。なぜエチオピア人があんなに静かに死んでいったのか、未だに答は出ないと言っていました。

これこそが宗教のなせる業なのかもしれません。もがきあがいて他人を呪い、親兄弟を捨ててまで自らが生き残ることに、いったいどれほどの意味があるのでしょう。それならいっそ潔く、きれいな心のままに死んでいくことも選択肢としてあり得ると思います。そうすることによって、天国での平安が約束されるのであればなおさらです。そしてそれは、信仰という一念によってのみ成就するわけです。

死を身近に感じ、どんなタイミングであっても甘んじて受け入れるエチオピア人。端から見ていて、もっと死に抗ってほしい、生にどん欲であってほしいといつも思っていました。死の恐怖すら超越しているのだとしたら、もうご飯を食べる必要も病気を治す必要もありません。いくら外国人が援助を進めても、開発の理由そのものがなくなってしまいます。

おいしいものをお腹いっぱい食べたいという欲求は、それほど罰当たりなことではないと思うのですが…。

ここであらためて昨日の記事から言葉を抜粋。

「人に魚を一匹与えれば一日の食事になるだろう。人に釣り方を教えれば一生の食事になるだろう。人に宗教を与えれば一匹の魚を願いながら死ぬであろう」--作者不詳

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2008年11月 9日 (日)

神に関するいくつかの言葉

■ニーチェ
「どっちなんだ?。人間が神の失敗作なのか、それとも神が人間の失敗作なのか」

「信仰とは真実を知りたくないという意味である」

「信念は嘘よりも危険な真実の敵である」

■アインシュタイン
「私が自然界に見るものは、不完全な理解しか得られない素晴らしい構造をしており、思慮ある人を謙遜させるのである。これはまさに宗教的な感情であって、神秘主義とは何の関係も無い」

「神の存在とは私が真面目に受けとれない人類学の概念のようである。人間界の外に意思やゴールがあることが全く想像できない。…科学は道徳を犯すと責任をなすりつけられてきた。しかしそれは不当である。人間の倫理は、人情や教育、社会のニーズや結びつきを基本とすべきで、宗教を基本とする必要はない。もし人が死後の見返りの期待や罰の恐怖によって束縛されるなら不幸と言えるであろう」

「人々がただ罰を恐れ報酬を望むというだけで善良なら、我々は実に哀れむべき存在だ」

■ガンディー
「歴史に記録されている世の中で最も極悪で残酷な罪は、宗教という名の下に行われている」

「キリストは好きだが、キリスト教信者は好きではない。キリスト教信者はキリストのようではない」

■ホーキング
「ブラックホールが示唆することは、神はさいころを振るだけでなく、全く見えないところに投げるということである」

「秩序を神の御名によってたとえるとしたら、それは非人格的な神であろう。物理学には人格的なところはほとんどない」

■クリシュナムルティ
「伝統というものは我々の精神安定剤となる。そして精神が安定すると退廃の道をたどる」

「自分の信仰することを繰り返し主張することは不安の表れである」

■フロイト
「宗教は幻想である。そしてそれは本能的な欲望と調和してしまう力を秘め持っている」

■マルクス
「宗教は抑圧された生き物のため息であり、心なき世界の心であり、また、それが魂なき状態の心情であると等しく、…つまり、それは民衆の阿片である」

■ブレーズ・パスカル
「宗教のために行われる罪でなければ、人間はあれほど完全に楽しそうに悪事を行わない」

■スティーヴン・ワインバーグ
「宗教があろうとなかろうと、善い人は善い行いを、悪い人は悪い行いをする。しかし宗教によって善い人も悪い行いをする」

■ロバート・グリーン・インガーソル
「我々の知らないことは神である。知っていることは科学である」

■アイザック・アシモフ
「きちんと読めば、聖書には無神論のための思いつく限りの最も強い根拠がある」

■アーサー・C・クラーク
「人類の一番の悲劇は、道徳が宗教にハイジャックされたことだ」

■エピクロス
「もし神が悪を妨げる意思はあっても力が無いなら全能ではない。力はあるが意思が無いなら邪神である。力も意思もあるなら悪はどこから来るのだろう。力も意思もないなら、なぜ神と呼べるのだろう」

■作者不詳
「人に魚を一匹与えれば一日の食事になるだろう。人に釣り方を教えれば一生の食事になるだろう。人に宗教を与えれば一匹の魚を願いながら死ぬであろう」

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2008年11月 3日 (月)

オバマ氏はイスラム教徒?

アメリカ大統領選もいよいよ投票日がせまってきました。中東情勢は、良くも悪くもアメリカの影響が大です。サウジ人も何かとその動向を気にしているようで、今朝も職場の同僚が、「どちらが大統領になってほしい?」 と聞いてきました。

「オバマはよく知らないけど、やっぱりブッシュの方に勝たせちゃいけないんじゃない?」 と答えると、彼は満足そうに大きくうなずきながら、「本当に、アメリカ人はなんであんなの (ブッシュ) を選んだんだろうね」 と言ってきました。

「オバマはアフリカ系だけど、白人社会に受け入れられるかな?」 と逆にたずねると、彼は 「それはわからないけど、それよりもオバマってムスリムなんでしょ?、ちょっとまずいんじゃないの?」 とかなりの心配顔。

確かに実の父はケニア人でイスラム教徒 (なので息子もそうなる)、名前も Barack Hussein Obama Jr.で、バラックを"ck"で書いているのでなんとなく洋風な感じですが、バラカ (Baraka) はアラビア語で祝福という意味。

エジプト大統領はムバラクですが、オバマ氏もおそらくもとの名前は Mubarak がちょっとアフリカ風になった Mbarak だったんじゃないでしょうか。名前が人格を表すわけではありませんが、イメージは大切ですからね。変えたくなるのもわかります。

同僚には、オバマ氏が子どもの頃クリスチャンに改宗したはずだと伝えましたが、普通そんなことをしたら地獄行き即決定の罰当たり行為ですから、逆に彼は 「う~ん…」 とうなったまま考え込んでしまいました。

オバマ氏はもともとはイスラム教徒なので、白人クリスチャンの大統領よりは親近感がある一方、イスラムを捨てたという意味では、とんでもない輩なわけです。アラブ人にとっては、どちらかと言えばオバマ大統領を期待したいのに、両手で迎え入れるわけにもいかない、なんとも複雑な関係性があるようです。

アメリカ大統領選では、官民ともにえげつない中傷合戦が繰り広げられるわけですが、ニューヨーカー誌が掲載した、オバマ夫妻をイスラム過激派に見立てた漫画も、これまた最低の部類ですね。アメリカって変な国…。

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2008年11月 1日 (土)

ピーターも元を正せば

キリスト教はそもそも中東起源ですから、コーランにもノアなど古の預言者の名前がたくさん載っています。そこで、典型的なクリスチャンネームに対応するアラビア語名をいくつか記します。ちなみにこちらでこの名前を持つ人はみんなムスリムです (ごくたまにクリスチャンも)。

ダウード (デイビッド)
ハールーン (アーロン)
イブラーヒーム (アブラハム)
イーサー (ジーザス)
ジブリール (ゲイブリエル)
ジャード (ガード)
ジュルジュ (ジョージ)
マリヤム (メアリー)
ミハーイール (マイケル)
ムーサー (モーゼ)
ヌーフ (ノア)
サーラ (サラ、セイラ)
スライマーン (ソロモン)
ヤアクーブ (ジェイコブ)
ヤヒヤー (ジョン)
ユーヌス (ジョーナ)
ユーセフ (ジョセフ)
ザカリヤ (ザカリー)

ここからはエジプトのコプト教徒にある名前。

アンドラウス (アンドリュー)
アントゥン (アンソニー)
ブトロス (ピーター)
ブルス (ポール)
ギルギス (ジョージ)
マッタ (マシュー)
モルコス (マーク)
ヤスー (ジーザス)
ヨハンナ (ジョン)

そういえばカイロにマル・ギルギスという名前の駅がありました。コプト教会 (カニーサ・マル・ギルギス/セントジョージ教会) があった辺りです。教会の中ではミサをやっていて、なんとも荘厳な雰囲気が漂っていたのを覚えています。少し前の国連事務総長はエジプト人のブトロス・ガリでしたね。ブトロスはペトロスのアラビア語。で、英語になるとピーター。

ペトロはキリストの第一使途だけあって、各国に伝わってますね。ペドロ、ピエトロ、ペーター、ピエール、ピョートル。ちなみに本名はシモンで、イエスからケファ (アラム語で岩の意味) と呼ばれていたため、後年ギリシャに伝わった際、ギリシャ語でペトロス (石) という呼び方になったそうです。あえて日本語にしたらさしずめ平太朗とか兵太郎かな。あれ?、うちのご先祖様の名前だ。

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2008年10月31日 (金)

名前でわかるお国柄

日本でも毎年、赤ちゃんの名前ランキングなるものが発表されていますが、要はかぶってしまった名前のランキングだったりするわけで、ベスト10に入っていることを素直に喜んでいいのかどうか、親御さんたちは実はちょっと複雑なんじゃないでしょうか。もっとも、1位であっても占有率は0.7%ほど。幼稚園で同じ名前の子どもに遭遇する確率は限りなく低いでしょう。

それはさておき、日本の名前の特徴はというと、漢字の意味と音の持つイメージが決め手になっていることだと思います。男の子は 「健康、元気、おおらか、まっすぐ」、女の子は 「優しい、愛される、美しい、明るい」 などという意味がある漢字や、そして発音したときのイメージから候補をしぼり、あとは一応画数なんかを調べて決める人が大半でしょう。自然や植物系も人気ですね。

言ってみれば、日本人の名前は無限のチョイスがあるということです。かといって 「光宙=ぴかちゅう」 までOKでは、さすがに子どもがかわいそうですが (DQNネームはほどほどに)。では、あの自由の国アメリカはどうでしょう。毎年移民を世界各国から何万人も受け入れて、あえて多様化政策を進めている国ですから、さぞ名前もバラエティーに富んでいるだろうと思いたいところです。

ということで、アメリカのある統計局の赤ちゃんの名前ランキング2007年版を見たのですが、その結果は意外なものでした。もちろんマジョリティーは白人ですから、極端にエキゾチックな名前が入ってくるわけはないのですが、とにかくとても保守的なものばかりでした。女の子の名前はよくわかりませんが、男の子の名前を見る限り、ほとんど聖書やコーランにも出てくるキリスト教徒かユダヤ教徒の名前です。他の名前も歴史上の偉人か一度は聞いたことがある名前ばかり。なんでしょう、この保守的な感じ。

■男の子
1. Jacob
2. Michael
3. Ethan
4. Joshua
5. Daniel
6. Chiristopher
7. Anthony
8. William
9. Matthew
10. Andrew

■女の子
1. Emily
2. Isabella
3. Emma
4. Ava
5. Madison
6. Sophia
7. Olivia
8. Abigail
9. Hannah
10. Elizabeth

女の子も、未だに (と言っては失礼ですが) エリザベスとか人気なんですね。確かにゴージャス感たっぷりですけど。今までにない新しい名前なんて、結局ごく一部だけなんでしょうか。Heaven (ヘブン) をひっくり返して Nevaeh (ネバヤ) なんて話題になりましたけどね。中東の男性もほぼ100%宗教ゆかりの名前ですから、同じ名前がとてもたくさんあります。ムハンマド君だけでたぶん1割くらい。これ程ではないにしろ、アメリカ人も同じ名前の人は多そうです。

こういった名前をつけるということは、良く言えば敬虔な信者なんでしょうけど、こう似たり寄ったりの名前ばかりでは、なんとも芸がないように思えます。他人と違うことに喜びを見いだすアメリカ人らしくないというか。それとも、実はアメリカ人も孤独感や疎外感を恐れているのかな。うがった見方をすれば、911テロ以降、人々の間に反イスラム的な空気が流れて、ことさら自分がクリスチャンであることを示したいのかも。ナショナリズム復活、といったところでしょうか。

と思ったら、2000年のベスト10もほとんど同じでした。では、うんとさかのぼったらどうか?。1900年のベスト10は、John、William、James、George、Charles、Robert、Joseph、Frank、Edward、Henry。ほとんどヨーロッパの王様の名前?。にしても現在とほとんど代わり映えしません。どうやら名前に対する感覚が日本人とは根本的に違うようです。彼らにとって名前とは、同じグループ (宗教) に所属していることを示す大事なサインなのかもしれません。アメリカ白人で敵がいっぱいいますから (作ったのは自分たちだけど)。

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2008年10月22日 (水)

いただきました!

その昔、静岡の高校を卒業して東京に進学して初めて、「あぁ、これは方言 (あるいは静岡特有の表現) だったんだ」 と気付いた言葉はたくさんありますが、なんとつい最近まで知らなかった驚愕の真実が。

*食事の前に 「いただきます!」

*食事の後に 「いただきました!!」

……これって、どうやら全国共通ではないようですね。本当?、ホントのホント!?。爆笑するくらいおかしいの??? (;_;)

しかも、今は地元の小学校 (の給食) でもこのようには言わないとのこと (→ごちそうさまでした)。なんかねぇ、悲しいですねぇ、自分の生い立ちを否定されたみたいで。

ま、一応気をつけますけど、今後は。なんだかなぁ、納得いかないなぁ。

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2008年10月21日 (火)

イギリス政府、UFOファイルを公開

世界のUFOファンに嬉しいニュースです。これまでイギリス国防省が調査し、そして隠蔽してきた様々なUFO事件のファイルが、イギリスのウェブサイト 「The National Archives」 で順次公開されるようになったのです。現在ウェブサイトには1986年から1992年までに調査した19件の報告書が公開されています (→ウェブサイトはこちら)。最終的には200件の報告書が、今後4年間に渡って公開されていくそうです。

今公開されているファイルの中には、1991年にアリタリア機がケント上空でUFOとニアミスした事件や、米軍機パイロットが謎の飛行物体に対して撃墜命令を受けたケースなどが含まれているそうです。他にもミステリーサークルや第三種接近遭遇など、これでもかというくらい濃い内容が詰まっているようです。通信環境の悪いサウジですが、毎日少しずつダウンロードしたいと思います (ひとつのファイルが大きい…)。

この広い宇宙で、地球以外に知的生命体がいないと言い切る根拠はありません。いやぁ、ロマンを感じるなぁ。(宇宙人が友好的だと考えるのは幻想?)

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2008年10月19日 (日)

神を訴えた男

■「神」を相手取った州議員の訴えを却下
米ネブラスカ州ダグラス郡地裁は14日、同州のアーニー・チェンバース州上院議員が昨年起こしていた、「神」 を相手取った訴訟について、被告の住所が明記されておらず、審理を行えないとして、訴えそのものを却下した。

チェンバース議員は昨年、金持ちや貧乏人でも、誰でも裁判を起こせることを知らしめたいと考え、「神」 そのものを恒久的に否定するよう求める訴えを起こした。理由として 「神」 が、自分を含めたオマハの住民に対し、暴力的な恐怖を与え、「広い範囲で死や破壊、地球上の数千万人の人々にテロ被害をもたらした」 などとしていた。

しかし、マーロン・ポーク裁判長は、裁判を進めるためには原告側が被告側と連絡を取る必要があると州法で定められているが、この訴えには被告「神」の住所が記されていないと指摘。裁判はできないと判断して訴えを却下した。

しかし、チェンバース議員は15日、「法廷は神の存在を認識しており、神の全知全能を理解しているということになる。神がすべてのことを知っているのであれば、神はこの訴えに気付いている」 と反論している。

チェンバース議員には、控訴するかどうかを検討できる30日間の猶予が与えられたが、実際に訴えるかどうかは決めていないという。

同議員は法学部卒業だが、弁護士試験を受けたことはない。今回の訴訟で、法律の穴を見つけたと思うと話している。[CNN.co.jp 2008.10.16]

………だそうです。アメリカの裁判所では神に宣誓させているくらいですから、やはりその存在を否定するわけにはいかないんでしょう。それにしたって、連絡先がわからないから裁判ができないという言い訳もすごいですね。アメリカって世界でもっとも進んだ国のようでいて、実は超がつくほど保守的な部分がありますね。ダーウィンの進化論を学校で教えてはいけない州もあるそうですから。

でも、宗教があるばっかりに、お互いに譲れない 「絶対的なもの」 ができてしまって、たびたび争いのもとになったことは事実。この議員もそれなりにいいポイントをついているなと思います。ただ、彼が敵視しているのがキリストやブッダではなくアッラーなのかもしれないと考えるのは、ちょっとひねくれすぎでしょうか。

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2008年10月13日 (月)

バラク・オサマ

■民主党候補は「バラク・オサマ」氏に、不在者投票用紙で誤植
今年の米大統領選でニューヨーク州レンセラー郡の一部の有権者に送付された不在者投票用紙に、民主党候補のバラク・オバマ上院議員の名前が「バラク・オサマ」氏と印刷されるミスがあったことが分かった。AP通信が10日報じた。 多数回、刷り直した中で起きた誤植だったらしい。

「オサマ」は、国際テロ組織アルカイダの最高指導者で、2001年9月の米同時多発テロの首謀者であるオサマ・ビンラディン容疑者のオサマと同じスペルとなっていた。同郡の選挙管理委員会は発送の際にこの間違いに気付き、「バラク・オサマ」と書かれた残りの投票用紙を廃棄。ミスがあった用紙を既に受け取っていた300人には正しい用紙を送り直した。

オバマ氏陣営の報道担当は今回の騒動について、「間違いが直されて喜ばしい。二度起きないと思う」と述べている。[CNN.co.jp 2008.10.11]

………だそうです。何か悪意を感じるなぁ。

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2008年9月12日 (金)

9/11テロの首謀者

今年7月から8月にかけて、World Public Opinion.orgが世界17ヶ国 (パレスチナ含む)、1万6000人を対象に 「9/11アメリカ同時多発テロの首謀者は誰だと思うか」 というアンケートを行いました。その結果、アルカイダが過半数を超えたのは9ヶ国だけだったそうです。回答は次の中から選ぶ方式でした。(→ウェブサイト/集計表あり)

a) アルカイダ
b) アメリカ政府
c) イスラエル
d) その他
e) わからない (DK=Don't Know)

世界合計のトップはアルカイダでしたが、それでも46%とわずかに半数には及びませんでした。また、アメリカにも15%の票が集まったのは、9/11テロ云々よりも単にアメリカ嫌いの反応なのかもしれません。特にヨルダンとエジプトは同胞ムスリムの犯行とは絶対に信じたくないようです。驚いたのは、ヨーロッパの国々でもアルカイダと答えたのはせいぜい6割止まりだったことです。しかも学歴の高低差 (つまり情報にどれだけ接しているか) で見ても、グループ間に顕著な差異は認められなかったそうです。

全体で25%がわからないと答えていますが、これは 「アルカイダではない」 とほとんど同義語かもしれません。もっとも、アルカイダとは何かという根本的なところで、実は定義が曖昧なんじゃないかとも思います。国際テロ組織でビン・ラディンがリーダーと言われていますが、果たしてそこまで明瞭な組織なのか。「ムスリムの敵をやっつける!」 とそう思った時点でその人はもう資格があるわけで、あとはそちら系の資金援助があるかどうかだけではないでしょうか。

おそらくアルカイダそのものが非常に曖昧で、実はアンケートを作った人も答えた人も、よくわからなかったというのが本音ではないでしょうか。まさかアルカイダの代わりにイスラムと入れるわけにもいかないし… (実際にはイスラム原理主義者という回答はアルカイダに、アラブ人やサウジアラビア人はその他に集計したそうです)。

アフリカの2ヶ国がどこよりも多くアルカイダと答えたのは、アメリカへの配慮なのかな、なんて勘ぐったりします。特にケニアは今まさに親米気運で満ちあふれているでしょう。国民のほとんどがオバマニアだと思います。

しかしアメリカ国民にとっては納得できない結果でしょうね。ただ、今回アメリカがアンケートの対象に入っていなかったのは何故?

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2008年8月25日 (月)

キツネ

10年ほど前の話。日本の我が故郷にて。ある日の明け方4時頃、バス停近くに住む農家のAさんが車で家を出ました。まだ日の出前で薄暗く、車のライトはつけていました。そのライトの向こうに、バス停のベンチに座る少年が見えました。「あれは○○君だな、なんでこんな時間に」 と首をかしげつつ少年の横を通り過ぎましたが、あらためてバックミラーを見ると、少年の姿は忽然と消えていました。

同じ時期の話です。夜更けに町から戻ってきたBさんが、川沿いの道をとぼとぼ歩く子どもに気がつきました。夜も遅いし拾っていってあげようかなどと考えつつ、スピードを落とし、子どもまであと50メートルほどに近づきました。一瞬よそ見をしてまた正面を見ると、子どもの姿は消え、横の藪にザッと入っていく動物の後ろ足が一瞬ライトに浮かび上がったそうです。

この時期、うちの村ではキツネが出る (キツネが化ける) と話題になっていました。こんな話がけっこう真顔で語られるんだから、やっぱりいいところだなぁ。

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うちの母親

昔、母親から聞いた話です。ある日、母親の夢に隣家のCさんが出てきて、「娘をよろしく」 と言われたそうです。Cさんはもう何年も前になくなった方です。Cさんが何を言いたかったのかずっと不思議に思っていたら、その日の夜9時頃、珍しく町から帰ってきた娘さんが、「連絡なしに帰ってきたら玄関がしまっていました。電気も消えていて誰も起きてきてくれないから、今晩泊めてくれませんか」 と頼んできたのだそうです。「これだったのか」 と母親はすべて納得しました。

村でお通夜があったその帰り道、高台にある我が家を見上げると、台所に電気がついていました。全部消灯して出てきたはずなのにおかしいと思い、後ろを歩いていた父親に 「電気消してきたよね?」 と問いかけると、父親は 「ん?」 という感じで変な顔をします。母親が 「ほら、あれ」 と言いつつあらためて家を見てみると、さっきまでついていたはずの電気はすでに消えていました。そこから足早に歩き2、3分で家に着くと、やはり電気は消えているし、ちゃんとドアに鍵もかかっていました。泥棒が入ったのかと思って家中を調べましたが、特にそれらしい形跡もなく、結局その晩はもやもやした気持ちでよく眠れなかったそうです。

母親が子どもの頃、一度だけ体験した話です。真っ暗な夜道をひとりで歩いていると、突然横から大きな光の玉が現れたそうです。不思議と怖さは感じず、これがヒトダマなのかなと思いつつ冷静に見つめていましたが、実は直径2メートルくらいある巨大なもので、「ご先祖様が暗い道を照らしてくれたのかもしれない」 と言っていました。

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2008年8月24日 (日)

山の中

7年前の夏、休暇で一時帰国していた時、我が身に降りかかった話です。うちの村は南北に流れる川を中心に山に挟まれる、いわゆるV字谷という地形。我が家は東側斜面の中腹にあり、この時は対岸の山に登って家の写真を撮ろうと思い立ち、デジカメひとつを抱え軽装で山に入っていきました。家を出たのが午前9時15分。

あらかじめこの場所と決めていた所には10分ほどでたどり着き、何枚か写真を撮ったのですが、ふと、せっかくだからもう少し上に行ってみようかなと思いました。この日は友人たちと昼頃から我が家でバーベキューをする予定があったので、10分か20分上って、いい場所がなかったらさっさと下りてこようと決めました。

そこからは辺り一面杉林です。わずかに残っていた道の跡はすぐに消えてしまい、少し不安になりつつも、できるだけまっすぐ上ることを意識しながら、どんどん上り続けました。しかし、上れば上るだけ景色が良くなるだろうという期待は裏切られました。杉の背が高く間伐もされていないので、ほとんど周囲が見渡せません。この辺りで素直にあきらめれば良かったのですが、「もう少し上れば眺めが良いかも」 という気持ちがわいてきて、「もう少し、もう少し」 と思いつつ、上り続けて行きました。

この日、天気は快晴でしたが、杉林の中はうっそうとしていてほとんど木漏れ日もありません。子どもの頃から怖がりなので、後から考えるとよくこんな所にひとりで行ったなと思いますが、この時は不思議と怖さはありませんでした。時計も持たずに出てきたのですが、自分では小一時間上ったかなと思った時点で、結局視界が開けることもなかったので、あきらめて引き返すことにしました。

上ってきたルートはちゃんと覚えていたつもりで、しばらくは軽い足取りで下りていたのですが、途中で 「おや?」 と思い足が止まりました。いくつかの目印が見あたらず、杉の木立の感じも微妙に違います。本当にこのルートで良いのか、急に不安になってきました。さらに、まっすぐ下りたいのに傾斜のせいで自然と右側に進んでしまうのも気になりました。

ただ、それほど距離を上ったわけでもないし、右に下りていってもせいぜい上り口から100メートルか200メートルくらいしか違わないだろうと考え、できるだけ左に進むことを意識しつつ、斜面を下りていきました。しばらくすると、右下からかすかに沢の水音が聞こえてきました。「良かった、あの沢に出たんだ」 と一安心し、木につかまりながらスピードを殺すようにして、ますます急になった斜面を下っていきました。

しかしようやく沢が見えてきた時、それは自分が考えていた沢とは違うものだということに気がつきました。一旦木の幹につかまり、その場で後ろをふり返りましたが、ここをまた上っていくのは無理、と一瞬でわかるような恐ろしい急斜面が続いていました。心臓の鼓動がはっきり聞こえる中、できるだけ冷静に考えようと努めました。結論としては、道に迷ったとはいえそんなに遠くまで来ていることはないだろうという思いから、そのまま沢に下りることにしました。

沢に下り立つまではかなり不安でしたが、わずかに道のような跡を発見すると、少し気持ちが楽になりました。少なくとも人が来たことがある場所だということがわかったからです。沢沿いをしばらく歩いていると、今度はワサビ田が目に飛び込んできました。それで、ここが今でも人が来る場所だということがわかりようやくひと息つくと、沢の水を手ですくって飲みました。ここで思わず安堵のため息が出たことは言うまでもありません。

そこから道幅は、車が走れるくらいになっていました。開けた視界にまぶしさをこらえつつ空を見上げると、太陽光線の感じからすでに正午かあるいはそれを過ぎているかもしれないと思いましたが、そんなに長時間山の中で過ごしていたという感覚はなかったので、なんだか不思議な気分でした。また、道が明らかに南側に向かってのびていたので、「ここから何キロ歩くんだろう」 とかなり暗い気持ちになりました。

ひたすらとぼとぼ歩き続けると、ようやく民家が見えてきました。そしてそこが2.5km川下の村だということがわかると、愕然としてその場に棒立ちになってしまいました。まさか、こんな所に出るとは…。炎天下、そこからさらに30分歩いて家にたどり着くと、心配した友人たちが駆け寄ってきてくれました。この時はさすがに泣きそうになりました。到着時間、午後2時15分。沢に下りてから川下の村経由で家に帰ってくるまでを差し引くと、山には3時間以上いたことになります。そんなにいた感覚はまったくなかったので、まるでキツネにつままれた気分でした。

その後母親から聞いた話では、自分が上った山には昔、自然歩道があったのですが、行方不明になる人が何人も出たため、結局そのルートは閉鎖されてしまったそうです。村の人たちも、簡単そうに見えて実はとても怖い山だということを口々に言っているのだとか。生まれてからずっと見続けてきた山でしたが、この時初めてその内部に分け入りました。あの 「ひっぱられる」 感覚は、やはり何かあるのかもしれません。(単に方向音痴とも言いますが…)

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2008年8月15日 (金)

奇跡

休暇中もできるだけブログを更新しようと、あらかじめ現地新聞から30本くらい小ネタを拾い集めていましたが、どうしてもインターネットにつながらない不具合に見舞われ、しばらくはあれこれともがいていたものの、ある時 「もういいや」 というあきらめモードにおちいり、それ以降すっかりブログの更新はあきらめてしまいました。

休暇からもどり、これまでと同じようにインターネットのある生活に復帰していたものの、なんとなく再開のタイミングを逃しているうち、さらに 「なんのために毎日更新していたんだろう」 などという根本的なところでひっかかってしまい、ブログに対してプチ引きこもり状態になっていました。

ところが今日、奇跡がおきました。誰かに話さずにはいられない、しかしすでに夜も更けているのでこれはもうブログに書くしかない、というようなミラクルがおこったのです。これには活を入れられました。背筋がシャキーンと伸び、きっと身長も2cmくらい伸びたことでしょう。

今日は週末。家のリビングで3人掛けソファーの右端に座り、パソコンでのんびりDVDを見ていました。視力が悪いので度の強いメガネをかけてはいますが、視野はまぁまぁ。ふと、左側に、何かがチラッと動くような気配がしました。嫌な予感がしたので10秒ほどそのままパソコン画面を見続けましたが、さらにカサッと、今度は確実に何かが動くのが見えたので、思い切って左側にグッと顔を向けました。

案の定、そこには大きめのゴキブリが。むこうにも 「見っかっちゃった!」 という緊張が走ったのが見てとれました。ゴキはすぐにその場を逃げるわけでもなく、しばらくにらみ合いが続きました。最初に動いたのはゴキです。ソロリソロリと歩を進め、ゆっくりとソファー左端の肘掛けに上っていきました。

思いの外にぶい動きだったので、とっさに 「こいつだったらいける」 と思い、何か叩くものがないかあわてて周辺を見回しました。理想としては30cmの定規、あるいは丸めた新聞紙。しかしそんなものが都合良くあるわけもありません。迷っているうちにゴキが次の1歩を踏み出そうとしたので、とっさに横にあったA4のコピー用紙を手に取り、四つ折りにするやいなや 「エイヤッ!」 とゴキめがけて右手を振り下ろしました。

しかし、久々にやったこのアクションは、予想だにしない結果を生みました。とにかく自分でも驚くくらいのスピードで腕が振れたことは確かです。あまりの腕の振りに紙がすべって手からすっぽ抜け、おまけに紙を握った手は遠心力のためかグーからパーに変わっていて、結果、人差し指と中指でゴキをベチャッとつぶしてしまったのです。正確には、その感触が一瞬で脳髄に伝わってきました (あまりの恐怖に目で見て確認などできませんでした)。

振り下ろす時よりも3倍速いスピードで手を振り上げると、「ヒィィィィィーーーッ!」 と奇声を発しながらバスルームに駆け込みました。ジャージャーと水流マックスで右手を洗い続けること3分、ようやく気分が落ち着くと、おそるおそるリビングに戻りました。さて、ゴキはどこか。右手を上げた時、ゴキが手に粘着していた感触があったので、一度天井まで吹っ飛んだはずです。ソファーの周りでひっくり返っているに違いないと思ってずいぶん目をこらしてさがしたのですが、その姿は一向に見つかりませんでした。

「あれでもまだ死なないのか、やはり逃げたのか」 などと思いつつ捜索を断念し、気を取り直してまたパソコンの前に座り、DVDの続きを見始めました。しかしそこで、得も言われぬ不安がよぎったのです。パソコンの横に置いてあるマグカップ。さっきからお茶を飲んでいました。「まさかね」 と思いました。そりゃそうです。そんなのマンガです。そんなことがあるわけありません。

そこからの葛藤はなかなかのものでした。「どうせそんなことないからさっさと見てしまえ」 という心の声と、「本当にそうだったらもっと嫌な気分になる」 という声と…。結果は、写真を、見て………。(モザイク入れました、やっぱり…)

ということで、この奇跡をバネにまたコツコツとブログを更新していきたいと思う夏の夜更け。

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2008年7月 4日 (金)

人口過剰は貧困の原因か

ロイター通信によれば、エジプトが深刻な人口問題に悩んでいるそうです。ここ何年も経済は発展を続けていますが、人口増加のペースにまったく追いついていけません。ムバラク大統領が就任した1981年とくらべると、人口はほとんど2倍になりました。エジプトの国土は広大ですが、人が住めるのはナイル川沿いのわずかなエリアだけです。その面積はスイスとほぼ同じで、スイスの人口は750万人ですが、エジプトはその10倍、7,600万人がひしめき合って暮らしています。

エジプトはアラブ諸国の中ではもっとも早くから家族計画を提唱してきました。かれこれ30年はそうした政策を続けているのですが、やはり着実に人口は増え続けています。エジプト人の20%は1日1ドル以下の収入、いわゆる貧困ラインを下回る生活を送っています。しかも、国の経済発展にともない、もう10年以上もインフレが続いています。世界の人口は2050年に92億人になると予想されていますが、その多くは発展途上国が占めると言われています。今のままでは、エジプトもそちら側に入ってしまうことは確実です。

実のところ、エジプト政府が家族計画に躍起になっているのとはうらはらに、一般民衆は懐疑的な見方をしている人がほとんどです。その中でも、「子供は神様からの授かりもの、人間がコントロールするものではない」 という意見が多いのはイスラムならではでしょうか。また、エジプトは女性の社会進出がそれなりに進んでいるとはいえ、その割合は就業人口の22%を占めるに過ぎません。夫婦共働きの家庭にくらべると家族計画をする意識が低く、今も1人の女性が生涯に生む子供の数は3.1人、国民の38%は15才以下です。

エジプトは降雨量もほとんどゼロ、水不足と耕作地不足は火を見るよりも明らかですが、政府はこれといって有効な施策を打つことはできませんでした。イランは1990年代に出産優遇政策を廃止したため、人口抑制に成功したと言われています。エジプトの場合はすでに食糧不足で暴動が起きている状態ですが、イランと同じ措置をとったら国民に猛反発をくらうことは目に見えています。

エジプトはアラブの農業大国で、そのため農民は労働力として十分な数の男子が得られるまで子作りを続ける傾向にあります。しかし耕作できる土地は限られていますから、必然的に収入および生活レベルの低下を招いています。最近では食料品の輸入も増加しており、農民はますます出費を強いられています。エジプト政府の見込みでは、このペースで人口が増え続ければ2050年にエジプトの人口は1億6,000万人になるそうです。現政権は、これを1億人程度にとどめたいと考えています。

エジプトは1959年にスーダンと協定を結び、ナイル川の水を年間555億トン利用する権利を得ましたが、現在それ以上の量を使っていることは間違いありません。スーダンの内政が安定し水の産業利用が本格化してきたら、エジプトは壊滅的な打撃を受けることになるでしょう (戦争になるかもしれません)。また、さらに上流のナイル流域諸国とはだいぶ前からナイル川の水利権の調整を続けていますが、どの国にとってもゆずれない一線なので、交渉は難航を極めているようです。

東京23区の人口密度が13,500人/km2、マンハッタンが27,000人/km2なのに対し、カイロのもっとも過密している地域では41,000人/km2に上ります。政府はこの問題のひとつの解決策として、南部の砂漠を緑化して340万人が住む町を作ろうというトシュカ計画を進めています。しかしそのためには毎年50億トンの水が必要になると言われているので、今でも水がたりないエジプトにとっては、スーダンの安定と発展 (にともなう水利用の増加) は最大の脅威です。エジプトに限らず、中東ではいつどこで水戦争が勃発してもおかしくない状態です。

海外に職を求めるエジプト人は毎年数万人以上に上ります。向かう土地はヨーロッパ、リビア、湾岸産油国。ヨーロッパには運賃が安い船で行く人が多いのですが、その船旅で毎年何人も命を落としているのは、皮肉としか言いようがありません。ムバラク大統領は常に明言を避けていますが、エジプト政府としては、理想の子供の数は2人だと言っています (人口維持には2.1人必要)。もし大統領がこんなことを言ってしまったら、イスラムの教義に反するということで大規模なデモが起きるでしょう。

ということで記事は結ばれていますが、未だにムバラクというのが一番の驚異かもしれません。エジプトは革命後、大統領が生前に交代したことはないんですよね (暗殺か突然死)。そりゃゆがむでしょう、いろいろ。

ちなみに、この記事では人口過剰がエジプトの貧困問題の原因という切り口で書かれていますが、本当にそうでしょうか?。世界的には、というか欧米では、アジア・アフリカの貧困の諸悪の根源は無計画な出産にともなう人口過剰と断定しているようなところがあります。そのため家族計画にはとても熱心で、エジプトでもエチオピアでも欧米人が政府からNGOまでいろいろ啓蒙活動に励んでいました。

しかし、労働力が増えるということは、間違いなく有利なはずです。あらゆるプロダクトの増産が期待できるし、数に淘汰される中で確実に頭角を現してくる者がいるはずだからです。食糧不足にしても、国内のある所にはあり余っているのが現実でしょうから、それを流通させる道路を整備するとか、出し惜しみして値段をつり上げている業者を摘発するとか、政治で解決できる部分は多いと思います。

欧米の団体も、政府の無策をなんら告発せず国民にだけ負担を強いるのは間違っているのではないでしょうか。特に家族計画は信仰の点からいっても極めて個人的な問題です。欧米人にとっては善意以外の何ものでもないでしょうけど、現地の人々にとっては往往にして大きなお世話と映るかもしれません。ただ、結局もっとも苦しむのは弱者中の弱者である子供だという現実は、なんとしても是正しなければならないと感じます。

「責任が持てないなら産むな」 と主張する欧米の団体。「産む限りは責任を持て、そのために援助する」 というアプローチはできないものでしょうか。アメリカの外国援助法のように、「援助するから人口を減少させろ」 というのは、さすがに大国のおごりではないかと思います。

ついでに、人口過剰に対する偏見をいくつか。

■地球は人であふれてしまう。
(現在、人間が占める面積は地球表面の1~3%)
(2050年の世界人口予想は年々数が減っている)

■人口過剰は環境破壊を招く
(人口密度1,600人のオランダより330人の中国の方が深刻)
(人口よりも政府のポリシーの問題)

■毎年ベルギーふたつ分の森が伐採されている
(もとともベルギーは世界の熱帯雨林面積の500分の1)
(世界の森林面積は40億ヘクタール、地球表面積の30%で1950年代と変わっていない)

■大気汚染は人口過剰が原因
(人口密度が高いドイツの空気はとてもきれい)
(人口よりも政府のポリシーの問題)

■人のせいで動植物が毎年たくさん絶滅している
(いくつ種がありいくつ消え去っているのか誰も把握できない)

■人口過剰により食糧危機が起きる
(世界の1人あたり農業生産量は増えている)
(人口よりも国内あるいは国際的な流通の問題)

■人口過剰は貧困の第一の原因
(アフリカの人口密度はヨーロッパの5分の1)
(途上国の経済問題の原因は、政府の過度の支出、政府による農作物買い取り価格の低さ、物価統制、商業規制、高い税金、インフレ、機能していない計画経済、政府所有権の多さ、軍事費過多、外国の援助が国民に還元されない政府機構の弱さ、官僚の汚職などなど)

つまるところ、途上国の貧困は人口過剰よりもむしろ政治の問題であり、ましてや地球の環境破壊は一部の国による経済優先で規制のないやみくもな工業政策がもたらす影響の方がはるかに大きいと言えるでしょう (アメリカや中国など、たぶん日本も)。なので、途上国の人々に対して 「貧乏人は子を産むな」 などと言う権利は誰にもないのです。

………だけど、自分たちでもうちょっと考えようよ。>エジプト人

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2008年7月 1日 (火)

石油はあと何年もつの?

世界の原油生産日量、消費日量、確認埋蔵量を調べてみました (上位50ヶ国をリストアップ)。単純計算で、あと45年は採掘可能ということになります。ただし、おそらく今後10年から20年は中進国の経済発展によって消費ペースがどんどん上がるでしょうから、省エネや代替エネルギーへの切り替えがハイペースで進まない限り、45年はもたないはずです。

ただ、昔から石油はあと30年くらいしかもたないと言われ続けています。そのわりになかなか危機的状況にはなりませんから、それだけ年々新たな油田の発見や採掘技術の進歩があるということです。もしかしたら、10年後にも 「あと45年」 と言われているかもしれません。

実際、各国の確認埋蔵量については、一昔前はサウジアラビア以外のOPEC加盟国はほとんど先が見えている (10~20年程度) と言われていましたが、あらためて数値を見てみるとそんなこともありません。それだけ各地で油田が発見されているんですね。特にイラン、イラク、アラブ首長国連邦のポテンシャルの高さには驚かされます (でもやっぱりサウジは別格)。

サウジアラビアは今のペースで掘り続けてもあと76年は大丈夫です。ただ、このまま世界が石油依存を続けていたら、近い将来に (今度こそ) 危機的状況が訪れることは間違いありません。なので、早ければあと10年、遅くてもあと40年くらいで代替エネルギーへの切り替えが確実に行われるでしょう。

その転換点を迎えてしまったら、サウジアラビアの価値はなくなってしまうかもしれません。その時までに、なんとしても石油に代わる産業を根付かせなければならないわけです。もちろんその前に、国民の勤労意欲の発奮という超難題がひかえていますが…。


世界の原油生産・消費量

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2008年6月28日 (土)

世界の人種・民族別血液型割合

ときどき 「B型でしょ!?」 と言われることがあります。だいたいそんなにいい意味でないことはこちらも察しがつくわけですが、それにしても血液型占いはなかなか廃れることがありません。自分自身はさほど信じているわけでもなく、「言われてみれば?」 といったレベル。少なくとも血液型をもとに他人の見方を変えようなんてことは考えません。そういったウェブサイトはよくありますけどね (→参考:アタリマッセ)。

少し前のことですが、久しぶりに 「B型でしょ?。やっぱり!」 と言われて微妙な気持ちになった時のことを、なぜか今日また思い出して、やっぱり微妙な心持ちになりました。もう大人なんだから今さら血液型占いでもなかろうにと思ったのですが、一方で、世界の血液型分布と様々な社会統計データ (自殺率とか) に何らかの関連性は見て取れるのかなとも考え、ちょっと調べてみました。

表1:血液型分布図
表2:世界の人種・民族別血液型割合

結論としては、あまりにもデータが少なすぎて何もわからなかったのですが、新たに知ったことがいくつか。

脳が刺激を受けた時
*A型は言語を司る箇所が活発に働く
*B型は行動を司る箇所が活発に働く
*O型は状況を処理する箇所が活発に働く
*AB型はAとBの特徴のどちらかが強く働く

*A型は農耕民族
*B型は遊牧民族
*O型は狩猟民族

真偽は別にして、自分が遊牧民族 (的な性格) と言われるのはちょっとうれしいです。やっぱり中東向きなのかも!

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2008年6月16日 (月)

売春は国が管理すべきか

[2008.6.08 ロイター] イタリア政府は、路上での売春客引きの横行に歯止めを掛けるため、「赤線地区」の設置や売春宿の合法化、売春あっせんを終身刑の対象とするなどの提案を検討している。

同国では、昼夜を問わず多くの町でドライバーを対象に路上に立つ売春婦の数が増加している。ある統計によると、国内の売春婦の数は8万―10万人で、半数以上が外国人、65%が路上で客引きをしている。イタリアでは売春自体は禁止されていないが、売春の強制や売り込みは違法。1958年に閉鎖されるまでは国が管理する合法的な売春宿が700軒あった。

衛星テレビ局スカイが行ったある調査では、回答者の8割以上が売春を赤線地区内に限定することに賛成。フラティニ外相は「欧州 (の一部) には赤線地区が存在し、そこでは売春婦は奴隷ではない」と指摘。管理された売春宿のある国は性感染症の予防の面でも効果的との見解を示した。

………難しい問題ですね。「売春は最古の職業」などとも言われますし、これからも世の中からなくなることはないのかもしれません。貧困に苦しむ途上国であればなおさらです。生きていくためにはそれをせざるを得ない人たちがやはり存在するからです。であるならば、国が彼女たちを (プロとして) 認め、中間搾取を根絶し適正な対価を得られるよう、また性感染症の予防を行うよう義務づける方が、現状では人道的にも正しい選択ということになるのでしょうか。オランダやオーストラリア、タイなどはそれで成功しているようですから。

ただし、それ以外に職業選択の余地がないというギリギリの状態であること、強制ではなく個人の意志で行うことなどを審査する必要はあると思います。また、定年制および社会復帰プログラムを設けることも必要でしょう。安易に外国人 (女性) を受け入れるべきではありませんが、本国の社会情勢を考慮し、むやみに強制退去を命ずるばかりではなく人道的配慮をすることも求められるでしょう。ビジネスの後には領収書を発行し、税金がきちんと納められるようにしなければなりません。政府は国民がこのような職業の人たちを差別しないよう、法令の制定や啓蒙活動を行うことも必要でしょう。

などとあれこれ考えてみますが、内容が内容なだけに表だって議論はしづらいでしょうね。「そもそも論」を持ってこられたらぐうの音も出ませんし、「赤線」を作るよりも女性の自立支援センターを、という方がいかにも正論です。また、年間12万人ともいわれる西欧への女性の人身売買 (主に東欧から) を阻止する方が先決かもしれません。それは極めて難しいでしょうが。中途半端に人権尊重とか言っても、確かに貧困は存在するし世の中きれいごとばかりではないし、うーん、考えがまとまらない (←そりゃそうだ)。

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2008年6月 7日 (土)

献血するならサウジ大使館で!

■サウジ大使館 「留学生の代わりに献血して」と呼びかけ
「世界献血デー (14日) 、すべての自国民が滞在国で献血をするように」とのサウジアラビア政府の指示に従い、在日本サウジアラビア大使館 (東京都港区六本木1) が留学生たちに献血をさせようとしたところ、多くは英国留学経験があるなどの理由で献血できないことが分かった。大使館は苦肉の策として、「大使館内でごちそうするので、代わりに日本人が献血して」と異例の呼びかけをしている。

同政府は「世界各地のサウジアラビア人が献血し、相手国と友好を深めよう」との試みを各国にある大使館に指示。在日大使館も4月、日本の大学などで学ぶ約200人の留学生にメールなどで協力要請を始めたが、留学生のほとんどはヨーロッパへの滞在・留学経験があった。日本は変異型クロイツフェルト・ヤコブ病への対応で、「80~96年に1日以上英国に滞在した人は献血できない」との献血制限を実施しており、多くの留学生が該当した。

しかし、献血は本国政府の指示のため、日本だけ中止することはできず、大使館に日本赤十字社の献血車を呼び、日本人に献血してもらうことにした。その代わり、特例的に大使館の一部を開放し、昼にはサウジ風炊き込みに肉を乗せた「カプサ」など高級食材のお国料理を振る舞う。外務省によると、大使館がこうした事情で建物を開放するのは例がない。日本赤十字社によると、大使館で献血が行われるのも初めてという。

ファイサル・ハサン・トラッド駐日大使 (52) は「留学生が献血できないことには驚いたが、人類を救うことはイスラムの教え。1人でも多くの日本の方に協力いただきたい」と話している。大使たっての指令で、「金に糸目は付けず最高の素材」(大使館職員) の料理や菓子で礼を尽くすという。受け付けは14日午前10時~正午と午後1~4時。問い合わせは同大使館 (03・3589・5241) (6月7日18時0分配信 毎日新聞)

………だそうです。ビミョーに「なんでそうなるの?」と思わないでもありませんが、サウジ料理が食べられる良いチャンスなので、どうせ献血するならサウジ大使館でぜひ!

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2008年5月19日 (月)

国家の行方

「国家 (State)」とは、一般には一定の地域社会の上に成立する統治機構 (権力組織) をさしますが、その下にある社会そのものをさす場合もあります。古くはギリシャの都市国家、古代ローマや中国にみる帝国、遊牧民の部族国家、中世ヨーロッパや江戸時代幕藩体制のような封建国家など、いろいろな形態があります。しかし、今日我々が「国」として認識しているのは、16~17世紀の近代西ヨーロッパ社会が生みだした、政治共同体としての国家の形でしょう。

近代国家は領域・主権・国民 (民族) から構成されます。特に国民は言語、文化、宗教など多くの共通性が保たれているべきものですが、近代国家ではそれを政治的に包括してしまったため、多くの地域でその後民族を基本的単位とした国民国家 (Nation State) へと再編成される動きがありました。そして21世紀を迎えてなお、独立を求める地域紛争は絶えません。

2002年はヨーロッパで通貨統合が実現しました。国境を越えた移動が自由になったヨーロッパでは、今後、国家という枠組みが少しずつ曖昧になっていくのかもしれません。「自分はフランス人ではなくノルマンディー人である」などと、より個人のアイデンティティーに根ざした意識を持つようになるのではないでしょうか。一定の経済水準が保証されるという条件は必要でしょうが、世界の各地域で、このような意識変革はますます加速していくものと思われます。

自分にとって居心地がよい、あるいは仲間意識を感ずる共同体に所属することは、きわめて自然なことです。そういった場合、宗教はとても重要な要素になり得ると思います。イスラエルには欧米から無数のユダヤ人が「帰郷」したわけですが、宗教という一点においても、イスラエルは世界中のどの国よりも強固な連帯意識をもつと言っても過言ではありません。国の存続そのものが国民の悲願だからです。アラブが勝てないわけだと思います。

サウジアラビアも、20世紀初頭までは部族連合の集合体にすぎませんでした。アブドゥルアズィーズ初代国王が国家を統一していく過程で、初期イスラムにたち帰ろうというワッハーブ運動は、国家形成の大きな原動力になったと思います。アラビア半島の遊牧民を、部族間の利害を越えてまとめていくのは至難の業だったでしょう。しかし、イスラム勃興の地であるというプライドは、すべての部族に共通していたのではないでしょうか。そうしてどの部族もアブドゥルアズィーズの思想に共感し、連合を組んでいったのだと思います。もちろん、中には多くの争いもあったでしょうが。

オランダ人の友人から、お隣のベルギーの話しを聞きました。ベルギーは、19世紀にオランダから独立した国で、オランダ語の一種であるフラマン語を話す北部のフランデレン地域と、フランス語を話す南部のワロン地域とにほぼ二分されます。そしてこの住民同士がとても仲が悪い。あまりに対立が続いたため、1993年には連邦制に移行しました。言語というのは思考回路に多大な影響を与えるそうですから、同じベルギー人といっても南北で性格がずいぶん違うんでしょうね。

宗教と言語、これは国家建設にかかる国民形成においては非常に重要なポイントです。ヨーロッパもアフリカも、地域は問いません。旧ユーゴスラビアは、一体今はいくつの国に分かれてしまったんでしょう。スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニア、コソボ?。うーん、よくわからない…。

エチオピアは、アジスアベバ特別州 (中央政府) を入れて11州による連邦国家です。エチオピアの第一の公用語はアムハラ語ですが、これはもともとエチオピア地方を支配していたアムハラ族の言葉です。1991年から政権をとったのは北部のティグレ州出身者で、彼らにはティグレ語がありますが、すでに国内の共通語としてアムハラ語が浸透しているので、今後もアムハラ語の優位は揺らがないでしょう。

しかし実際に一番人口が多いのはオロモ族です。オロミア州はアジスアベバを取り囲んでおり、州政府の役所もアジスアベバにありましたが (今は新しい首都に移転しています)、役所に入ると書類がすべてオロミア語でした。オロモ族は長年農奴としてアムハラ族に支配されていた暗い歴史があるので、自分たちの国語復権に強い意欲を示しています。このことが、この先エチオピア内政の不安定要因になる可能性も否定できません。

エチオピア南部諸民族州はもっと複雑です。60以上の部族があり、それぞれに異なった言語があるのだそうです。アムハラ語やティグレ語はともにセム語系ですが、南部州の諸言語はハム語。文法体系も単語も大きく異なります。南部州には女性の下唇に大きな円盤をはめることで有名なムルシ族もいます。地理的にも離れたティグレ族とムルシ族の間に、果たしてどれほど同じ国民という共通認識があるのでしょうか。少なくとも、言語的なコミュニケーションは極めて困難だと思います。

また、国家が国民を守る義務を負うのに対して、国民は税金支払いや徴兵など、相応の負担を強いられます。しかし南部州の少数民族には貨幣経済とは無縁な生活をしている人々も多いので、彼らからの見返りはほとんど期待できません。にもかかわらず、南部州政府あるいは中央政府は彼らを「エチオピア国民」として、他と同様に教育機会の提供、医療サービス、飲料水の確保、道路建設、インフラ整備などを行っています。これは賞賛に値することだと思います。もっとも、国家予算のうち外国からの援助資金が占める割合も多いのですが。

エチオピアはキリスト教徒 (エチオピア正教、カトリック、プロテスタント) とイスラム教徒でほぼ半々を占め、あとはユダヤ教徒、アニミズム信仰者などがいます。宗教は一枚岩ではなく、言語構成も複雑な背景をもっています。よくこれで国家として成り立っているなぁと感心しますが、幸か不幸か天然資源がほぼ皆無という現実の前では、独立をしても特になんの旨味もないというのが本当のところでしょうか。さっさと独立したエリトリアも、経済的にはひどく苦労しているようですし。

アフリカは、資源がなければ最貧国、資源が見つかれば内戦というお決まりのパターンがあります。1885年のベルリン会議、別名「アフリカ分割会議」によって、部族構成を無視した勝手な国境線を引かれてしまったため、ひとつの国の中に異なる (時に敵対する) 部族が複数存在するという事態になってしまったことが諸悪の根源でしょうか。そのため、植民地政策が終了し独立を果たした途端、多くの国で内乱が起こったのです。資源があればあるほどその争いは苛烈なものになりました。

アフリカでは、ひとつの内戦が終わると、またどこかで内戦が始まります。それは多分に資源目的の欧米アジア諸国 (最近は特に中国) の思惑が入り交じっているのではないでしょうか。いっそのこと、国境線を一度白紙に戻して、10年か20年かけてアフリカ人に国境を決めさせてみてはどうでしょう。ものすごい戦争になる可能性もありますが、先進国が (利権がらみで) 軍事援助をしない、というルールが守られれば、、案外早く事態は収束するんじゃないでしょうか。アフリカのこれからの500年、1000年を考えたら、今こそ思い切って断行すべきではないか思います。(←無茶)

今日はイマジンを聴いて寝よう。

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2008年5月13日 (火)

血液型ダイエットねぇ…

ヨルダンにいた頃、ダダモ博士の血液型ダイエットの本をもらいました。どうなのかなと思いつつ、とりあえずエクセルの表にまとめてみたのですが、ほどなくヨルダンの仕事を終え、エチオピアに赴任したこともあって、食材を選べるような生活環境ではなくなってしまったため、結局これまで実践することはありませんでした。

また中東に戻ってきて、食材は選び放題という生活になったので (シーフードはさすがに少ないですが)、ちょっと真剣にやってみようかなと考えている今日この頃。

*血液型ダイエット食材リスト (Excelファイル) 

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2008年5月 7日 (水)

仲良き事は (3)

子を抱く母のなんと凛々しいことか。

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仲良き事は (2)

見ていてなごみます。

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仲良き事は (1)

悪夢にうなされる連れ合いをもう1匹のヒツジが心配するそぶり (←妄想) がなんともけなげです。

この世にかわいくない子犬なんていません。ましてやかたまって寝ている姿なんて!

猫2匹。なんでこんな格好になったんだろう。

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2008年4月18日 (金)

冷凍みかんとエチオピアの家

インターネット (常時接続) の普及によって、今は海外にいても、一昔前とは比べものにならないくらい日本の情報が入ってくるとはいえ、それでもこちらからかなり能動的に情報収集する気にならないと、日本の流行廃りにはなかなかついて行けません。流行語などは、「この言葉が流行っている」という情報は知ることができますが、実際に世の中でどれくらいの頻度で、どのようなシチュエーションで使われているかまではわかりません。芸能人についても、若手俳優だと1本の連ドラで一気にブレークすることもありますが、そういう熱狂的支持を受けた時期を知らず、また、日本に帰った頃すでにブームが落ち着いていると、その芸能人について再びテレビで触れられていたとしても、自分の中ではポカンとしてしまうだけです。

古くは藤原紀香、最近では沢尻エリカがその典型です。なぜそこまで世間の注目を浴びるのかがわからず、テレビの芸能ニュースのノリにまったくついていけない自分に、ちょっとしたイライラを感じます。「あ、今、自分は世間とずれているんだ」という感覚。別に日本に住んでいたって芸能界なんか興味ないという人はたくさんいますが、もともとテレビっ子の自分としては、これはちょっと悲しいわけです。彦摩呂もそうだったなぁ。「宝石箱や」とモノマネする芸人に対してテレビでは爆笑がおこるのですが、オリジナルを知らないからいまいち笑えなくて、悔しい思いをしました。そう言えば、レミオロメンの「粉雪」を初めて聴いたのはタカタンドトシが歌っていたやつで、鳥肌が立つくらい感動してビデオを何度も巻き戻して見たのに、日本に帰国して実際の本歌を聴いたら、「あれれ?」と思ったことも、ある意味とても悲しかったです。

これが全国区の流行ではなく、ご当地ものになると、なおさら県民としての疎外感を感じることになります。1990年夏、湾岸危機のため日本に緊急避難をして、ようやく地元に着いた時のこと。このままサウジアラビアに戻れなくなったら大変だなぁとかなり重い足取りで清水駅前銀座を歩いていると、ひときわ大音量で歌が流れていました。嫌でも耳に入ってくるその歌詞の、なんとふざけていることか。「ピーヒャラピーヒャラ、パッパパラパ~♪」。…………。そう、後に国民的アニメにまで成長した「ちびまる子ちゃん」のテーマ曲「おどるポンポコリン」です。

この年、作者の地元である清水は、町をあげてまるちゃんを応援していました。もうどこに行ってもまるちゃん一色。ポンポコリンだらけ。夕方のニュースを見て、初めてまるちゃんが大ブームであることを知り、そして日本では (特に地元では) 湾岸危機のニュースなどまったく関心を持たれていないことを身に染みて感じました。前日まで感じていた、戦争に巻き込まれつつあるという焦燥感。それを、まるで豪快な一本背負いのごとく、一気に平和ニッポンの現実世界に引き戻したのが「おどるポンポコリン」でした。自分にとっては、良くも悪くも平和の象徴ナンバー1ソングです。ホント、ばかばかしいって素晴らしい。

さて、ようやく本題です。2006年秋にエチオピアから日本に戻ると、GTPの「冷凍みかん」が静岡で大ブレークしていました。というか、すでにブームはすっかり落ち着きをみせていて、「この歌面白いね」と友人に言っても、「え?、今頃?」という顔をされるばかりでした。こういう時に感じる寂しさは、あたかも暗い宇宙空間にひとり投げ出されたかのような、果てしない距離感を伴うものです。まぁ、されはさておき、冷凍みかんのPVです。最初の方に、どう見てもエチオピアの家が出てくるのですが、あれは何故?。「冷凍みかん、エチオピアの家」でグーグル検索してみても何もヒットしないし。個人的にものすごぉーく気になる一件でした。(参考:エチオピアの家の写真)

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2008年3月19日 (水)

カバラ数秘術&前世診断

高校生の頃本を買って食い入るように読んだ「カバラ数秘術」。インターネットで何か情報はないかと探していたら、簡単な占いのページがありました。結果については「こんなだった?」と記憶も定かではありませんが、結果を読んでいるうちに「まぁ、そうかも」なんて思ったりしています (運命数2でした)。運命数の意味はタロットカードともつながっているので、こちらの過去の記事からタロットカードの意味をどうぞ。

ついでにいろいろ探していたら、これも無料の「前世診断」がありました。結果は「人外なる者」属の「守護天使さま」。虫とかでなくて良かった…。

→カバラ数秘術

→クォーレ前世診断

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2008年3月12日 (水)

自由の国のなれの果て

■成人の100人に1人、231万人が刑務所に 米調査

ニューヨーク(AP) 米国の成人100人に1人に相当する231万人が刑務所や拘置所などに収監されている現状が、米調査機関が28日に発表した統計結果で明らかになった。人種や年代別で分類すると、黒人の20─34歳男性では、9人に1人の割合となっている。

米民間研究団体ピュー財団の傘下機関が明らかにした。米国史上、成人の1%が収監状態にあるのは、初めてのことだという。

同機関の調査によると、2008年1月1日現在、全米50州の刑務所などには成人231万9258人が収監されており、米国の成人99.1人に1人の割合となる。

これは、人口が最も多い中国の収監者数150万人を上回り、全世界でも最も高い率になる。また、人口10万人あたりでは750人と、ロシアの同628人を大きく上回っている。

人種、年代別に見ると、最も割合が高いのは、20─34歳の黒人男性で、9人に1人が刑務所内に。18歳以上の男性全体では54人に1人だが、18歳以上の黒人男性では15人に1人となる。一方、18歳以上の白人男性では、106人に1人となっている。

女性では、35─39歳の黒人で100人に1人だが、同世代のヒスパニック系では297人に1人、白人では355人に1人だった。この世代の女性全体では、265人に1人が収監されている。

州別に見ると、収監人数の増加率が最も高かったのは、ケンタッキー州の12%だった。同州のベシアー知事は今年1月、州の予算案における矯正施設整備費用などについて言及。犯罪率は過去30年間で3%しか増加していないのに、収監人数は600%増加したと指摘している。

一方で、収監人数の増加を抑えたのは、カンザス州とテキサス州。両州では、軽犯罪の場合は収監せず、保護観察などの措置で社会復帰を促進させ、納税者として働いてもらえるような仕組みを作った。この結果、刑務所は凶悪犯罪者に十分な対応をとれるようになったとしている。

また、各州が受刑者の社会復帰プログラムにかける費用は、全米50州で490億ドルに達し、20年前の110億ドル未満から大幅に上昇。高等教育向けの費用の6倍以上となっている。

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2008年3月 2日 (日)

へこむ

鳩の一件でそこはかとなくへこんでいる今日この頃。仕事の帰りに前々から気になっていたおしゃれな看板のレストランに入ってみたら、単なる普通のハンバーガー屋でした。入ってしまった手前ハンバーガーセットをひとつ買ったのですが、そこで何も買わずに店を出る勇気がなかった自分にまたちょっとへこみました。

帰りがけ、どうも納得がいかなかったので少し回り道をしてブハーリーライスを買っていったのですが、一緒に買ったナスとオクラのおかずが両方ともひどい味でした。前に買った時はおいしかったのに…。ハンバーガーも無味乾燥。たいした値段ではないけれど、変な買い物をしてしまったことを後悔。

しかたなくブハーリーライスだけをボソボソ食べていたのですが、その時、ハンバーガーについてきたマヨネーズが視界に飛び込んできました。「いけるかも」と思ってライスにかけて食べてみたその味は…。

子供の時に食べたマヨネーズごはんを思い出しました。そして、当時のことをいろいろ考えているうちに、「もしかして貧乏だったのかな」などと思って、なんだか泣きそうになりました。へこんでいる時は、負の連鎖が激しいです。

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2008年3月 1日 (土)

動く絵

動く絵を作ってみました。イメージはジャックと豆の木。伸びてるように見える?

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2008年2月17日 (日)

華氏911

「ボウリング・フォー・コロンバイン」を観た勢いで「華氏911」も観直しました。自分の国の大統領をあそこまでコケにしているのはやはり何度観ても痛快です。こういう映画を作れるのだから、アメリカという国はやはり自由の国なんでしょうね。それにしても、かなり恣意的な編集作業があったであろうことを差し引いても、映画を見る限りこのおとぼけ顔の大統領が超大国アメリカを率いるリーダーとしてふさわしい人物だとは到底思えません。もちろん、大統領のリーダーシップなんて実際にはごくわずかで、要はどれだけ優秀なブレーンを集められるかが勝負なんでしょうけど、類は友を呼ぶというか、いまひとつブッシュの側近はダメダメな感じが漂っています。コリン・パウエルも途中でやめちゃったし。

確かに、根は悪い人には見えないですけどね。喜怒哀楽をすぐ顔に出すしゃべり方もなんだか田舎者っぽくて好感度大。政治家ではなく、陽気なアメリカ人のおじさんとして街の中でバッタリ会ったとしたら、かなり親近感を持つと思います。例えばアル・ゴアなんかの方がよほど腹黒いんじゃないでしょうか。でも、イラク戦争の時のブレア首相との共同記者会見では、残念ながらバカっぽさが際だっていました。アメリカ人はずいぶん恥ずかしい思いをしたでしょう。「こんなのがうちの親分なのか…」とため息をつきながら。ブッシュもその人柄の良さが災いして、周囲の利権がらみの人たちに「お前デキが悪いけど大統領にしてやるからな、そのかわりバッシングは全部受けろよ」とでも言われたのかな?。ブッシュも「そういうの慣れてるからマカセテ!」とか言ってそう (←完全に妄想)。

問題は、世界に対してアメリカという国の影響力があまりに大きすぎることでしょう。そのアメリカと、というよりもアメリカ大統領および側近たちと個人的で緊密なビジネス関係を築いてきたサウジアラビアの王族 (ビンラディン家含む) の実態が、個人的には最も衝撃を受けました。もともとは、有力な政治家のファミリー企業に投資していただけのことだったと思いますが、サウジ王族もまさかブッシュ (息子) が大統領にまでなるとは思っていなかったんじゃないでしょうか。特に湾岸戦争以降、ますますアラブ民衆の反米感情が高まっているし、できればあまり目立ちたくなかったというのが本音でしょう。アラブ人 (パレスチナ人) 側に心情的に肩入れしている自分としても、アメリカとサウジアラビアの癒着というこの実態には正直幻滅しました。「ビジネスはビジネス、パレスチナ問題はそれはそれ」と割り切っていれば良いのでしょうけど…。

今もアメリカ国内は大統領予備選で盛り上がっていますが、こういうふうに選挙に熱狂する姿はケニアとかフィリピンあたりとダブって見えます。ほとんどお祭り気分。「アメリカって先進国のはずだよね?」と思わず目を疑ってしまいます。数年前の話ですが、ハリケーン・カトリーナのニュースは、ちょうどアフリカ15ヶ国の研修生たちと一緒に見ていました。被害の大きい地域に取り残されたのがほとんど黒人だったため、「これはアフリカのどの国だ」とみんなで言い合ったものです。アメリカという国もなかなか複雑な社会構造を持っていますね。なぜ世界一リッチな超大国にあれだけの貧困や犯罪がはびこっているのか。世界各地で武力行使をする前に、国内の社会問題をなんとかした方が良いのではないか。問題は山積みです。こんな国の大統領には、……なりたくないなぁ。

ちなみに、ヒラリーとオバマの戦いがそのまま大統領選の様相を呈していますが、アメリカ初の女性大統領、あるいは初の黒人大統領というのは、やっぱりまだ無理なんじゃないでしょうか。結局最後は保守 (共和党) に票がまわるような気が。

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2008年2月16日 (土)

ボウリング・フォー・コロンバイン

またアメリカで、銃乱射という悲惨な事件が起きました。あらためて「ボウリング・フォー・コロンバイン」を観ましたが、いくつか感じたことを。

まず、これはドキュメンタリーではなく映画という作品であるということ。もし中立的な視点を持って記録されたドキュメンタリーフィルムであると捉えれば、事実のみを列挙して最終的な判断は視聴者に任せるというスタンスもあり得ますが (その場合2時間ではとても足りないでしょうが)、それにしては「ボウリング・フォー・コロンバイン」はあまりに感傷的です。マイケル・ムーア監督は一定のトーンを持って何かを語ろうとしており、その点においてこれは監督の思想心情が色濃く反映された表現手法としての映画そのものだと思いました。

ただし、社会的な問題を浮き彫りにしようとする攻撃的な使命感というよりも、むしろひとりのアメリカ人としてこの現実をとても悲しいものだと感じている、その内省的な感覚をよりどころにして撮られた映画なのではないでしょうか。そのため、撮り始めてはみたものの帰着点がなかなか見つからないという、良く言えば人それぞれに違った余韻が残る映画、悪く言えば論点がぼやけた映画になってしまったのかなと。アポなし突撃取材が多いので、やっていることはずうずうしくはた迷惑なことばかりなのですが、監督の愛嬌ある風貌と正義感ぶっていない穏やかな口調が、映画を一定の質に保っています。

映画の中ではいろいろな立場の人にインタビューを行ったり、アメリカの歴史と銃の関連性について考察したりしていますが、結局映画としては最後まであまりはっきりとした答を出してはいません。黒人による銃犯罪をヒステリックに報道し続け恐怖をあおる「メディア」と、銃による自己防衛を促す「業界」というアメリカ社会における「勝ち組」が悪いのではないかというのが、唯一主張らしい主張ですが、さすがにマイケル・ムーアも「すべて環境のせい」と断言するほど鈍感な人間ではないということでしょう。

映画の中で、ある大手スーパーマーケットの店頭から銃弾を撤去させたことはひとつの成果だったとは思いますが、もちろんこれは、スーパー側が「これは宣伝になる、銃弾の売り上げ減以上に儲かる」と判断した可能性の方が高いでしょう。それはさておき、確かに安易に銃 (銃弾) を買える環境というのはいかにもアメリカ的であり、日本の社会では想像もつきません。こういう環境が銃犯罪を助長していないと言い切ることは難しいでしょうが、犯罪そのものの動機として「銃ありき」で考えるのもまた無理があります。

しかしながら、この「環境が悪い」というひとつの主張は、おそらく自身も社会的弱者側の人間であるという感覚を持つであろうマイケル・ムーア監督の実感として、常に根底に流れているのではないでしょうか。人は本来的に弱い存在なので、安易に流れやすいのだと。しかしこの主張はややもすると、「麻薬を売る国があるからアメリカ人がむしばまれる」などという逆ギレ的な考え方にもつながるので、「環境を制するのはあくまで個人」という理性も当然持ち合わせていなくては、いっぱしの知識人あるいは映画人としては通用しないでしょう。

この映画を観たアメリカ人の反応は、「今更何を言っているんだ」だったのではないでしょうか。みんなこの現実は認識しているし、ここまで銃が氾濫している社会に対して不安と疑問を持っていることは間違いないのだろうけど、「わかっちゃいるけど止められない」というのが本音ではないかと思います。そう言った意味では、「ボウリング・フォー・コロンバイン」はアメリカ人の意識変革を狙ったというよりは、超大国アメリカの悲惨な現実を暴露して外国人受けを狙った商業主義的な映画なのだともとれますね。この見方はちょっと意地悪すぎるかな。

いずれにしろ、アメリカ人というのは根本的に臆病なのかなと。そして孤独。自由の国ではあるけれど、それ故きちんと自己を管理できないと、たちまち底辺に落ちてしまうという。競争は社会の発展に必要だけれど、一握りの勝者の影には無数の敗者がいるのもまた現実。それでも途上国の人間がアメリカを目指すのは一体何故?

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2008年1月11日 (金)

犬飼いたい

犬、飼いたいなぁ…(´д`;)。写真は伊豆高原ドッグフォレストのモモちゃん。

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2007年12月 5日 (水)

中学生以来の…

床屋に行きました。リヤドはこの頃寒くなっていっそう静電気がひどくなり、ここ1、2週間服を脱ぐたびにバチバチッと髪の毛が逆立ちうっとおしくて仕方ありませんでした。もうひとつ、明日は誕生日なので、「とりあえずサッパリしとくか」みたいな感じもありました。店に入って散髪イスに座ると、インド人の床屋に「ベリーショート、トップで2センチ」と簡単に伝えました。もともと細くて柔らかい髪質なので、これくらい短くしないと静電気の不快感がなくならないと思ったからです。

すると床屋は、「4センチと1センチのアタッチメントがある」と言いながらバリカンを指さしました。実はメガネをはずすとほとんど見えないので(視力0.1)、「4センチかぁ、ちょっと長いけど、まぁいいや、じゃ、トップ4センチ、サイドとバック1センチで切ってくれ」と伝えました。床屋はまずサイドとバックを簡単に刈ってから、アタッチメントを取り替え、おもむろにトップに刃を入れました。すると、バサバサバサッと意外なほど大量の髪の束がエプロンに落ちてきました。

「ちょっと待て、止めろ」 私は不安になり鏡を凝視しましたが、日没近い店内は薄暗く、私の視力では自分の顔がまったく見えません。あわてて右手を伸ばし頭をさわると、どう考えても4センチの長さはありませんでした。「お前、これ4ミリだろ、4センチって言ったじゃないか!」 思わずそう怒鳴ると、床屋はちょっと困った顔で「4センチはないよ、4ミリだよ」と言います。「だから、お前は4センチと1センチがあるって言ったんだよ、センチとミリってわかるか?、お前は脳みそあるのか!?」 こちらの剣幕に圧倒されたのか、床屋はただ困った顔をするばかりでした。

それからひとしきり床屋を叱りつけましたが、もう彼の思考回路は完全に停止していました。「4センチはないよ、4ミリしかないんだよ…」 床屋は泣きそうな声でつぶやき続けました。別の客が入ってきたのでそこで声を出すのは止め、イスにどかりと腰を下ろし、「さて、どうしたものか」と考えました。もちろん、結論は1秒で出ました。こうなるともうどうしようもありません。あとは4ミリの丸坊主になるだけです。「いいよ、もう全部4ミリにしてくれ」 ぶっきらぼうに伝えると、ようやく床屋はほっとした表情になりました。

というわけで、中学生以来の坊主です。せめて1センチだったらまだなんとか…。いや、最初に1センチと言っていたら、1ミリの坊主になっていたな、きっと…。

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2007年11月28日 (水)

サウジで親知らずを抜きました

2週間前、左側の奥歯が上下とも痛くなりました。3日我慢しましたが、結局耐えきれず歯医者へ。診断は、虫歯ではなく親知らずが歯を圧迫しているため痛みを感じるとのこと。レントゲンを見ると、左の上下だけでなく、右上の親知らずもそろそろ横の歯に悪影響を及ぼしそうなポジションにありました。「3本まとめて抜きましょう」 フィリピン人の女医さんにそう提案されたので、ちょっとびっくりして「私の国(日本)ではたぶん1本ずつ時間をおいて抜くと思いますけど、どうでしょう?」 とおそるおそる質問をしました。「1度に抜いてしまった方が良いのです」 彼女は自信に満ちた表情できっぱりと言いました。ただ、その歯医者で一番腕の良い、というかたぶん力仕事担当の医者が予約でいっぱいだったため、10日後のオペを予約しました。結局その日は痛み止め薬の処方箋をもらっただけです。

さて、そして今日(27日)、本当に親知らずを3本いっぺんに抜いてきました。担当医は白人男性(アメリカ人?)。最初から最後まで軽快に話し続けていました。数年前に日本で右下の親知らずを抜いたときは、「なんかゴリゴリやってるなぁ、早く抜かないかな」と思ったときにはもうすでに抜かれていたので、痛みも苦痛も全くなく、「さすがは日本の歯医者」と感激しました。さて、サウジアラビアはと言うと…。

まずは麻酔注射。日本に比べたら一見してなんか太いし、やはり刺されたときに「ビクッ」とするような痛みが何度もあって、この先の難工事(?)が大いに予想されました。それと、左にはこれでもかというくらい麻酔を打ったのに、右側は「あれっ?」と思うくらい少なめだったのにも、ますます不安をあおられました。「最初に一番ハードなのをやろう」 医者は軽快にそう言うと、まっすぐその手を左下の親不知に伸ばしていきました。

まず何度か歯をグリグリした後、どうにも頑丈そうなのか、「よし、砕いて取ろう」とまたも軽やかに言うのですが、それを聞いているこっちはもう泣きそうでした。歯を削る器具が口の中に入り「チュイーンンンン」というこの世で最も聞きたくない音が脳内に響き渡り、歯を削る時独特のニオイが立ちこめます。。削って、砕いて、むしり取る。そんな作業をしばらく続け、時々歯の付け根の辺りにビシッと鋭い痛みを感じながら、ようやく1本目を抜き終わりました。「オーケイ、ガリッ!! (OK, I got it)」とまたまた軽快に言うものですから、なんだか「チクショー!!」という気持ちになりました。

手早く傷口を糸で縫うと、間をおかず左上に取りかかりました。確かに下の歯よりは手間はかかりませんでしたが、「抜けたかな?」「え、まだ?」「今度こそ抜けた!?」「やっぱりまだ!!??」というのが何回か繰り返され、精神的にヘトヘトになりつつありました。そうして左上もようやく抜けると、いよいよ麻酔に若干の不安が残る右上に取りかかりました。ただでさえ歯医者の麻酔は「すぐ効いてすぐ切れる」印象があります。ここまで来るのにけっこう時間がたっていました。やはり最初の2本に比べ、器具を歯にあてている感触が鮮明に感じ取れます。「おいおい、麻酔はちゃんと効いているのか!?」とかなり心配になりましたが、最終的には「痛い!!」と思ったのはほんの一瞬だけでした(日本では一瞬たりとも痛みは感じないような気もしますが…)。

医者の「No more wisdom teeth(もう親知らずは1本もないね)」というにこやかな言葉でオペは完了。正味40分。あぁ、無事で良かった…。その後、帰宅して麻酔が切れた後に焼けるような地獄の痛みが待っていましたが、6時間ほどたった現在、痛み止めが効いてきたのか、頬のしびれと疼痛程度におさまっています。日本に比べたらめちゃめちゃ荒っぽいという印象はありますが、まぁ、これがエチオピアでなくて良かった、というのが最大の感想です。歯医者なんて所詮痛いものだし、サウジだから「仕方ない、抜こう」と思いましたが、エチオピアだったら「仕方ない、抜きに海外に出よう」と考えますから。

何はともあれ、まずは一件落着。サウジで親知らずを抜いて病院に1泊した人に比べたら(しかも請求額がすごかったらしい)、何の問題もなくあっさり終わってしまったという感じです。とりあえず今は水を飲むのもつらいですが…。し、しみるーーっっ!!(泣)

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2007年11月27日 (火)

ソニーベータマックス

その昔、カタールで買ったソニーベータマックスのビデオデッキ。日本に持ち帰った後、何年かして知人に売ってしまったと思いこんでいたため、去年日本に戻ったとき、海外から買ってきたベータのテープを全部捨ててしまいました。50本以上あったかな。まぁ、今更ビデオテープの時代でもないし、意外にカビてたし。

で、去年さらに大掃除を続けていたところ、何日かして、押し入れの奥から「あ、サウジで買ったVHSのビデオデッキだ」と思って引っ張り出したら、なんとこれがベータマックスでした。ガーン。売ったのはVHSの方だった…。ま、いいか。世の中DVDだし。でも号泣するほど感動した「Mother India」はDVDで売っているかな。かなり古い映画だし。何十本か見たインド映画の中では一番好きな「Maine Pyar Kya」はVHSとベータと両方持っていたけれど、ふたつとも捨ててしまったなぁ。DVDあればめちゃめちゃ欲しいんですけど。

そう言えば、VHSのデッキ(マルチシステムなので海外から買ってきたビデオテープが再生できる)を売ったとき、「ベータもいらない?」と声をかけたら、「なぜベータ!?」とまったく相手にされなかったことを思い出しました。いや、カタールでは主流だったんですけど、ホント…。

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2007年10月28日 (日)

閉所恐怖症

昔からそうではないかと薄々は感じていたのですが、どうやら自分は閉所恐怖症なのかもしれません。あれは小5の冬、理科室を掃除中に、みんなで大きな実験机の下の開き戸の中に順番に入って遊んでいた時のことです(←なぜこれが面白かったのか謎ですが、すごく盛り上がっていた)。そこは小さな空間で、体育座りをするとちょうど子供の体が入るくらいのスペースでした。何回目かの自分の番になって、キャッキャと笑いながらまた中に入っていきました。扉が閉められると、中は真っ暗闇。「うー、狭いー、声が響くー」などと笑っていたのですが(←くどいようですが何が面白かったのか…)、30秒ほどして出ようとしたところ、扉がびくともしません。そう、友達が外で扉をぐっと抑えていたのです。

その時、私は一瞬にしてパニックに陥りました。もうこのまま一生出られないのではないかとばかりに、ただひたすら「開けてーー!!」と叫び声をあげていました。体育座りでぎりぎり中に収まっているため、自由に体を動かすことはできません。背中を扉に押しつけ、なんとか開けようと必死だったことを覚えています。たぶん、扉は10秒もたたないで開けられたのですが、ぜいぜいと荒い息をして半泣きになった私の姿は、友達にはずいぶんと奇異に映ったかもしれません。もともと狭いところがダメだったのか、それともこの出来事がきっかけでそうなったのかはわかりませんが、それ以来「もしかしたら自分は閉所恐怖症ではないか」と常に意識するようになりました。

例えば、体育の時間、マットをまるめて倉庫にしまう時、クラスのお調子者が「巻いて~」などと言ってマットの端に横になり、それをみんながぐるぐると簀巻きにしていくのを見ると、体の底から身震いが起こりました。手足が完全に動かなくなってしまう感覚が伝わってきて(プラス、そんな状態で足をくすぐられたらという被害妄想)、とても正視に耐えられるものではありませんでした。また、夜布団に入った後、地震が来て天井と床の間のわずかな空間に挟まれたらどうしよう、などとありもしないことを考え、ひとりで震えていたことも数えきれません。大人になってからは、エジプトの大地震である親子が崩壊した家の狭い空間に閉じこめられたまま1週間生き延びたというニュース、中国で家と塀のわずかな隙間に落ちてしまった子供のニュース、インドでマンホールに落ちてしまった人のニュースなどを聞くにつけ、「もしそうなったらいっそひと思いに…」などと悲壮な決意を固めつつ、心拍数を激しく上昇させていました。

閉所恐怖症ではないかという恐怖、つまりそうだとは認めたくないという必死の思いがありつつ、今までそういった状況には遭遇せずになんとか来られたわけですが、昨日、リヤドから200km南下してJabal Baloom(バルーム山)を訪れた時、ついに決定的な出来事が起こりました。午前中に周辺のトレッキングを楽しんだのですが、昼食後に「さて、もう1ヶ所面白いところがある」とリーダー格のドイツ人が言い出しました。12人でぞろぞろと歩いていくと、そこは岩山にできた細い裂け目でした。裂け目はわずか30cm~40cm程度。左右は高さ10m近い岩の塊で、異様な威圧感を醸し出しています。みんなでそこに入って行こうというのですが、人が横向きになってやっと通れるくらいの幅しかないので、2~3人ずつ入っていかなければなりません。

一瞬どうしようかと迷ったのですが、もう二度と来られない場所かもしれませんし、女性がするすると中に入っていったので、ここでやめるとは言い出しにくい雰囲気です。意を決してリュックを下ろし、カメラを片手に中に入っていくことにしました。裂け目の内部はくねくねと蛇行していて、2m先の状況もわかりません。先に入っていった女性も見えませんし、顔を左右にきょろきょろするのにも、少し慎重にやらないと顔か頭を岩の壁にぶつけてしまいそうです。横向きでカニのように進んでいくのですが、5mほど入っていったところで、心臓のドキドキがピークを迎えてしまい、あえなく断念することになりました。なんだかもう、とにかく全然ダメでした。動悸息切れ目眩がいっぺんに来て、自分を落ち着かせようと心の中では「救~心、救心♪」のリフレインが…(←実はけっこう余裕?)。

結論、やっぱり狭いところはダメでした。閉所恐怖症とは認めたくありませんが、10分以上裂け目から出てこなかった女性に比べたら、間違いなく強くはないな、と。一番怖かったのは、自分の後に誰か入ってきて、自分は限界で外に出たいのにどんどん奥に進まされるのではないかという恐怖心でした。まぁ、基本、考えすぎなんですけどね。わかっちゃいるけど、ダメなものはダメということで。はぁ……。写真は裂け目の入り口と、中に入って上を見上げた時のものです。見上げながら「奈落」という言葉が浮かんだのは言うまでもありません。

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2006年12月23日 (土)

いま、日本です

9月末にエチオピアから帰国しました。それから2ヶ月ちょっとの間、おいしいものを食べまくり、オートバイを買って久しぶりの青春気分を味わい、MacBookを買ってParallelsを入れてWindowsなんかも動かし、プレステ3 (60GB) と Wii と両方ゲットし、ここ10年の間に我が家の2階にたまったガラクタを必死に片付け、合間に次の仕事を決め、つかの間の日本生活をエンジョイしている今日この頃です。とりあえず散財していますね。
これからしばらく、オートバイのこと、家の片付け中に出てきたいろいろなお土産とガラクタのこと、Macのことなどを書いていこうと思いつつ、なかなかテレビの前から動けなくて筆が進まない自分がいます。日本の暮らしは良いなぁ。本当に…。

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2006年8月30日 (水)

国家の行方

「国家 (State)」とは、一般には一定の地域社会の上に成立する統治機構 (権力組織) をさしますが、その下にある社会そのものをさす場合もあります。古くはギリシャの都市国家、古代ローマや中国にみる帝国、遊牧民の部族国家、中世ヨーロッパや江戸時代幕藩体制のような封建国家など、いろいろな形態があります。しかし、今日私たちが「国」として認識しているのは、16~17世紀の近代西ヨーロッパ社会が生みだした政治共同体としての国家の形でしょう。近代国家は領域・主権・国民 (民族) から構成されます。特に国民は言語、文化、宗教など相当の共通性が保たれているべきものですが、近代国家ではそれを政治的に包括してしまいました。そのため、多くの地域ではその後民族を基本的単位とした国民国家 (Nation State) へと再編成される動きが止まず、21世紀を迎えてなお、独立を求める地域紛争はたえません。

2002年にはヨーロッパで通貨統合が実現しました。今後ヨーロッパでは、国家という枠組みが少しずつ曖昧になっていくのかもしれません。「自分はフランス人ではなくノルマンディー人である」などと、より個人のアイデンティティーに根ざした帰属意識を持つようになるのではないでしょうか。一定の経済水準が保証されるという条件は必要でしょうが、世界の各地域で、このような意識変革はますます加速していくものと思われます。自分にとって居心地がよいと感ずる共同体に所属することは、きわめて自然なことだからです。そのような場合、宗教はとても重要な要素だと思います。100年後に「大イスラム共和国」ができていたとしても不思議ではありません。ひょっとしたらビートルズが好きだという条件だけで、1000万人くらいの「ビートルズ帝国」などもできてしまうかもしれません。もし今、あらためて所属する国や地域、コミュニティーを選ぶとすれば、どこを希望しますか?。私の場合は、うーん、やはり独立国家を宣言しそうです。しかし国家予算が少なすぎるか。がっくし。

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2006年7月10日 (月)

ジダンに何が!?

PKまでもつれる接戦の末、イタリア優勝で幕を閉じたサッカーワールドカップ2006。しかしジダンの退場には驚かされました。彼はなぜあのような行動をしてしまったのか。延長後半、最後のあとひと踏ん張りの時でした。遠くのボールを目で追っている時、相手選手が後ろからジダンの体を一瞬両手で抱え込みました。ジダンはその場から前に歩き出したのですが、突然くるりと振り向くと、後を追ってきたその選手の胸に思いきり頭突きを一発。相手選手はもんどりうって芝生に倒れこみました。イタリア側は審判に猛烈アピール、結局ジダンはレッドカードで退場となりました。それがどんな結果を生むか誰よりも知っているはずのベテランが、最後の最後に犯したラフプレー。結果的にフランスは負けてしまいましたから、ジダンもやりきれないだろうなぁ。メダルももらいに来なかったし。

ちなみに今 (午前0時20分)、家の前を「イータリアー!!、イータリアー!!」と叫びながら車が走り去っていきました。エチオピアはイタリア人がたくさんいて、近所にも何家族か住んでいるのできっと彼らがこれから町をぐるぐる回るのでしょう。うらやましい。

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2006年7月 1日 (土)

ウクライナ善戦

ウクライナもよく攻めたんですけどねぇ、イタリアの壁は厚かった。2点くらいは入ってもおかしくないシュートがありましたが、結局は無得点。入らない時はことごとく入らないものですね。終了間際、シェフチェンコが絶妙のフェイントで相手2人をまんまとかわしたときは思わず「スゲーーッ!!!」って声が出ました。そこからワンツーでボールが戻ってきてペナルティーエリアに入ったものの、DFに囲まれ惜しくも転倒。なんとか1点取って欲しかったですけどね。残念無念。それにしてもイタリアの運動量はすごい。トッティからして最初から最後まで走り回ってぶつかりまくっていました。終わってみれば、やっぱりイタリアの順当勝ちといったところでしょうか。いやぁ、実に面白いゲームだった。ドイツ対アルゼンチンのゲーム内容をすっかり忘れてしまいました (イヤ、PKで決着がついたことはおぼえていますが…)。

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2006年6月28日 (水)

ガーナ対ブラジル

はぁ…。ため息が出ました。ガーナはよく攻めました。本当に。でも勝てない。ブラジルの鉄壁の守りを崩せない。そしてブラジルボールがスルスルッと前に出ると、あっという間に形勢逆転。とにかくブラジルは効率が良いというか緩急自在というか、もう手がつけられません。それにしてもガーナ代表はよく頑張りました。アフリカは強い!!

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2006年6月26日 (月)

オランダ対ポルトガル

がーん。オランダ負けちゃいました。応援していたチームが負けると激しくショック!!。しかし大荒れの試合でした。レッドカードで4人退場って…。解説の人も「これは記憶に残る試合になりました。別の意味で」とか言っていた。ヨーロッパ人て本当に血の気が多い。サッカーって日本人にはむいていない?

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2006年6月23日 (金)

日本対ブラジル

結果だけ見れば1−4の大敗。でも、これまでのどの試合よりも気迫が感じられました。王者ブラジルから先制点を奪ったのには興奮しました。夢をありがとう!!。ブラジルはロナウジーニョが交代してから急に攻撃がまったりしてしまいました。やっぱりスーパースターなんだなぁ。ため息…。

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おめでとう、ガーナ!!

ついにやりました、ブラックスターズ。アフリカの期待を一身に受けて決勝トーナメントへ!!。私もエチオピアテレビを見ながら熱い声援を送っていました。それにしてもW杯初出場とは思えないほど冷静な試合運び。恥ずかしながら、ガーナがアフリカの中ではかなりの強豪であることを、今回いろいろな新聞を読んで知りました。どこまで勝ち進むか楽しみです。

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2006年6月19日 (月)

日本対クロアチア

うーん、残念。0−0で引き分け。日本はお家芸とも言えるパス回しが、随所で好機を生んでいたと思いますが、やはり最後の決定力に欠けていたか…。柳沢は「ここしかない」というところでヘロヘロのシュートだかパスだかわからないことをしていたし。まぁ、クロアチアも同じようなもんでしたけど。何十分も走り回って、ゴール前ではわずかコンマ何秒かで判断を求められるわけですから、そうそううまくいかないのは当たり前なんでしょうけどね。対豪戦よりかなり動きが良かったので、まずは次につながったということで、今回は納得です。次は打倒ブラジルだ!!。しかしオーストラリアはやっぱり強かった。結果的にブラジルに2−0で負けたけど、かなり良い勝負だったと思います。

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2006年6月18日 (日)

やったぜガーナ!!

ガーナお見事!!。強豪チェコを2−0で撃破。勝利が決まった瞬間、うちのご近所さんたちから (アジスアベバ・ボレ地区) 大きな歓声があがりました。ニャホニャホタマクロー氏も大喜びでしょう。ガーナの知人には祝電を打ちました。

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2006年6月17日 (土)

オランダ対コートジボワール

優勝候補の一角とアフリカ最強チーム。前評判通り、激しい試合展開になりました。コートジボワールが序盤から怒濤の攻撃を仕掛け、終始オランダを押していたと感じましたが、終わってみれば2−1でオランダの勝利。個人的にはオランダの優勝を予想しているので、この結果には満足ですが、アフリカ勢にも勝ち星をあげてもらいたいという気持ちが強くあります。特にコートジボワールはアルゼンチンともナイスファイトを繰り広げ惜敗していますから、こうなるとグループ分けに運がなかったということでしょうか。

セルビア・モンテネグロは国が2つに分かれちゃってサッカーどころではなかったですよね。あまりにタイミングが悪かった。

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2006年6月15日 (木)

ドイツ対ポーランド

劇的な幕切れでした。91分 ( ロスタイム)、ついに1点をもぎ取ったドイツが執念の勝利!!。前半はポーランドが攻める場面もたくさんありましたが、ドイツのディフェンスが安定していて、ヒヤリとする感じはほとんどなし。ドイツの方が守りも攻めも余裕がありました。しかし歴史的に遺恨ありまくりの両国。0−0で折り返した後半になると、ポーランドが一気に「やる気」を見せる。ファールでドイツ選手を倒すと罵声を浴びせかける (そうとしか見えなかった)。審判もこんな試合やりづらいだろう。終盤、ポーランドはイエロー2枚で1人が退場。10人を相手に猛チャージをかけるドイツ。しかしなかなかゴールは割れない。ドイツは90分間際にメチャメチャおしいシュートがあった。1人目のヘディングシュートがゴールのバーにあたり、跳ね返ったボールをさらに蹴ったシュートもバー。ここで私は完全にドローだと思ったのに、しかし不屈のゲルマン魂、ドイツの攻撃は終わらなかった。後方から長めのパスをもらったMFはドリブルで一気に前に出る。右サイドからゴール前に上がった低めのボールは、ポーランドDF2人とともに突進してきたドイツFWのすべり込んだ右足でゴールに押し込まれました。まさにドラマ、まさにミラクル。あきらめちゃいけないと、またサッカーに教えられました。

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2006年6月14日 (水)

ブラジル対クロアチア

さすがは王者ブラジル、順当に勝ち点ゲットといったところでしょうか。でも最初はほとんど10人で戦っていましたね。ロナウドは仲間はずれにされているんでしょうか。というか地蔵でしたね、ロナウド。あれでは仕方ないなぁ。太っちゃったから?。しかしブラジルもクロアチアも最後までよく動いていました。日本はどうやって戦うつもりでしょう。限りなく不安…。ちなみにエチオピア時間では最後の試合が終わるのが夜12時ちょっと前です。ナイス。

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2006年6月13日 (火)

日本対オーストラリア

何ですか、今日のあの試合は…。何が起こったのか、わけがわかりません。だらだらだらだら。少しは途上国を見習って、ハングリー精神を持ってほしい…。

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2006年6月12日 (月)

アフリカ頑張れ!!

アフリカに住んでいるので、昨日のアルゼンチン対コートジボワール戦もそうですが、今日のポルトガル対アンゴラ戦も、やはりどうしてもアフリカに肩入れして見てしまいます。FIFAランキングではまったくかないませんが、それでも何が起こるかわからないのがサッカー。「欧米に一矢報いろ!!」と思わず手に力が入ります。ちなみに、プロジェクトではオランダ人とつき合いが深いので、個人的にはオランダ優勝に1票。ロッベンのファーストネームがアリヤン (Arjen) で、これまで何回かプロジェクトに来てもらっているオランダ人と名前も一緒だし。決勝がオランダ対日本、ってことはないか…。

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2006年6月11日 (日)

サッカーワールドカップ

4年前の大会は、ヨルダンで見ていました。今回のドイツ大会は、サッカーが全然盛んではないエチオピアでは、さすがに無理かなと半分あきらめていたのですが、なんとエチオピアTVがライブで放送しています。今はアルゼンチン対コートジボワール戦を見ながら書いています。ヨルダンTVもそうですが、エチオピアTVはちゃんと放映権料とか払っているのかな?。 他人事ながらちょっと心配。

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2006年6月10日 (土)

我を導くもの3

高校入学の理由が理由だけに、素直に高校生活をエンジョイできず、どこか内向的で斜に構えたものの見方をしていました。そのうち学研の「ムー」を買うようになり、オカルト、空想科学、終末思想、古代神話などにはまりました。ユダヤの数秘術によれば、自分の名前には「移動、引っ越し、海外」という運命があると知り、ちょっと嬉しくなったりもしました。高校卒業後、別の専門学校に行く友達と上京し始まった東京での学生生活は、なかなか刺激的なものでした。学校には他にヒンディーとインドネシア語のクラスもあり、特にヒンディーの学生は「語学を活用して就職を」などと考える人は皆無で、話題と言えば「インド放浪」。顔を輝かせて旅の話をする彼らを見ると「こういう自由な生き方もあるんだなぁ」とため息が出ました。ムーを読んでいたおかげで、吉祥寺の怪しい店 (インドや西アジア関係の雑貨屋、レストラン) にもすんなりなじみ、アパートではお香を焚いてシタールの音色やコーランの読誦にうっとり、なんてこともしばしばでした。友達を家によんで、スパイスの調合から始めて作ったカレーを振る舞うこともよくありました。海外勤務の合間合間に、「国内で定職につかなくちゃ」という思いはつねに持ち続けていましたが、この学校で出会った友達のことを思い出すと「あの人よりはよっぽど真面目にお勤めしているなぁ、もう少し海外でも良いか」などと、スッと気が楽になったものです。

そんなこんなで、2年生の夏に受けた海外派遣員の試験に合格し、それ以来、幸か不幸かずっと海外勤務が続いています。ほぼ人生の半分が海外ですから、もう日本では就職できないダメ人間になっているかも…。それにしてもこうやって人生を振り返ると、子供時代から本当に「海外一直線」でした。すべての要素が現在につながっています。16才当時、高校受験失敗は「挫折」と考えていましたが、あの高校生活がなかったら、進学校に進んでいたら、きっとアラビア語は勉強していなかったと思います。人生とは偶然を積み重ねた結果なのか、それとも生まれながらにして道が決められているものなのか。個人的には「運命」に1票!!

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我を導くもの2

高校は市内で1番の進学校を受験しましたが、あえなく失敗。自分にとってすべり止めだった私立校に通うのはなんとも気が重いものでしたが、新たな発見もありました。どんな学生でも希望さえすれば学力問わず入れてくれるような学校で、1学年が10クラスもありました。これだけ生徒がいると、本当にいろいろな人がいます。分数の足し算はできないけれど甲子園で活躍する人。自転車競技でプロから誘いを受けている人。アメリカ帰りで英語ペラペラの人。弁論大会で爆笑を取る人。書道7段。空手4段。外国人教師。アメリカ人留学生。ものすごく勉強しているのに赤点続きの人。学級委員に立候補するたび落ちている人。万引きで捕まる人。何をされても怒らない人。怒ってばかりいる人。マンガばっかり書いている人。スプーン曲げが (1度だけ) できた人。体育教師にボコボコにされる人。バイトに励む人。オートバイで事故る人。株をやっている人。自転車で日本1周する人。シンナー吸い過ぎで歯がボロボロの人。退学してヤクザの事務所に入った人。同棲する人。子供ができて泣いていた人。精神病になった人。ものすごい金持ち。貧乏。真面目。ツッパリ。美人。美男子。ガリ勉。天才。馬鹿。人気者。嫌われ者。

田舎生まれでずっと小さなコミュニティーで育ってきた私にはショックの連続でした。学生集団なのに、まるで社会の縮図を見ているようでした。私から見ればすべての学生が「一芸」を持っていました。みんなが勉強そっちのけで毎日を個性豊かに過ごしているのを見て、自分の覇気のなさに嫌気がさすとともに、「勉強だけが全てではない」と強く感じました。それまでは「高校は受験勉強に集中し県立大学をねらう」という風に考えようとしていましたが、それも結局は周りにいい顔をしたいためだったと思います。そして高校2年の夏、大学進学はやめ、語学の専門学校に行くことを決めました。姉が買ったものだと思いますが、全国専修学校ガイドという本が家にあって、これをめくっていたとき、中国語やアラビア語を教える学校があることを知ったのです。直感的に「これだ!!」と思いました。外語大にくらべると語学の授業の密度が段違いです。しかしその後は、中国語かアラビア語かでけっこう迷いました。目標は中央アジアです。中国語を習い東から西に攻めていくか、それともアラビア語を習い西から東に攻めていくか。最終的には、学習人口が圧倒的に少ないアラビア語を選択しました。この時、正直どんな就職先があるかなどまったく考えませんでした。入学試験免除をねらって、担任に推薦文を書いてくれるよう職員室で直談判したのが、高校生活で一番頑張ったことでしょうか。

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我を導くもの1

ど田舎の生まれです。周りには山、川、畑。市の水道はなく、山肌を流れる清流の水を家に引き込んでいます。春はウグイスがさえずり、秋は虫の音につつまれる。子供ながらに、この村が大好きでした。あれは小学1年生の頃だったでしょうか。「野生の王国」というテレビ番組を見て、アフリカの大自然の姿に感銘を受けました。そして「驚異の世界」という番組で、ニューギニアなど日本とはまったく異なる文化に驚きの声を上げました。それまで、自分にとってはこの村が世界の全てだったのですが、最初に外の世界を意識したのはこの時です。普通、人が成長していく過程で「村→町→市→県→日本→外国」という風に世界が広がっていくのだとしたら、私の場合は「村→外国」と一足飛びに視野が広がったように思います。その後も、日曜の朝は必ず「兼高かおる世界の旅」を見ました。家にあった旧約聖書 (子供向けの物語) を読みながら、世界にはいろいろな文化があるものだと気分が高揚したのを憶えています。イザナギ・イザナミよりは、確実にアダムとイブの物語の方に強く惹かれました。あいかわらず村が大好きで、ここ以外で暮らすなどまるで想像できませんでしたが、それでも海外に対するあこがれがどんどん強くなっていった時期でした。

小学4年生くらいから、和田慎二のマンガにはまりました。「キャベツ畑でつまずいて」の世界観は、一時期私が憧れる外国そのものでした。「クマさんの四季」「わが友フランケンシュタイン」「アラビアン狂想曲」「ピグマリオ」など異国 (異世界) を舞台にしたマンガは本当に面白くて、何度も何度も読み返しました。中学生になると、NHKで「シルクロード」が始まりました。そして久保田早紀の「異邦人」です。これにはガツンとやられました。和田慎二で「やや東よりなヨーロッパ」方面に向き始めていた気持ちは、一気に「中国西域」「中央アジア」に引っ張られました。ローラン、カラホト、タクラマカン、天山、カシュガル、パミール高原…。すべての地名が魅力的に響きました。この頃決定的に「いつかモンゴルに行って馬に乗る」という目標ができました (そうやって作文にも書いたのですが、シルクロードの世界とモンゴルはまた違って、どうもどこかで混同が…)。

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2006年6月 8日 (木)

我がゴルフ人生

もともとゴルフクラブなど握ったこともありませんでしたが、カタール以来「他にやることもないから」ということでちょこちょことゴルフを続けてきました。もちろん、どの国でも必ず熱心にゴルフを勧めてくれる人がいて、そういう人たちに引っ張られていたのも事実です (時に “面倒だなぁ” と思いつつも…)。写真は確かバハレン上空で撮ったものです。典型的な砂漠のゴルフ場ですね。

★カタール
ゴルフを始めた記念すべき国。当時2つのゴルフ場がありました。近かった方は訪れる人もまばら、土のフェアウェーはなめらかでしたが、すでに半分砂漠化していて、ゴルフをやっているというよりも、砂漠で遭難してトボトボ歩いているような感じでした。ここに行ったのはほんの数回でしょうか。もう1つは毎月日本人会ゴルフコンペが行われていたゴルフ場でしたが、ホール数は12のみ、ロングホールもありませんでした。何より、ゴツゴツした岩があちこちに突き出る荒涼としたフェアウェーは、見るものをして「ここは本当に地球か!?」と思わしめる恐怖感がありました。さらに恐怖は続きます。打ったボールが岩の隙間に入ったら、まずはクラブでちょいちょいと突いてから手を入れろと厳しく言われていました。なぜなら、以前岩の隙間に不用意に手を突っ込んで、サソリに刺された人がいたからです。ナイスショットをしたはずが、岩に当たって跳ね返り、そのボールが顔面を直撃した人もいました。慣れた人は「ゴルフっていうのは自然との闘いなんだ」などと涼しい顔で言いますが、それにしてもあまりに厳しい。ほとんどサバイバルでした。そういえば突然砂嵐に襲われたこともありました。その時はみんなスコアが乱れまくって、そのおかげで私は準優勝できましたが。そんなカタールも、現在ではヨーロピアンツアーが行われる立派な芝生のゴルフ場があるそうです。

★サウジアラビア
リヤド近郊に1つ、土漠のゴルフ場がありました。フェアウェーは土ですが、いつもきれいに整地されていました。グリーンは芝生ではなく、砂を油で固めた「ブラウン」。フェアウェーでボールを打つときは、小さめの人工芝を置き、そこにボールを乗せてから打ちます。そうしないとクラブの底がたちまち削れてしまうからです。とにかくまっすぐ当たればあとはひたすらコロコロと転がっていきましたから、楽と言えば楽なコースでした。その代わり、グリーン (ブラウン) はすべて50cmほど高くなっていて、そこだけはうまくボールを上げなければなりません。私はこれがヘタだったので、グリーンの周りで行ったり来たりをよく繰り返しました。リヤドは3月下旬になればもう相当暑くなりますが、やはり6月から9月の間はコンペはありませんでした。ある人が7月にゴルフ場に行って、脱水症状で倒れたことがあります。7月と8月にゴルフ場に行ったら自殺行為と言われていましたが、やったことがある人なら誰しも納得でしょう。サウジは他にもやりたいことがたくさんあったので、ゴルフに割いた時間はあまり多くはありませんでした。今考えたら、ここでもっと頑張っておけば良かったと後悔しています。

★エジプト
当時、カイロには2つ有名なゴルフ場があって、そのうちのひとつがナイル川の中州の島にある「ゲジラスポーツクラブ」でした。自宅から歩いて行ける距離にあり、ゴルフ場内部は大きな木があったり全体としてごちゃごちゃした感じでしたが、その狭さが初心者の私には程良くて、なにより私にとっては初めての「緑色のゴルフ場」ということで、当初はそれなりに通いました。日本人会ゴルフコンペも含め、よく外国人のコンペが行われていましたが、そのわりに管理がずさんで、「グリーンが水でビチョビチョだぁ~」とか「うわっ、フェアウェーを車が走っている!!」とか「なんでグリーンの上に自転車があるの?」とか不思議なことがいくつもありました。キャディー連中は対面から飛んでくるボールにわざとぶつかって金をせしめようとするし、エジプト人の金持ち (みんな百貫デブ) グループが歩いた後はグリーンがボコボコに波打っていたりと、後半はいささか嫌気がさして、郊外に新しくできたゴルフ場をよく使うようになりました。そのゴルフ場 (フェニックスだったかな?) は、もう見事なくらい青々としたフェアウェー、カートを使ってプレーする広々したコース、きちんと造成された池、計算された意地悪なグリーンなど、私にとって初めて体験する本格的なゴルフ場となりました。しかし本格的ゆえ、コース攻略は難しく、素人同然の私には厳しすぎるコースでした。

エジプトは国内のリゾート地にもゴルフ場があります。職場のみんなで紅海の海浜リゾート、ハルガダに行ったとき、ホテル隣接のゴルフ場でプレーする機会がありました。ホテルの周りはほとんど砂漠ですが、ゴルフ場では常にスプリンクラーが稼働し、青々とした芝が茂っています。他に客がいないため我々の貸し切り状態のなか、とても気持ちよくプレーすることができました。5月だというのに、紅海から吹き付ける風が心地よい涼感をもたらしてくれます。ボールを曲げると紅海にポチャンとなるのでやや緊張しましたが、それよりも気持ちよさの方が先に立ち、一生の思い出になるゴルフとなりました。

★ヨルダン
アンマン郊外に1つゴルフ場があるとは聞いていたのですが、行った人が「あまり楽しくなかった」と言っていたのを聞いて、結局1度も行かずじまいでした。これまでで滞在期間が一番短く2年しかいませんでしたし、夏の間は暑くてプレーできず、2001年の9.11テロ以降、国内の政情が不安定になる要因があったりして、おちおちゴルフをするような雰囲気でもありませんでした。

★エチオピア
アジスアベバに1つゴルフ場があります。フェアウェーは一応芝ですが、生え方がまばらで、乾期は地面がひび割れ、雨期は田んぼのようにドロドロになってしまうというレベルです。今回の職場はみんなゴルフ好きだったので、それに引っ張られる形で2年ぶりのゴルフ再デビューとなりました。正直たいしたコースではありませんが、今回は初めてゴルフに打ち込みました。赴任してしばらくはクラブセットを借りてやっていたのですが、スコアーに納得できず、ケープタウンに旅行したときちょっといい目のクラブセットを買ってしまいました。「道具が自分に合っていない」というヘタッピにありがちな勘違いがあったことは否めませんが、結果的にクラブを買ったのは正解でした。だいたい毎週土曜日にコースに通っていましたが (雨期の7~9月は除く)、平日は家で素振りをするようになり、日本から江連忠のDVDを取り寄せイメージトレーニングを重ねた結果、自分でも驚くくらいスコアがのびました (と言ってもたいしたことありませんが)。エジプトでは100を切るのが精一杯だったのですが、90台前半がコンスタントに出るようになりました。もう少しがんばれば夢の80台、というところで2年の任期が来て離任。結局すぐに再赴任が決まって今もエチオピアにいるわけですが、離任間際にケガをした左人差し指のキズが今も癒えず、1年以上クラブを握れない日々が続いています。ちなみにアジスアベバは2400mの高地にあるのでボールが1割ほど良く飛ぶそうです。実はまだ日本でゴルフをやったことがないので、もし日本でやったら「なんでこんなに飛ばないの?」と悩むことになるかもしれません。
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